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ゆっくりと小説を書こう

小説の書き方やお役立ち本などを紹介するBlogです。「小瀬朧」名義で第9回ビーケーワン怪談大賞をいただきました。twitterでtwnovelや短歌などを発表中。

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残照 余映 たそがれ かわたれ

投稿日:2009年03月21日(土)

吉村昭の作品に残照という言葉を使った表現が出てくる。残照の意味は広辞苑によるとこうだ。
ざんしょう【残照】
日没後、なお、空に照りはえて残っている夕日の光。

好きな人がたぶん多い言葉だよね。

これが小説内ではこのように使われていた。とりあえず二箇所で見つけた。

まず「透明標本」に出てくる表現。人体の骨標本を造る主人公が、人間の骨に固執するようになったきっかけを、彫金師の義父の存在に結びつけようとする場面の始まり。
 その義父の生涯にとって、関東大震災の起きた後の一月ほどは、おそらく残照にも似た華やかな意義をもった日々であったのだろう。
 

震災後の焼け跡から盗み出した死体の骨で彫り物をする義父を思い返している。

もうひとつ「非情の系譜」より。葬儀屋を営む「私」が関わった貧困家庭の十七歳の娘を囲おうと決心する場面。
 私は、時折、うつろな眼をして考えこんでいる自分を発見するようになった。五十歳を超した私の前には、一年一年、年齢を重ねてゆくにつれ金銭だけを露骨にもとめる女だけしか現われてこないことが予想され、その上、私は女たちに無惨にも裏切られつづけてゆくだろう。すでに人間としての黄昏は近い。もし残照の余映が自分の周囲にまだ残されているならば、私はそれを確実に握りしめなければいけないのだ。

それまでは憐憫の情で金銭的援助をするだけだった「私」が、この後、十七歳の娘を女性として抱くようになる。

ついでに、黄昏はたそがれ。ある種の人にとっては切実な意味を伴って聞える言葉だったりする。
たそがれ【黄昏】
(1)「たそがれどき」の略。
(2)比喩的に、物事の終わりに近づき、衰えの見える頃。「人生の-」
 

結果として黄昏の日々を生きていることに気づいたんですが、ぼくの夜はいつくるのでしょうか。

余映はよえい。
よえい【余映】
あとに残っている輝き。余光。
 
寂しい気分になってくる。

どうせなら黄昏の語源についても調べてみる。三省堂の『何でもわかることばの知識百科 』ではこう説明されている。
黄昏
夕暮れ。夕方の薄暗いとき。古くは「誰そ彼」と書き、人のさまの見分けにくいときの意をいった。これから夕暮れ時をさすことばに転じた。一説には、農夫が田から退いて宿に帰る意で、田退(たそかれ)の意とするものもある。

もう一冊別の本の解説も見てみる。高橋健司『季節のかたち 』にはこう書かれている。
黄昏
夕暮れて暗くなると、人の顔が見分けにくい。そこで「誰そ彼は」が「たそがれ」になった。朝方の暗い部分は「彼(か)は誰(たれ)時(どき)」を略して「かわたれ」といい、両者を使い分けた。

黄昏はよく耳にしても、かわたれはあまり聞かないような気がする。広辞苑をひいてみる。
かわたれ
「かわたれどき」の略。

というわけで「かわたれどき」へジャンプ。
かわたれどき【かわたれ時】
(薄暗くて、彼は誰か、はっきりわからない時の意)明け方または夕方の薄暗い時刻。後には夕方の「たそがれどき」に対し、明け方をいった。かれはたそどき。

広辞苑の解説だと、昔は夕方も指していたようだ。

稲垣足穂の「彼等」という小説に、主人公がこの「かわたれ時」という言葉を知った経緯を説明する場面がある。
 港口正面の堀割の岸にある彼女の家は、荷揚場の往来から、それに平行した町中の本町通りまで続いているぐらい広大で、従って上部に釘の並んだ黒板塀に添うてぐるりを一巡してみても、いったいどの辺に彼女の居間があるのか、見当などは付けられないのだった。「かわたれ時」という言葉を少年雑誌のページで知ったのは、この頃の話である。黄色い薄暮の高い窓辺から往来を眺めている少女の物語の中に、私は「かわたれ時」という言葉を発見した。夕暮には行き交う人々の顔がぼやけて、「彼は誰であるのか?」と疑われるところからそう云われるのだ、と家の書生が教えてくれたが、当初、かわたれという奇異な語音の中には、河童の連想があった。それにこの刻限は、すでに知っていた「逢魔ヶ時」と一致するのであったから、私は、夕方に歩いていると覚えもつかぬ区域に自分が紛れ込んでしまい、どこが入り口なのか判らぬような大きな屋敷の高い窓辺に、赤沢さんめく幽閉少女の白い顔を認めるような気がしたものである。
(稲垣足穂「彼等」より)

小説内では夕方を示す言葉として出てきている。

同時に出てきている「薄暮」と「逢魔ヶ時」のどちらも夕方を指す言葉だ。広辞苑をひいてみる。
はくぼ【薄暮】
薄明かりの残る夕暮れ。くれがた。たそがれ。ひぐれ。「-ゲーム」

おうまがとき【逢魔が時】
(オオマガトキ(大禍時)の転。禍いの起る時刻の意)夕方の薄暗い時。たそがれ。おまんがとき。おうまどき。
 

夕方は特別な時間なのだろう。


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無題

残照、黄昏、夕日。そんな言葉を聞くだけで、奇麗な映像がありありと浮かんできます。自分は、瞑想をするときによく使う映像です。
 きっと、何時の時代も、そんな空を見ていたに違いありません、
 もしかして、生まれるまえでさえも・・・・。

>>uenoさん

uenoさんこんにちは。

過去に二回、怖ろしいほどに美しい夕暮れを見ました。いや、美しい、というのは違うかもしれない。本当に心のそこから、恐ろしさが沸き上がる、そんな空でした。

ただ、その夕暮れ空が、そう見えたのは、自分の精神状態によるのかもしれません。次に見るときは、本当の黄昏かもしれません。

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