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ゆっくりと小説を書こう

小説の書き方やお役立ち本などを紹介するBlogです。「小瀬朧」名義で第9回ビーケーワン怪談大賞をいただきました。twitterでtwnovelや短歌などを発表中。

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投稿日:2017年10月24日(火)

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楽しくなければダメだろう

投稿日:2009年04月15日(水)

多くの小説作法の本が口にする逃げ文句は「巧い小説の書き方があるなら自分(著者)が知りたい。けれども、拙い小説には共通するものがあるから、それだったら教えましょう」というかんじだよなあ。

それはそれで有り難いんだけど、何冊も読んでいるとタブーだらけで身動きがとれなくなる。何も書けなくなる、というか書く気がなくなってしまう。

別に、拙い小説になってしまう要素をあえて書きたいというわけではないよ。ただ、書いていて「ああ、これって○○に書いてあったダメな小説の典型だ」と自覚してしまうのが嫌なんだ。知らなきゃご機嫌で書き続けていられたのに、って。そういうの、ないかなあ。

さらに、作家や批評家から読者まで、各々が結果として独自の小説観をもってしまっているわけだから、彼等の言い分を真に受けていると、相反する意見を同時に抱え込んでしまうようにもなる。たとえば、ある有名作家(角が立つから伏せるけど)の比喩表現こそ最高であり小説の極みだから学ぶべきとする者もいれば、絶対に真似をしてはいけない悪例とする者もいる。またある本では、表現を豊かにするためにとにかく語彙を増やしなさいとアドバイスする一方、別の本では語彙に頼ってはいけないという戒めがあったりする。作法本をたくさん読みすぎると、どっちなんだよ! と突っ込む回数が自然と増えていってしまう。

なかには「一般論ではこうだから、自分はあえて逆のことを言うぞ」というスタンスの著者もいるので、なおのこと混乱してしまう。

誰の言うことを信じるか、という話になれば、やっぱりそれは実績がある人(○○賞作家とか)だろうという権威主義的なところに落ち着いてしまう。でも、小説家なんて、多かれ少なかれ、他人に何らかの影響力を行使したい性分の人だから、無批判に信じすぎると洗脳されてしまうかもね。小説家が読者を楽しませたい、喜ばせたい、泣かせたいと純粋に考えているうちはいいけれど、娯楽の範疇を超えて、読んだ者の思想や生き方までも変えてやろうと企みだしたら嫌だよなあ。一歩引いてそれすら楽しめる読者ならいいけど、影響を受けて人生が変な方向に転がり出しちゃったら、どうなるんだろうね。(私は、自分の考え方で世の中を染めてやりたいというヤバイ部分がある人ですが)

とまれ、極端な話、なんでもいいからただ一冊の小説作法本を読んでいた方が小説を書けるようになるとまで思ってしまう(それが正しいのか、自分で確認することはもうできないが)。

なまじ知識を得てしまったために書けなくなるぐらいなら、何も知らないまま楽しく書いているほうがいいような気もするけど、どうなんでしょうね。書かないことには、上達のしようがないんだから。

あー。

とかいいつつ、書けねぇ。
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言葉をあつめるれるろ

投稿日:2009年04月10日(金)

朝から何いってんだ。

ここ数日、気分がなんだか穏やかだ。だから、わりとどうでもいい小説から、そのなかで使われている言葉や表現をメモ用紙に書き出して集めている。自分で書くときの参考にするためだ。

タイトルを書くと角が立つからふせる。あまり特徴やクセのない、一般的な表現を使っている作品を選んでいる。面白い表現や小難しい語彙が多い作品は役に立ちそうで、実のところ、役に立たない。だって、そういうのって真似をするとすぐに、あの作家の影響を受けているね、とかばれるし、それに同じ表現を何回も使うわけにはいかないから、苦労して覚えたとしても使用頻度が極端に少ないので無駄だ。

そこで、自分なりの基準をもうけた。

・自分で書くときにその言葉、表現が自然に出てくるか
 →読んで意味はわかっても、自分で書けるとは限らないから

・モノや場所の一般的な名称、呼び名
 →例:駅の構内、エントランス、あがりかまち、犬走、土手の斜面等々

・人間の動作や行動を表わす一般的な言葉
 →例:足を投げ出す、背中合わせになる、踏みこたえる、シートに身をうずめる等々

・人間の外見や表情、心理を表わす言葉
 →例:顔を赤らめる、華奢な体つき、心のなかで弁解する等々

・比喩は無視
 →まだ自分はその域に達していないから


これは個人的な判断になっちゃうけど、結局は「読める」と「書ける」のあいだには、絶望的な格差がある。文章を読んで理解する能力と自分で文章を書く能力は別物なのだ(関連しあってはいるけど)。

本をたくさん読めば読むほど、確かに読解力はあがっていく。辞書をひく回数も減っていく。だからといって自分で同程度の文章が書けるわけではない。

そんなことは判りきっているようだけど、いざ自分で何かを書こうとすると、驚くほど単純な言い回しさえ簡単には出てこなかったりして愕然とすることが多い。というか、自分にはそれが多すぎることにやっと気づいた。

もっとも、これって絵とか音楽とかの話になると、いうまでもないことなんだよね。それなのに、文章の話となると、読めるんだから書けるだろう、と錯覚してしまう。(ずっと錯覚し続けてきた結果が、今の私ですか?)


