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ゆっくりと小説を書こう

小説の書き方やお役立ち本などを紹介するBlogです。「小瀬朧」名義で第9回ビーケーワン怪談大賞をいただきました。twitterでtwnovelや短歌などを発表中。

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投稿日:2025年04月20日(日)

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わかっていなくても同じになる不思議

投稿日:2008年09月24日(水)

小説とはなんぞや、と頻繁に口にするわりには、書いた文章はみなどこかで見たようなものになってしまう。

小説がいったいどういうものなのかわからないそぶりをしているのに、書こうとすると、無意識なのかも知れないが自分のなかにある「小説とはこういうもの」というガイドに忠実に従ったものになる。単にオリジナリティといった相対的な問題ではなく、自分のなかにある文章を生み出す根幹が機械化にも近い無機的な作用の連鎖になっているという重大な事実だ。

機械化なんて言葉を安易に使ってしまったが、つまりは、ある現象を見てそこから引き出される言葉が、ある程度の条件で分岐するとはしても、用意されたルールに基づく有限の選択肢からの選択にすぎないということだ。用意されたルールとは、今自分が生きている時代、社会に他ならない。広い意味でも、狭い意味でも、だ。それを自覚できるのは過去をふり返ったときか、自分が属していたコミュニティから外れたときぐらいのものだろう。そのときになってはじめて、自分が奇妙な思い込みにとらわれていたことに気づくのだ。

もちろん、型を身につけるということは大事だ。型を破るためには型を身につける必要がある、なんていう言葉はもう何億回も言われた常套句になっている。しかも、警句であるはずなのにどこか甘い匂いに充ちている。そうですよね、まずは型を身につけないとなりませんよね、やれやれ、しかたないなあ、それでは小説の型を身につけることとしましょう、さあ、小説のパターンを勉強するぞ! 

独創性の追求を放棄するにはこれほど都合のよい言葉はないだろう。

ところが、だ。こんなことは誰でも思いつく。あなたも、普段から気づいているし考えている。実際に、小説家志望の方々の日記などを見ていると同じ悩みを持っていることがよくわかる。大多数から抽んでるための思考がすでに大多数に属しているという、悲しい現実を見る。向いている方向をいくら変えたって、立っている地平は同じなんだよ、と。

というわけで、ここまで書いたって、何も解決はしていないし、読者にとって有益な情報も何もない。このBlog自体、自分に対する宣言のようなものだからね。

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BOOKOFFと消しゴム

投稿日:2008年09月21日(日)

BOOKOFFのヘビーユーザー(?)に消しゴムは欠かせない。

ヘビーというほど大量に買い込んでいるわけではないけれども、わりと頻繁にBOOKOFFを利用しているつもりだ。とにかく105円で本が買えるのはありがたい。しかもBOOKOFFのシステムなら本の価値に関係なく一定のルールで105円になるのだから掘り出し物が見つかることも多い。

ところが、なぜか俺の行くBOOKOFF(2店舗あるけど)でそういう本を買うと凄まじい量の書き込みや線引きがされていることが多い。先に書いておくと、俺は書き込みされた古書でもかまわない。売るなとは言わない。書き込みされているぐらいで貴重な本が買い取り不可、結果として廃棄されるのではもったいない。かといって、他人の書き込みが気にならないのではない。せめて50円ぐらいにしてくれないかな。

最近買った本も、そのほとんどに鉛筆で線引きがされていた。ジャンル的に同じ本なので、たぶん同一人物がまとめて売ったのだと思う。フリーハンドで引かれた線の脱力具合が同じに見える。ぐにゃーっと、だらしねぇ。それとは別に、定規を使ってまっすぐに線を引いてある本もあるから、なんだろう、このBOOKOFFの近所には線引きが好きな人が多いのだろうか。

とはいいつつも、岩波のショーペンハウエルのある一冊を見つけて、何気なく中を見たら尋常じゃない量の書き込みがそれこそもうびっしりとされており、タイトル的にも何かやばい気配を感じてしまって買えなかった。あれはやばい(『~について』シリーズで暗そうなタイトルのアレ)。アレにあれだけ書き込みをした元の持ち主はその後どうなったのだろう。何を学んだのだろうか。

そんなわけで、今も消しゴムを傍らに置きつつ読書している。

クスリの力でわけわからない

投稿日:2008年09月20日(土)

昨日の夜、ついにクスリを飲んでしまった。風邪薬だけど。

強烈な眠気と覚醒感が入り交じった妙な感覚におそわれて、Blogにはわけのわからないことを書き殴っているし、布団に入ってからも寝ているのか寝ていないのかわからない状態が長く続いた。風邪をひくといつもこうなる。やはり身体と心は密接に関連し合っているようだ。身体と心を単純にわけることはできそうもない。身体を失って心だけが残っているという状態は現実には無理なのかも知れない。むう。

とにかく書くということの大切さがわかってきた

投稿日:2008年09月20日(土)

物書き連中はとにかく他人と違うことを書こうと必死だ。他人と同じことしか書けないのでは存在する価値がない。これについては、感情的には反発したいけれども、他人事だと考えれば「当然じゃん」と思う。

