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ゆっくりと小説を書こう

小説の書き方やお役立ち本などを紹介するBlogです。「小瀬朧」名義で第9回ビーケーワン怪談大賞をいただきました。twitterでtwnovelや短歌などを発表中。

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投稿日:2025年04月20日(日)

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おばさんだったら俺はおっさん

投稿日:2008年09月16日(火)

マクドナルドのレジ前付近に立っていると知らないおばさんが声をかけてきた。すみませんが並んでいるんですか、と。俺の立ち位置がレジに並んでいるのかいないのかあやふやだったらしい。デブは無駄に空間を占有するから困る。無自覚でごめんなさい。

するとその知らないおばさんは俺の顔を見るなり「○○君だね久しぶり」という。俺はこんな小柄でふくよかでステキなおばさんに知り合いはいないから困った。あるいは以前いた会社のパートさんだろうか。それとももっと昔の、アルバイト時代にお世話になった人だろうか。そういえば農協でバイトをしたときはおばさんだらけだったなあ。もしかしたら暇を持て余したマダム(正しい使い方わからんねこの言葉)が新しい玩具として俺に目をつけていたのかもしれない。なるほど、普段誰かに見られている気がするのはこのおばさんが雇った探偵なのかもしれない。ちくしょう、名前以外に俺のことをどこまで知っているんだ。お金はちゃんともらえるのだろうか。どんな性的嗜好でもって俺は奉仕せねばならないのだろう。俺の腹を構成する脂肪の塊がある種の人々にとっては貴重な肉枕になることは容易に想像できる。俺は俺の腹にその顔を埋めるこのおばさんの姿を想像した。

「ごめん、誰だかわからない」
「えー、ひどい」

あまり股間を刺激しない加齢臭が漂うような妄想はやめにした。名前を聞けば、小学生のときにクラスが一緒だった同級生だとわかった。そういえば昔からこんな体型だった。ふくよかな体型はそれだけで温和な性格をイメージさせる。だから、嫌いではなかった。しかし、忘れられないほど仲がよかったというエピソードはまったくない。酷い言い方をすれは、俺にとってのその他大勢、だ。

「小学校のとき同じクラスだったよね」
「えー、高校も一緒だったよ」

俺はぜんぜん覚えていない。

「昔、バイトも一緒にしたよ」

ホントにまったく覚えていない。俺の記憶力は相当悪いらしい。いや、記憶力の問題もあるかもしれないけれども、小学校も高校も今となっては遠すぎる思い出だ。わかってはいるけれども、同級生の女の子が、野良着が最も似合うだろうなと思わせる雰囲気のおばさんになっているということは、向かい合っている俺は傍から見れば間違いなくおっさんなのだ。田舎のマクドナルドで、久しぶりに会った田舎のおばさんとおっさんが語らいでいる。そんな風景。





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何かを忘れているような感覚を見極めたい

投稿日:2008年09月10日(水)

あまりにも多く使われる言い回しだけれども、これは実際には何が頭のなかで起きているのだろうか。

本当に何かを忘れているのは別として、恐らく誰もが幾度も感じたことがあると思う。夜中、ふと目が覚めた瞬間の、自分が誰なのか、今はいつなのか、ここはどこなのかわからなくなるあの一瞬。ナツメ球のかすかなオレンジ色に照らされながら、自分が何かを忘れているような気がするあの感覚だ。あるいは、夜、家に帰り、誰もいない部屋の蛍光灯をつけた瞬間に自分をおそうあの感覚もそうかもしれない。

この感覚の正体をいつか見極めたい。

呪いには心当たりがある

投稿日:2008年09月08日(月)

どんな文章でも、読者に一番嫌われるのは不平不満を書きなぐることだ。どこの誰ともわからない他人の愚痴を喜ぶ人間はいない。どうにもならないことや満たされないものをいくら口にしたところで、なにが変わるわけでもない。でも、自分じゃ書いちゃうんだよね。書きたいから。俺はこりない。反省はしない。

あるとき、ふと考えた。もし、俺が満たされてしまった場合のことだ。小説が書けるようになった、再就職もできた、きれいなおよめさんももらえた、生活が安定した、しあわせになった、そうなったら俺はどうなってしまうのだろう。
劣等感の塊だった頃をふり返って、酷い時期があったんだなあと他人事のように思うのだろうか。それとも、自分が体験したことにはすべて意味がある、過去の苦しみがあったからこそ今の自分があるんだ、とちゃちなセラピーまがいの肯定をしてしまうのだろうか。俺はそんな未来の自分が嫌で嫌で堪らない。俺の今の暗い毎日はどうしようもない現実だ。今の俺を踏み台にするな。苦しみを忘れてへらへら笑うな。俺は未来の俺が許せない。明るいところには出させない。光なんか見せるものか。未来のおまえも今の俺と同じ暗い場所にいればいい。

というようなことを、10年ぐらい前によく考えていた。いろいろおかしいけれども、本気だったのだからしかたない。俺は未来の自分を強烈に呪っていた。

10年か。夢はかなっていないし、しあわせにもほど遠いけれども時間的にはもう未来だ。けっきょく、俺は過去の俺の望み通り、何も変わっていない。何も変わっていないというのは実際は嘘で、確実に肉体は衰えているのだから、少し楽観がすぎるかもしれない。それに、人間は同じままでいることはできない。進歩し続けない限りは、劣化しているとみなされる。精神年齢という言葉は嫌いだけれども、つまりはそういうことだ。俺は、若すぎる。