振り返れば、小学生のときは新しい言葉を習うたびに、その言葉を使って文章を作らされたよね(今は知らない)。でも、いつからか(中学かな、高校かな)、新しい言葉に出会っても辞書をひいて意味を知るだけで終わってしまう。

そういえば、英語の授業でも、長文読解は得意でも英作文がまったくできない人が多いと教師が嘆いていた。ちなみに私はアルファベットのDが書けなくて×をもらうぐらいの程度だったので論外だべ。Dの丸みが右向きなのか左向きなのか今でも迷う。


ともあれ、書くための言葉集めにしばらくはまってみるつもりだ。

小説に必要なのは

投稿日:2009年02月27日(金)

思い込みと思い上がりだと思う。

さんざん、考えたけど(10年ぐらい)、自分はそうでないと書けない。

書けるという思い込みと、文才があるのだという思い上がりを抱えていないと何も書けなくなる。

小説を書くためには、己を客観視しちゃダメなのだ。冷静に自己分析してなんになる。分析の結果、自分には小説を書く能力がないと判明しました――だから、なんだっていうんだ。アホか。自分は書けるんだ。

そして、自己満足を避けるのではない。突き抜けるのだ。自己満足を徹底的に追求してその先の領域に到達する。


もうね、やばいんだ。タイムリミットなんだ。

毎晩、毎晩、布団に入ると怖ろしい形相をした者どもが自分を取り囲むんだ。幻覚だろうが夢だろうが、自分には見えているのだからしかたない。何なのこいつら。私を連れて行く気か。まだいやだよ。ここにいたい。

人物描写の練習方法?

投稿日:2009年02月13日(金)

小説を書く上で人物の描写は避けて通れない。じっさいに書いてみて、最近ようやくわかったことだ。

描写とは何か、これは前回の記事で扱った。言葉の意味を辞書で調べると、描写とは対象を客観的に表現することであるとわかった。
参考:ゆとしょ! ゆとりある俺の小説ブログ 描写がよくわからない

まあ、言葉の意味がわかったぐらいで即実践できるなら誰も苦労しないよなあ。そうか! 客観的に表現すればよかったのか! これでばりばり書けるぜ! 

ないない。無理無理。

そこで思い出したのが、小説における描写をスケッチに喩える話だ。ここで今度は「スケッチとはなんぞや」という言葉の定義に陥りそうになるのをぐっとこらえる。とりあえず単純に「絵を描く」ということにしておく。だれか美術に詳しい方、スケッチ、デッサン、クロッキーの明確な違いを教えて下さい。Wikiは無しの方向で。なんてね。

とにかく、文章によるスケッチが描写なんだ、とここでは軽く捉えておく。話が進まなくなるよね。(あー、でも「絵」と「スケッチ」の違いってなんだろう)

ある作家がデビュー前に行った小説の練習方法を引用する。
 

 僕がこのころから始めたもう一つの練習法は、小型のノートを持ち歩くことだった。電車に乗り、前に座っている乗客をスケッチした。絵に描くのではなく、文章でスケッチするのである。あるいは公園やデパートの屋上のベンチに座ってノートを開くのでもいい。目にとまった人物を、まず風貌を描写し、次に勝手に彼や彼女がどういう人間であるかを書く。年齢、職業、趣味、家族構成や生い立ちなど、思いついたことを勝手に書いて描写してしまう。後に、僕はこのノートに「あの子はだあれ」というタイトルをつけた。
(井上夢人『おかしな二人―岡嶋二人盛衰記 』より)


コンビで活動していたミステリー作家、岡嶋二人の誕生から解散に至るまでを書いた自伝エッセイからの引用だ。これは、江戸川乱歩賞への初挑戦が第一次予選通過という結果で終わってしまったあとの、本格的に小説の練習を始めたころの話だという。応募したのが昭和52年の第23回江戸川乱歩賞だから、もう30年以上前の話だ。「小型のノート」とあるのは、当然紙のノートだよ。でも、今の時代なら小型のノートPCを使って同じことをする人もいるかもしれないね。

ここでつっこまれるかもしれない。

描写とはなんだという話なのに、引用された文のなかに「描写」という言葉が入っている。これでは堂々巡りではないか、と。

たしかにそうだ。私はそう思った。でも、これは質より量の問題なのだ。

文章によってスケッチした人数は、具体的な数字はわからない。しかし、一人や二人ではないはずだ。つまり、ただ一人の人物を前に、描写とはなんなのだ、と考え続けるのではない。何人もの人物を書くことによって、結果的に、描写とはこういうことなのか、という感覚をつかみ取るのだ。おそらく、そうだと思う。

