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ゆっくりと小説を書こう

小説の書き方やお役立ち本などを紹介するBlogです。「小瀬朧」名義で第9回ビーケーワン怪談大賞をいただきました。twitterでtwnovelや短歌などを発表中。

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投稿日:2025年04月19日(土)

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書ける人には書ける

投稿日:2008年12月09日(火)

書けない人には、書けない。

この当たり前すぎるフレーズを反芻していると、やりきれない気分になってくる。小説の書き方とかノウハウとかテクニックとかといっても、書ける人にとってはほとんど意味を成さない。なぜなら、書けるのだから。

書けない人間が抱く淡い幻想は、常に自身の欠落感と同居している。何かが足りない自分をいつも自覚している。自覚しているから、足りないなら補えばいいのだという安直で幼稚な解決策がすぐに思い浮かぶ。そして、その足りない何かを補えたとき、自分は書ける側の人間になれるのだと期待する。まったく、幻想である。

だからといって、私のように諦めているのか開き直っているのか絶望しているのか、曖昧な態度のまま日々を浪費しても、誰も助けてはくれない。こと文章に関しては、文字を並べるという意味においては、誰にでも書けるものであるから、書けないと公言する人間をわざわざ救済する必要などまったくないのだ。替わりはいくらでも、いる。

ところが、そんな達観じみたことを考えながらも、なんだかわからないが自分に対して「書け書け」という声が聞こえてくる。自分の心の奥深くからだ。誇大妄想という言葉がぴったりだとは思うが、ときに本当の「音」になって、鼓膜を振動させているような錯覚にさえ陥る。ああ、強迫観念なんて言葉も合うか。

そんなときどうするか。

今やっているように、このBlogに向かってキーボードを叩きつければいいのだ。

そうすれば、おさまる。
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懐かしい時間

投稿日:2008年12月08日(月)

ここ最近、具合が悪くて保育園で預かってもらえない姪の面倒を見ていた。何億回でもいうが、姪はかわいい。この世に「絶対の真実」があるとすれば、それは私の姪がかわいいということに他ならない。

それはともかく、姪と遊んでいると時間の進み方が遅い。一日が、半日が、1時間が、とても長く感じられる。

これが、もう忘れてしまった子供の頃の時間なのだ。年を取るにつれ、時間の進み方は早くなる。もちろんそれは主観の問題ではあるが、個人が感じる時間について客観性を持ち出す必要はない。当たり前だけど。

最近の、ヒキコモリニートになってからの一日は、子供の頃の1時間ぐらいにしか感じない。朝起きて、ぼーっとしていると、もう夜だ。それを何百回と繰り返していたら、あっという間に中年になっていた。

今日は一日をたっぷりと堪能した。とても長かったが、普段の1週間分ぐらいの密度はあった。絵本を読んで、テレビの子供番組を見て、おやつを食べて、庭で落ち葉を拾って、お昼を食べて、スーパーに出かけて、帰ってきたらまた庭で遊んで、家のなかに入っておやつを食べて、また庭に出て、今度は近所の公園にまでお散歩して、帰ってきたら子供番組を見ながら寝てしまって、やっと夕方になったらママが迎えに来て――。

おいちゃんおいちゃん
だっこだっこ

姪がいる限りは、私は生きていられる。

タイヤがパンクすると自動車は走れない

投稿日:2008年12月06日(土)

どこかが、何かが、劣化していく毎日。世界は消耗品の塊からできているのだ。

なぜ私の車は左後部タイヤがいつもパンクするのだろうか。毎日の走行パターンがほぼ一定だから、その経路に何か問題があるはずだが、またネジが刺さっていた。誰かネジをばらまいているのか。

とはいえ、異物が刺さったままならタイヤの空気は完全には抜けきらないのである程度は走れる。早速、24時間営業のスーパーへ朝7時過ぎに出かけ、パンク修理キットを購入した。

パンク修理キットは、パンクを自分で修理できるキットだ。キリのような道具とゴムでできた栓と接着剤がセットになっている。タイヤから異物を抜いたらその穴をキリのような道具でねじ広げ、そこにゴムの栓を挿入するらしい。ゴムの栓は4本あるので、失敗しても4回まではチャレンジOKだ。あるいは、タイヤ4本は直せるのだから、同じようにパンクで困っている友人を助けることができる。一応友人はただ一人いるので、そいつに聞いてみてパンクで困っていないなら、それでおしまい。なんだかな。