呪いをとくのはあきらめるとして、では今の自分が未来をどう見ているかというと、これが何も見えない。まったく見えない。10年前の自分が見ていたような、呪うべき幸せな自分が見えないのだからどうしようもない。何も見えないというのは、終わりが見えていることを意味するのかも知れない。それとも、さっきから連呼している<見える>という言葉、それ自体が誇大妄想の産物なんだろうか。








辞書を大切にしない話

投稿日:2008年09月05日(金)

本を大切にしない奴は絶対に許さない、というあなたは読まないでね。

高校時代に馬鹿なことが流行った。辞書を水につけてガビガビにするという意味不明の行為だ。俺もやった。真似をしない理由がとくになかったし、自分に劣等の感情を沸き上がらせるだけの勉強が嫌で嫌で堪らなかったので、ちっぽけな反抗にはちょうどいいと思ったからだ。さっそく家に帰ると、英語の辞書を風呂のなかに投げ込んだ。高校入学時に適当に買った幼稚な辞書だ。最初は浮いていたけれども、だんだんと水を吸い込みながら、辞書は静かに沈んでいった。風呂の底でかずかに揺れている辞書を見ると、とても愉快な気持ちになった。

サルベージした辞書はまず水を絞る。辞書を絞る。ぎゅうと絞る。両手で辞書に圧をかけるとマヌケな音を立てながら水が噴き出る。水を絞り出した辞書は、次に重しをのせて乾かす。学習机とセットの椅子を辞書の上にのせた。すると絞りきれなかった水がにじみ出して床を濡らしたので、慌てて俺は古新聞を持ってきて床に敷いた。辞書はそのまま一晩放置する。

けっきょく、辞書は一晩では乾くはずもなく、3日ほど放置した。椅子の下で歪んでいる辞書を見ると、なんとなく罪悪感のようなものを覚えた……というのは、これを書いている今の自分による虚構だ。実際は、なんにも思っちゃあいなかった。ガビガビなった辞書はすべてのページが張り付いているので、めくるというよりはがすかんじになる。辞書のページを一枚一枚ペリペリとはがす。授業中の暇つぶしになった。ただそれだけの意味だったのかもしれない。。

ところで、古い記憶はそれを思い出している現代の自分によって何らかの加工をされている場合がある。よく、思い出が美化されるとか都合の悪いことは忘れるとかいうあれだ。

俺はこの話を書きながら、ある記憶がよみがえった。しかし、そのよみがえった記憶が、本当に俺が体験した事実なのか、それとも今の自分が話のつじつまを合わせるために即興で作り上げた<お話>なのか判然としない。それでも一応、書いてみる。

それはこういう記憶だ。

辞書を水につけてガビガビするという行為は、部活の先輩の真似だった。その先輩は学年でトップレベルの成績だと噂されていた。天然パーマと丸めがねが特徴だった。顔つきはどこかエキゾチックだったが、生まれは俺と同じ田舎で農家の長男だった。英語がぺらぺらの先輩は、部活が始まるまでの少しの時間、グランドピアノの上に英字新聞を広げて読むのが日課だった。その姿は同性なのになんとなく性的な魅力さえかんじた。横で眺めていると、ときどき英字新聞の一部分を指さしながら「ねぇ君、ここの英文の意味がわかるかい」と問題を出してくる。わかりませんと答えると、先輩はとても優しく丁寧に単語や構文の意味を教えてくれた。俺はなんだかそれがとてもうれしくて、だから先輩が好きだった。

その先輩が持っている英語辞書が、ガビガビだったのだ。風呂につけて重しをのせて乾かすという手順も、その先輩から教わった。先輩に憧れているのは俺だけではなかったので、他の皆もならって真似た。そして、これが俺の記憶のねつ造なのか、事実なのかもうわからないのだが、なぜ辞書をガビガビにしてしまうのか先輩はこう説明していたと思う。

「張り付いたページをね、一枚一枚はがしていくんだよ。はがしながら、そのページに載っている単語を読んでいくんだ。全部のページをはがし終えたとき、全部の単語に目を通したことになるんだよ」

ほんとうにこんな話が、あったのだろうか。









 

やっぱ根性だす

投稿日:2008年09月04日(木)

さっき、本は眠くなるとか書いてしまったが、今日は根性出して一冊何か読み切る。これは宣言だ。まったくこの世界では怠惰であることがなによりも重い罪だ。あれ、さっきは貧乏が罪とか書いていたような。まあ、とにかく怠惰、なまけものであるとまったく本当に誰からも同情されないどころか、わけのわからぬ通りすがりの人間にまで石を投げつけられる始末だ。あるとき散歩をしていたら知らないケットラ(軽トラックの悪意を込めた蔑称)がおもむろに俺の前にとまり「なんだその腹は」と俺のデブ腹を指してまた走りさっていった。仮に、こいつに俺が手を下した場合、罪に問われるのは俺だ。

ともあれ、本だ。今日は何か本を読み切ってみせる。理解なんかしなくてもいい。最初から最後まで文字を目で追うだけでいいのだ。

はじめ。

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プロフィール

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小瀬朧
性別:
男性
自己紹介:
創作怪談、twitterの短文小説#twnovel、短歌など。
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