忍者ブログ

ゆっくりと小説を書こう

小説の書き方やお役立ち本などを紹介するBlogです。「小瀬朧」名義で第9回ビーケーワン怪談大賞をいただきました。twitterでtwnovelや短歌などを発表中。

[PR]

投稿日:2024年04月24日(水)

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

道をやって来る夢

投稿日:2010年02月15日(月)

 非常に幼いころの夢のパターンですが、「○○が道をやって来る」がベースとなった夢は大変恐ろしく、今でも心の奥底で私にとっての恐怖の原型を維持しています。

舞台となる道は我が家の裏にあります。東西にのびる細い町道で、西に数十メートル行けば国道と交差し、東に向かえば遙か遠くに街を見下ろす緩やかな坂道です。

先月、姪と動物園に行って象を見たときふっと思い出しました。夢に間違いないのですが、その道を象がゆっくりとやって来る光景です。ドスンドスンと重々しい足音が鳴り響き、窓から見ると象が鼻を左右に振りながら徐々に近づいてきます。

今思うと何が怖いのか全く理解できないのですが、幼少の私には途轍もない恐怖に感じられたようで、その後ずっと心を痛めていました。枕に耳を押しつけると聞えてくる自分の鼓動が象の足音のようで、横向きでは眠れなくなった覚えがあるぐらいです。

ただ、象が怖いわけではありません。「象が道をやって来る」のが怖かったのです。

もう一つ、これはわかりやすいかもしれませんが、御輿のようなモノを担いだオバケの集団がやはり家の裏の道をやってくるという夢です。まだ妖怪や百鬼夜行などという知識はないはずなので、そういう意味でも興味深いのですが、じつにバリエーションに富んだオバケたちでした。

他にも、「溶岩が道を流れて来る」「ゴリラが道をやって来る」「銃を持った殺人者がやって来る」などの夢が記憶に残っています。

共通しているのは「何かを運んで来る」という「道」の持つ機能です。ですから、正確にいうなら「何かが道をやって来る」ではなく、「道が何かを運んでくる」となります。つまり、何か得体の知れないモノを運んでくる「道」に対する恐怖感が夢となっているわけです。

そうか私は道が怖いのか――

とこれを書きながらようやく気付いたり。


あ。


ということは、私がよく見る夢のパターン「どこか知らない道を行く」の意味もわかるような気がします。この場合は、「道が私を運んで行く」と解釈できます。どこか知らない町へ運ばれていく私。一見自分の意志で道を行くようで、実は抗うことのできない力によって流されているだけの私。

ちなみに、以前夢のなかで夢と気付けたとき、道ばたの看板の文字をしっかり読んで記憶に残してきました。青い看板に白い文字で「ムジナムリョウの道」と書かれていました。ああ、ここがあのムジナムリョウの道だったのか、と感慨深い思いに満たされました。まあ夢なので覚めてしまえばそれっきりですが。それにしてもムジナムリョウとはなんだろう?




PR

夢と音 その2

投稿日:2010年01月22日(金)

以前も書きましたが、夢の内容と現実世界の音が稀にシンクロします。

昼寝中に夢を見ていました。私が若手芸人となって沖縄でロケをしている夢です。かなり長い夢で、東京から飛行機で出発する場面が始まりでした。

機中で仲間とわいわい騒ぎ、沖縄に降り立ってからはいろいろな名所を訪れ、最後夕方のロケでゲテモノ料理を食べるという段になりました。

夢のなかで私は駆け出しの若手芸人ですから、ゲテモノ食いにも果敢にチャレンジするわけです。ところが、出てきた料理は皿からあふれ出るぐらい巨大なカブトムシの幼虫で、もぞもぞと不気味に蠢いているのです。

「これは食べられません」
「ダメだ。食べろ」
「カンベンしてください」
「食べないならおまえにはもう仕事をやらん」

結局、私は食べることができず、その場から逃げ出しました。

逃げながら、「そうだ、俺はいつもこうやって逃げてきたじゃないか」と現実世界をうっすらと思い出しましたが、これはちょっとできすぎかな。

仕事を放棄した私は自分のアパートに戻り、薄暗い部屋の隅で酒を飲みながらごろごろしていました。するとそこで電話が鳴りだしました。携帯ではなく、部屋に置いてあった固定電話です。

