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ゆっくりと小説を書こう

小説の書き方やお役立ち本などを紹介するBlogです。「小瀬朧」名義で第9回ビーケーワン怪談大賞をいただきました。twitterでtwnovelや短歌などを発表中。

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投稿日:2025年04月19日(土)

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黙っちゃダメだ

投稿日:2008年10月28日(火)

このBlogの「俺」は書くことによってのみ存在できる。

けれども、最近は知恵がついてしまい(皆様のおかげです)、沈黙が演じる悧巧さが身にしみてわかるようにもなった。ようするに、べらべらとしゃべるのは馬鹿丸出しなのだ。もちろん、寡黙の人がすべての状況において悧巧というわけではないが、饒舌と比べれば痛い目に遭う確率は低くなって当然だろう。さらに完全な沈黙となれば、存在しないのと同じになるのだから、何も起きようがない。不用意に発言してひんしゅくを買う人間と比べれば、相対的に悧巧だ。

ここ数日、このBlog用に文章をいったんは書いているのだが、公開することができずに消してしまっている。昨日は5つほど公開せずに消した。恥ずかしいからだ。Blogを書いている人間が羞恥心を意識するなんていうと噴飯ものかもしれないが、冗談事ではない。他人の文章を読むことで聡くなった批評の目が、自分自身の文章に向いてしまったともいえる。早い話が、自分の文章は他人様に見せられるレベルのものではないと、自分で分かってしまったのだ。

これは文章の表現についてではなく、内容についてだ。「てにをは」だの誤字脱字だの語彙だの構成だのといった見た目の話ではない。誰に向かって何を書いているのかという文章の根本が、他人様に見せられるレベルに達していないのだ。

曲がりなりにも小説家を目指す人間が、誰かがどこかですでに書いているものをなぞって何になろうか。大多数と同じことしか言えない、あるいは天の邪鬼的に反対のことしか言えない。文章を書いて抽んでようとする人間がそれではダメだ。

このように考えてしまったから、黙りたくなる。Blogが書けなくなる。Blogだけではなく、あらゆる文章が書けなくなる。沈黙のもたらす安楽が俺を誘惑する。

でも、だからこそ、黙っちゃダメなんだ。



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解決はできないがちっぽけにすることならできる

投稿日:2008年10月23日(木)

以前、悩みにはどこか楽観的な部分があると書いた。

それが「悩み」と呼ばれるうちは、言葉の厳密な定義はともかく、解決される可能性があるという希望が含まれているからだ。悩みの原因が何か障害によるものだと自覚しているなら、その障害を取り払うことで悩みも解決されると考えるということでもある。

自分のことをたなにあげるなら、小説が書けない「悩み」などといっているうちはまだ切羽詰まっていない。自分が書けないのには何か理由があるはずだ。それを突き止めてしまえば、書けるようになるに違いない。内心、こう考えている。これは酷い楽観だろう。

ところが、自分が「悩み」だと思っていることが、実は「悩み」なんて生やさしいものではないことだってある。本当は、解決策なんか何もないことのほうが多いだろう。それでも、解決の可能性があるのではないかという儚い望みによって、それが無理矢理「悩み」へと格上げされている場合もあり得るということだ。

自分が抱えているそれの正体は「悩み」なんかではなく、「不安」や「恐怖」といった、心の内奥にひそむ暗闇かもしれない。深淵という言葉が無性に使いたくなる、あの暗闇のことだ。

小説家志望の「私」は、今、その深淵に呑まれかかっているのに、作り笑いを浮かべながら助けを求めているのかもしれない。そして、その様子は見ている周りの「私」にも明らかであって、もう助からないとわかっているのに、やはり作り笑いを浮かべながら、大丈夫だよ、助かるよ、と声をかけているのかもしれない。

かかる状況に置かれたとき、解決なんかできないとわかったとき、どうするだろう。もっと大きく深く暗い深淵を他に探すはずだ。ああ、あの恐ろしい深淵に比べれば、自分はまだましだ。自分の深淵はなんとちっぽけだったんだろう。そうして、つかの間の安心感を得る。繰り返し、繰り返し、完全に呑まれるまで。

自分の抱える問題が解決できないとき、自分より酷い境遇の人々を見て、自分自身のそれを矮小化してしまうという、よくある話。



メモ専用のデジタル機器が発売される

投稿日:2008年10月22日(水)

文庫本サイズの本体を開くと液晶画面とキーボードが現れ、テキストの入力ができる。そんなアイテムが11月に発売される。商品名は「ポメラ」。俺の説明より、リンク先の商品説明を見た方が早いだろう。

デジタルメモ「ポメラ」 | KING JIM

電源オンから2秒で起動。日本語入力にはあのATOKを採用している。本体には1ファイル8000文字、6ファイルまで保存可能。microSD(最大容量2GB)のスロットとUSBを装備しているのでデータのバックアップも問題ない。単4アルカリ乾電池2本で約20時間駆動するという。

さらに詳しいスペックを見てみると、画面は4インチTFTモノクロLCDでVGAサイズ(640×480ドット)、キーボードはパンタグラフ式でキーピッチ約17mm。重量は乾電池を含んで約370g。

発売元はラベル作成機器の「テプラ」で有名なキングジム。価格は税込みで27300円。発売は11月10日予定ということだ。

注目しているのは電源を入れてから2秒で入力可能となる点。これはデスクトップパソコンはもちろん、ノートパソコンでも不可能だ。紙のノートやメモ帳を開いてペンを取り出すまでとたいして変わらない。さらに、余計な機能が一切なく、テキスト入力だけに特化しているので開いてすぐに入力を開始できる。いうまでもなく、メモにしてもアイデアにしても、それを書き留めるまでのスピードがもっとも重要だ。