純朴な考え方をするなら、まったく同じ人間なんていないのだから100人いれば100通りのものの見方があるはずだ、ともいえる。ところが実際はそうではない。不思議と多数と少数にわかれてしまう。物書き連中はそれをよくわかっているから、自分自身が多数側、つまりありきたりで陳腐とされる側にならないように細心の注意を払う。

多数と書いたが単純に数字の話ではない。ある事についての多数というのは「同意」「反対」の両方だ。少数というのはそのどちらにも属さない、かといって中立でもない別の何かだ。

これはネットにおける、ある出来事に対する反応を見ているとよくわかる。仮に「同意」が多くいたとする。うかつな物書きはここで安易に「反対」側の意見を書いたりするのだが、実はそれも多数であることにかわりないのだ。同じ地平に立っている、と言えばいいのかな。向いている方向が違うだけで、全体としてプラスマイナスで一つにまとまってしまう、そんなイメージか。

ここで、プロの物書きだったら、まったく別の何かを示すと思う。さっきから「何か」と書いているのは、それが素人の俺らには目にするまでは想像もできないからだ。ありきたりでもひねくれものでもない、より高次の何かだ。

ただ、自分で書いておきながら、この自分の考えは全力で否定したい。別に分裂しているわけじゃあない。否定するために書いたというのに近い。書いたことによって、自分自身の陳腐さがよくわかる。

そしてこれは小説でも同じだと思う。自分の頭のなかで大事にかわいがっているものを、外の世界に放り出すのだ。放り出すためには、とにかく書くのだな。日の光にさらされて、輝くのか腐るのか。それを見ろということか。なんとなくわかってきた。


価値観の逆転

投稿日:2008年09月20日(土)

ショートショート的な、いわゆるひねりとオチがキモとなる物語において「価値観の逆転」は基本的な手法だと思う。「視点の逆転」ともいえるかもしれない。俺は藤子・F・不二雄先生のファンなので例をあげるのも先生の作品になってしまうが、たとえば「ミノタウロスの皿」では牛と人間の立場が入れ替わった星の話、「気楽に殺ろうよ」では食欲と性欲の社会的価値が逆転した平行世界の話だ。ちなみに、先に言っておくと、俺は冒頭で書いた「ョートショート」というものが好きではない。「ひねりとオチがキモとなる物語」が好きではない。遠回しに、何かを牽制しているわけだが、そちらはそちらであまりに支持者が多いのでなるべく喧嘩は売りたくない。俺は藤子・F・不二雄先生の作品については、安っぽい響きのある「ショートショート」を超えた次元にあると思っている。同時に、文字だけの小説には不可能な、マンガだからこそ表現できる(この言い回しがすでに陳腐きわまりないが)世界を支持したい。世界とは、最近だったら、空気といったほうがしっくりくるかもね。小説で表現できる空気と、マンガで表現できる空気はまったく違うものだ。

話がそれてしまった。

何が言いたいかというと、「価値観の逆転」で作られた作品は慎重に吟味しないと他人のアイデアとかぶってしまうということだ。今書いている文章は自戒も含めているが、わかる人にはわかるだろうけど、今騒がれている某作品のことだったりもする。タイトルを書くと検索でやってくる人がいて困るんだ。検索でやってくる人というのは、別にかまわないけど、ときにひどく短絡的な感情でもって持論や怒りをぶつけてくるから、怖い。ついでにいうと、俺はどっち(渦中の小説家と漫画家)のファンでもない。俺は藤子・F・不二雄先生の作品と魔夜峰央先生の作品さえあれば残りの人生を楽しく過ごせる。ちなみに小説だったら花村萬月先生だけど。

最後にとんでもなく酷いことを書くが、ショートショートという概念が世の小説家志望たちにある偏った小説観を与えてしまっていることについては、誰か何か書いていないのだろうか。

 
※※※

追記というか、ここまで書いておいて自分がとんでもなく重要なことを忘れていることに気づいた。藤子・F・不二雄先生の短編は最初から大人を意識して描かれたものが多いということだ。純粋に物語の面白さを子どもたちに伝えようとする行為と、社会風刺や問題提起を含めたメッセージ性を同列に語ってはいけないだろう。ああ、うまく言えねぇ。というか、これがうまく言えたら俺はこんなところでくすぶっていない。

※※※

また追記というか、いつもだったらこういうのは消してしまうのだが。「ショートショートの概念」なんてさらりと書いてしまったけど、概念とか言い出すならまず真っ先に俺自身がショートショートの本質を何かつかんでいるのかと自問せねばなるまい。他人にとやかく言う前に、まず省察せよ、か。だったらおまえ書いてみろと言われてもすみませんごめんなさいと謝るしかないのだから。あー、ここでビシっと自作を呈示できたら最高にカッコイイんだろうなあ。だから小説家に憧れる人がおおいのかもしれない。

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小瀬朧
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自己紹介:
創作怪談、twitterの短文小説#twnovel、短歌など。
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