「きっと芸能事務所からだな。でも、もういいや、無視しよう」

布団を頭から被ろうとしたとき、はっと目が醒めました。

現実世界の電話が鳴っています。

「なんでこっちの世界にまで電話を――」

と一瞬混乱しましたが、電話に出てみると相手は芸能事務所でもマネージャーでもなく、

「新しい保険のご案内ですが、お家の方はいらっしゃいますか?」

ただの保険屋でした。



現実世界の電話の音によって、夢のなかでも電話がかかってきたと考えるのが普通ですが、やっぱり不思議ですね。

現実世界の電話は、夢のどの場面から鳴っていたのでしょう。

あるいは、現実世界の電話の音がすべての夢の始まりで、ほんの数秒の間に見たストーリーでしょうか。

夢と音

投稿日:2009年06月18日(木)

不思議だ。

たった今、私は昼寝をしながら夢をみていた。はっきり覚えている。

友人の家に遊びにいくという夢で、いつも通りの道順を辿っていた。

狭い路地を通り抜け、途中、ライオンそっくりなネコが用水路で水浴びをしている以外は、普通の日常の光景だった。

友人の家につき、チャイムを鳴らす。

チャイムが鳴った。

チャイムを鳴らしたのだから、チャイムが鳴るのは当然だ。

チャイムが鳴っている。

当然だ。

チャイムが鳴っている。

ピンポーン。

妙にリアルな音だ。

……。

目が醒めた。

現実世界の、我が家のチャイムが鳴っている。

宅急便だった。


よくある話だと思うが、これが不思議でならない。

自分の感覚では、宅急便がチャイムを鳴らすよりずっと前から夢を見ていたつもりだ。友人の家にいくという目的で、かなり長い道のりを進んでいた。そして、夢のなかの友人宅で、玄関のチャイムを押したら、ピンポーンと音が聞えた。自然な流れだ。しかし、そのチャイムは、現実世界の我が家でも鳴っていた。

昔からの合理的な解釈(?)では、もちろん現実世界のチャイムが先に鳴っていて、その音のせいでそういう夢を見たのだろうと考えられる。

でも不思議だよなあ。

もしそれが本当なら、チャイムが鳴ってからのごくわずかな時間で、長い夢(夢のなかでは半日ぐらいの感覚)を体験したのだろうか。

電車の夢

投稿日:2009年06月13日(土)

現実の世界にはいないはずの、名前も知らない、しかしとてもよく知っている女の子と一緒に電車に乗っている。

それだけの夢。

二人で毛布にくるまって、笑いあいながら電車に揺られ続ける。

その電車がどこを走っているのか、どこに向かうのかもわからない。

でも、幸せだった。

記憶を引き継いだ

投稿日:2009年05月18日(月)

夢は関係ないんだけど。

起きた瞬間は、自分が誰だかわからない。次々に目に映る周りの景色から、ここは自分の部屋で、朝が来て、今は2009年で、これから朝食で、トイレに行きたいな、小説の続きを書かないと、喉がまだ痛いな、服は何を着よう……ととりとめもなく雑多なことが思い浮かぶ。

今朝、ふと思った。

これって、思い出しているんじゃなくて、たった今生まれたばかりの自分に、昨日までの記憶がインストールされているんじゃないかと。

昨日の自分は、眠るのと同時に死んだ。死ぬといっても肉体が活動を停止する意味での死ではなく、精神というか、自分の意識の死だ。

電源を入れたばかりのパソコンが、ハードディスクに記憶された情報を元に、設定された環境で立ち上がるのと同じなのかもしれない。パソコン本体が肉体で、ハードディスクとCPUが脳、OSが意識になるのかな。

ただ、そんなこと自体は誰でも考えることだろう。『トータルリコール』みたいな、記憶と自分の関係をテーマにした作品もあるし。

しかし、今朝に限っては、妙に実感する。

昨日の記憶を引き継いでいる、新しい自分だ。

その正体はわからないが、心のどこかに、ほんの一点だけ小さな欠落感のような空白があるのだ。何なのだろう。完全に記憶を引き継げなかった部分があるのだろうか。

その空白の場所は、自分の前方左斜め下にある。気づくと、視線がそこをずっと見つめている。

なんなのだ。

twitter

facebook

レコメンド

人気記事

ブログランキング

にほんブログ村 小説ブログ 小説家志望へ

★ブログランキングに参加しています。

カレンダー

03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

プロフィール

HN:
小瀬朧
性別:
男性
自己紹介:
創作怪談、twitterの短文小説#twnovel、短歌など。
メールでのご連絡は benzine100@gmail.こむ スパム対策なのでこむをcomにかえてください。 


バーコード

ブログ内検索

あわせて

あわせて読みたいブログパーツ

アクセス解析

忍者アナライズ

お知らせ