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ゆっくりと小説を書こう

小説の書き方やお役立ち本などを紹介するBlogです。「小瀬朧」名義で第9回ビーケーワン怪談大賞をいただきました。twitterでtwnovelや短歌などを発表中。

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投稿日:2017年12月13日(水)

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小学生や中学生の

投稿日:2009年03月23日(月)

学校生活や日常生活を小説に書こうとすると、どうしても自分の年代を参考にしてしまう。昭和やよくても平成初期の小中学生ということだ。

リアリティって、なんだろう。

たとえば、ケータイの存在だ。これは自分が小中学校(高校もだけど)のときはまだなかった(一般にという意味ね)。ポケベルさえも、流行する前だったから、友人に連絡を取るには家庭の電話を使うしかない。留守だったら、アウト。もうどこにいるかわからない。

学習塾も未知だ。これはいまだに信じられないのだが、今では小中学生の多くが学習塾に通っているのだ。私が小中学生だった頃は、田舎なのでそもそも学習塾自体がなかった。が、最近は我が家の近所にまで学習塾ができた。果樹園に囲まれた農村地帯にまで学習塾があるんだぜ。夕方や夜遅くになると自転車に乗った小中学生や送り迎えのクルマで家の裏の細い道がごった返す。ちなみに、通塾率は下のURLで数字が出ている。平成十五年の数字らしいけど、中学生の通塾率は想像以上に多かった。

※参考:中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会教育課程企画特別部会(第2回)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/016/siryo/04092801/003/002.htm


で、リアリティの話になるけど、小説にアイテムとしてケータイぐらいは登場させられる。しかし、使い方やコミュニケーションの内容にリアリティがあるかは謎だ。学習塾については、まったく意識していない。もしかしたら、学校が終わって塾に行かない登場人物たちは、現実の小中学生から見たら奇妙なのだろうか。しかも、悪いことに、私の年代では学習塾に通う学生というのは金持ちとかガリ勉とかそういうイメージが強い。中学のとき、わざわざ街の学習塾にバスで通っているという生徒がいて、変わり者だなあと囁きあった記憶がある。そんな感覚で学習塾を登場させたら、やっぱり現実の小中学生から「はぁ?」と思われるのだろうか。

逆に、それなりに調べて今風の小中学生を書いたとして、今度は作者と同年代の読者から「なんだこれは」と思われないかということだ。さすがに、小学生がケータイを持っている場面を書いてそれに違和感を覚える人はいないだろうけどね。

そういえば、昔、金八先生やその他学園ドラマ(?)が流行った頃、小学生だったときは「中学ってのは怖ろしいところだ」と震え、じっさいに中学生になってからは「こんな中学生いねーよ」とドラマに突っ込んでいた。

リアリティ、ねえ。

リアリティとリアルは違う。これはいい。現実を書いたからといってそれが即リアリティになるとは限らない。また、自分にとって嘘だからといってリアリティがないとも言い切れない。あれ? でもそうなると、リアリティとは何かをもっと考えないとならないのかなあ。

万人にとってのリアリティなんてありえるのだろうか。ありえるか。たとえばSFやファンタジーの世界は、現実ではないという意味では嘘の塊だけど、リアリティがあるかないかはまったく別問題だよなあ。

本当っぽい嘘という意味でのリアリティなのかなあ。

よくわからんなあ。


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リアルティとは?

 仮に、こう考えてみればどうでしょうか?
 この世に、存在するのは錦さんだけです。錦さんの視界にあるもの、起こること、すべて錦さんが作り上げた幻想です。ですから、錦さんが目を一旦、瞑ってしまえば、一瞬で、消え去ってしまうでしょう。
 
 現象学では、このように考えます。
 
 私も、小説を書くうえで、リアルティに悩んだことがあります。学校風景を書くに当たって、今の子どもたちの視線が気になったこともあります。しかし、今では、書きまくることによって、しだいに感じなくなっていく自分を発見します。
 
 それは明治期の学校を舞台にした小説を読んでいるときのことでした。
「おお、ものすごくリアルティを感じる。しかし、それは何故だろう?」
 それは、自分が生まれるはるか昔であって、経験したはずのない異世界だからです。その疑問は、やがて「どうやってリアルティを感じているのだろう」という問いに変わっていきました。少し、考えて、「過去の自分の体験を、ジクソーパズルみたいに分解して、そのピースを、未知の世界に当てはめて、自分でリアルティを感じているにちがいない」と思ったのです。
 
 同じように、どうあがいても、今のこどもたちの世界を体験することはできません。しかし、リアルティというものを作りだしているのは、個々の想像力であると悟ったとき、それに悩むことの無意味さを実感させられたのです。

>>uenoさん

uenoさんこんにちは。

作者である私が立っている場所からは、私にしか見えない世界が広がっているのですね。

現実の要素(上で書いた例なら、ケータイや学習塾)をふんだんに採り入れればいいのかな、と考えていたのですが、それは本質ではないということですね。

考えてみると、古い時代の小説に登場する学校なんて、体験したことはもちろんなく、自らの知識としても怪しい。それでも、文豪の書く学校の様子や学生像が嘘くさいと思ったことはありません。そこに描かれた情景が、どこまで当時の現実だったかもわからないのにです。もしかしたら、作家が創り上げた完全な嘘かもしれない。

実は、もう少しで何かを掴めそうなんです。
しかし、その大まかな姿すら、言葉にすることがまだできそうもありません。当然、まったくの錯覚という可能性もあります。

おそらく、uenoさんのように書きまくることによって、自分にも掴めるのではないかと期待しています。

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HN:
小瀬朧
性別:
男性
自己紹介:
創作怪談、twitterの短文小説#twnovel、短歌など。
メールでのご連絡は benzine100@gmail.こむ スパム対策なのでこむをcomにかえてください。 


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