紙のノートやメモに記入したものは、内容によって、いずれパソコンに再入力することになる。それがちょっとしたメモならいいが、ノート1ページ分ぐらいのBlog用の文章になると、同じ文章をもう一度パソコン上で書くのはけっこうつらいものがある。その点、この「ポメラ」なら、最初からテキストデータなのでパソコンに転送するだけでいい。

使い心地によっては、この「ポメラ」を小説の執筆に使うことも可能かもしれない。1ファイル8000文字という制限はあるが、2GBまでのmicroSDが使えるならまったく問題ないのではないか。最終の仕上げはパソコン上で行うのだから、少しぐらいファイルが分割されてもいいだろう。



個人的に、かなり欲しいと思っている。パソコン関連アイテムとして見ると、その機能の少なさはマイナスであり、マニアにとってはつまらないかもしれない。しかし、文房具として考えれば、これほど文章書きのニーズにあったものは今までなかったのではないだろうか。ぜひ実物に触ってみたい。


ある象徴

投稿日:2008年10月22日(水)

樹海に行ったことがある。

もちろん、入り口までだ。自らの存在を否定するために行った、というのは大嘘で、ただ紅葉の写真が撮りたくて友人と出かけたまでだ。

道の駅だっただろうか。小さな食堂と土産屋が並ぶ場所にクルマを停めた。せっかくの写真撮影だというのに、空は薄暗く曇っている。午後になって間もないが、すでに肌寒い。そこに何か精神的な作用をかんじないわけでもなかったが、たんにそういう気候なのかもしれない。

パトカーがやって来た。サイレンは鳴らしていない。パトカーはゆっくりと駐車場を通り抜けていったので、それが巡回であるとわかった。

駐車場の片隅に、くすんだ色の軽自動車があった。ボディにはまんべんなく落ち葉が降り積もっていた。いつからそこにあるのだろうか。いつまでそこにあるのだろうか。不吉な感傷にうっかりすると支配されそうになる。

その軽自動車のすぐ脇に、樹海への入り口が無造作に開かれていた。傍らには大きな地図が設置され、ハイキングコースを案内していた。樹海に、ハイキングなどという軽快なイメージは似合わない。そう思うのは偏見に他ならないが、自らを否定するために訪れる人々の足取りが重いとイメージするのもまた偏見だ。「ただ紅葉の写真が撮りたくて」という名目こそが嘘という可能性も、あると思って欲しい。私の横に、本当に友人はいただろうか。

ともあれ私は生きているので問題ない。

さて、その樹海の入り口、ハイキングコースの案内板の少し先に、一枚の看板が立っていた。あるとは聞いていたが、それは自殺防止を呼びかける看板だった。簡単なメッセージと電話番号が書かれただけの質素なものだ。事務的であるという見方もできるが、該当する人々にとっては最期の決断を迫るという最も重い意味を持っている。生きて帰る人も、帰らない人も、必ずこの看板を見ているのだ。私はしばらくのあいだ、看板をぼんやりと眺めていた。

その看板は落書き一つなく、作られたばかりのように、綺麗に、まっすぐ立っていた。




今日は道に迷った

投稿日:2008年10月21日(火)

道といっても人生とか学問とかの比喩ではなく、本当の道、道路のことだ。

夕方、買い物に出かけた。新聞の折込広告で特売品を見つけたからだ。そこは普段行くことのない食品スーパーで、クルマで20分はかかる。

行きは、いい。大通りを走り続けていれば迷わずに着く場所だ。

帰りで、迷った。夕方だから、会社帰りのクルマで大通りは非常に混雑する。会社員時代に嫌というほど味わった道だ。そこで、俺は近道をしようと思った。ショートカットだ。裏道に回れば、狭いが、渋滞を避けて大通りの先へ抜けることができる。そのはずだった。

道は会社員時代の記憶とかなり食い違っていた。わずか3年ほどで、裏道はすべて区画整理され、面影がまったくなくなっていた。舗装し直され、車幅も少しだけ広くなったのはありがたいが、めじるしにしていたタバコ屋の看板も、火の見櫓も、営業しているのかどうかわからなかったボロボロの定食屋も、みんななくなってしまっていた。果樹園と水田は小綺麗なアパートにかわり、道路のために土地を削られた古い農家はすべて現代的な家屋に建て替えられていた。

それでも、勘で走っていれば、そうそう変な場所にいくはずもなかろうと思っていると、いつの間にかまったく知らない、新しくできたばかりの道に入り込んでしまった。比較的広い道なので、これは大通りへ接続する道だなと直感して少し安心した。安心した瞬間、行き止まりになった。まだ、作りかけの道だったのだ。正確には行き止まりではなく、古い細い道がその先へ続いている。ここまできて引き返すのも面倒なので、そのまま進むことにした。道はどんどん狭くなり、クルマ一台がやっと通れる幅で、道路脇には農業用水路が掘られているがガードレールはない。さっきまでの真新しいアパートも家も突然なくなり、果樹園と水田が交互に現れる、見慣れた田舎の農業道路に戻ってしまった。別の意味で少しだけ安心したのはいいが、道には完全に迷った。

その後、30分ぐらい迷い続け、やっと見慣れた大通りに出た。渋滞はすでになくなっていた。



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プロフィール

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小瀬朧
性別:
男性
自己紹介:
創作怪談、twitterの短文小説#twnovel、短歌など。
メールでのご連絡は benzine100@gmail.こむ スパム対策なのでこむをcomにかえてください。 


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