で、買ったのはいいけれども、なんだか億劫で直す気になれない。ろくなことが起きない日常に住んでいると、こういうちょっとした嫌なことに出会っただけで、頭から布団をかぶって寝てしまいたくなる。それは文字通りの行動だ。そして、私を律する人間がいないので、常に実行される。つまりは、今から私は寝る。

ああ、目なんか覚めなきゃいいのに。

面白さってなんだ

投稿日:2008年12月02日(火)

面白さってのは、読者として楽しむ分には、理屈ではない。当たり前だけど、面白いというのは突発的に沸き上がる感情だ。頭のなかで論理的に考えた結果の感情ではない。むしろ、あとから「なぜ面白いと思ったのだろう」と理屈を考えたりする。

面白さってなんだろうといつも考えてはいる。ジャンルを超えた面白さの共通点としては「意外性」が挙げられるのではないか。「予想外」もそうか。「意外性」と「予想外」がどこまで同じ意味になるのかは、まだちょっと言葉の定義を厳密に調べていないからいい加減だけど、まあだいたい同じじゃないかな。

自分は怪談ばかり考えて書いているが、怪談の面白さもやはり「意外性」のような要素だと思う。いや、ちょっとニュアンスが違うか。怪談の場合は、普段のまったく何気ない日常にふいに現れる怪異が「意外性」に該当するか。あるいは、ちょっとした奇妙な出来事によってこの世界そのものの見え方が変わってくるとか。「あなたは知らないだろうけど、実はね……」という形式で語られるのも怪談の範疇に入るだろう。単なる錯覚や見間違いでは片付けられない(読者が、だよ)、現実世界に打ち込まれた楔のようなもの、それが怪談の面白さだと思う。オバケだのユーレイだのが怖いって思う本質もそこにある。

ただ、冷静に考えてみると、実は当たり前すぎることかもしれない。なぜなら、そもそも「物語」として切り取られる「世界」というものは、何らかの「意外性」や「予想外」があるからだ。ようするに、「意外性」も「予想外」もない世界は最初から「物語」として選択されないということだ。仮にあるとすれば、それは「物語」ではなく、ただの「実録」だ。

なんとなく、今、すごく奇妙なことを書いたかもしれない。「物語」と「世界」のどちらが先に存在するのだという疑問が沸いてきた。

洗濯機が壊れると洗濯ができない

投稿日:2008年12月02日(火)

壊れた洗濯機では洗濯ができない。洗濯ができないというのは、困る。洗濯物がたまってしまうからだ。

2週間はコインランドリーに通った。夜になると母と一緒に、病院の横にあるログハウス風のコインランドリーに行った。近くにコンビニがあるから、洗濯の待ち時間に肉まんや唐揚げを買った。薄暗くてぼんやりとした病棟がそびえ立つのを眺めながら食べる肉まんはけっこううまかった。

肉まんや唐揚げはうまくても、毎日コインランドリーに通うのはお金がかかりすぎる。乾燥までできる全自動が800円するし、乾燥なしの洗濯だけでも400円はする。当然、新しい洗濯機を買おうという話になった。

買った。

半年前にオープンしたばかりの家電量販店で全自動洗濯機が17800円だった。配送料も無料だった。安くてよかった。ついでに携帯電話も安くなっていたので買った。らくらくホン。

で。

洗濯機を設置したり携帯電話に電話番号を登録したり姪の写メを撮って待ち受けにしたりで丸一日つぶれた。

ところが、洗濯機を設置したのはいいけれども、最後の最後に水道につなごうとしたら、給水ホースの長さが足りなかった。洗濯機に付属の給水ホースは0.8mだが、うちの水道の蛇口までは2m近くある。ぜんぜん足りない。

それに気づいたのが、姪が帰ってからの夜9時ごろだ。父も母も私も姪と遊ぶのに夢中で洗濯機のことなんかどうでもよかったのだ。ホースの長さなんかぜんぜん考えていなかった。

けっきょく、コインランドリーに行った。

帰りに24時間営業のスーパーで延長用の給水ホースを買った。

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プロフィール

HN:
小瀬朧
性別:
男性
自己紹介:
創作怪談、twitterの短文小説#twnovel、短歌など。
メールでのご連絡は benzine100@gmail.こむ スパム対策なのでこむをcomにかえてください。 


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