なぜならば、世の中にはまったく同じ人間は存在しない。みんな違うのだから、文章によるスケッチも同じになるわけがない。書き分けなければならないのだ。「きれいな人」とか「怖そうな人」とかそういう主観的な言葉はすぐに尽きてしまう。その人物が他の人々とどう違うのか、その人物をその人物たらしめている要素を見つけ出して書いていかねばならない。

この井上夢人氏の話ができすぎているなと思ったのは、外見だけではなく「彼や彼女がどういう人間であるか」までも書いている点だ。私のような小説家志望では絶対に思いつかないようなことを、さらりとやっているのだ。小説における描写とは、人物の外見を読者に正確に伝えることではない。どんな人間なのかを読者に伝えるのである。(と、小説の書き方の本には書いてあるよね)

今、小説家志望で、こういう人物スケッチをやっている人っているのだろうか。

私はヒキコモリニートなので、無理です。

 

描写がよくわからない

投稿日:2009年02月11日(水)

作文も小説も描写が大切。

これは最近覚えたことだ。作文の書き方の本にも、小説作法の本にも、プロ作家の経験談にも、必ず「描写が大切」と書かれている。しかし、肝心の「描写」とはいったいなんなのかよくわからない。

言葉の意味をはっきりさせてみる。広辞苑ではこう解説されている。

びょうしゃ【描写】
書き写すこと。特に文芸・絵画・音楽など芸術的制作において、物の形体や事柄・感情などを客観的に表現すること。「心理―」

怖ろしく難解なことをさらりと説明している。

この解説のなかでもっとも大切なのは「客観的に表現する」の部分だ。いじわるな読み方をすれば、主観的に表現されたものは描写ではないのか、と思ってしまう。

さあて、難しい。どうにもこうにも難しい。

まず、客観とは何か、主観とは何か。この二つの語が理解できないと、「客観的に表現する」の意味もわからない。困ったことに、なまじ小学生ぐらいで「客観的」なんて言葉と頻繁に接するものだから、わかったつもりになってしまっている。

客観的を広辞苑でひいてみる。
きゃっかんてき【客観的】
特定の個人的主観の考えや評価から独立して、普遍性をもっていること。「―な態度」「―に述べる」

顔がひきつりそうになる。「普遍性」とは何か、正確に理解できている自信はない。これも広辞苑でひく。
ふへんせい【普遍性】
(1)すべてのものに通ずる性質。
(2)すべての場合にあてはまる可能性。一般性

このあたりで妥協しないとキリがないか。

とにかく「客観的に表現する」というのは途轍もなく難しいのだ。

作文にしても小説にしても、それを書いているのは自分自身である。特定の個人というやつだ。その自分自身の、ある対象を見たときの考え方や感じ方が「主観」だ。

だから、何かについて書くとき、自分の考えたことや感じたことをそのまま言葉にして並べたのでは「描写」にはならないということになる。

具体的に例をあげるなら、遠足の作文で「とても楽しかった」とか「うれしかった」とだけ書くのは、描写ではない。これは言葉の置き換えの問題ではないから、いくら語彙を増やして、「とても愉快だった」とか「このうえない喜びが沸き上がってきた」とか書き換えてもダメなのである。

これが、小説となるともっと難しい。

なんせ、小説は自分の頭のなかで創り出す虚構なのだ。こってこての主観の塊だ。描写するためには、その主観の塊を容赦なく解体して、誰にでもわかるように再構築しなければならない。それが、「描写」というやつではないか、と最近考えている。

例を書いてみた。
錦鯉太郎は日本史が苦手だ。彼はテストの点が悪くていらいらしていた。

これは、描写じゃないと思う。説明ってやつかな。

別の書き方をしてみる。
錦鯉太郎は学生鞄のなかから、一枚の紙切れを取り出した。日本史の答案用紙だ。右上には29という数字が赤ペンで殴り書きされている。しばらく眺めてから、彼は答案用紙をくしゃくしゃに丸めた。

これは描写だろうか。冗長な説明だろうか。よくわからない。わからないけれども、描写しろと言われたら、上のように書くのが今の自分の限界だ。


ぜんぜん関係ないけど、高校時代、あまりにも日本史が苦手だったので、あるとき鉛筆を転がして回答を選んでみたら、普段よりも点数が高かったという思い出がある。「運>知識」かよ。


話がそれた。というか、そらした。

とりあえず、描写についてはまだまだ勉強しないとならないな。ただ、今回はあくまでも文章として考えたけど、描写は「絵」に喩えられることもよくある(言葉によるスケッチ等)から、次はそっちを考えてみる。




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