忍者ブログ

ゆっくりと小説を書こう

小説の書き方やお役立ち本などを紹介するBlogです。「小瀬朧」名義で第9回ビーケーワン怪談大賞をいただきました。twitterでtwnovelや短歌などを発表中。

[PR]

投稿日:2024年04月29日(月)

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

~に読み耽る

投稿日:2008年09月12日(金)

「読み耽る」という言葉は危険だ。意味は通じるだろうけれども、うっかりすると「~を読み耽る」と書いてしまいそうだ。最近、これに気づいた。

本に読み耽る、と口に出してみると「に」のところで違和感を覚えてしまう。本を読み耽る、と「を」にしたほうが自然に聞こえる。しかし、正しいのは「本に読み耽る」のほうらしい。かといって、「を」にするのは絶対間違いだという話も見つからない。ネットを検索するかぎり、両方使われているし、疑問に思う声も多くない。

辞書をひいてみると「読み耽る」はそれだけで一つの単語になっている。「読む」と「耽る」の二つがくっついているわけではない。広辞苑によると「読み耽る」は自動詞ということなので、使い方はやはり「~に読み耽る」が正しいようだ。

ここからは俺の勝手な推測だ。

自動詞というと、たしか主語の状態を表す動詞というふうに教わった記憶がある。「読み耽る」の場合は、読むことに夢中になっている状態を表す言葉ということだろう。ここで、「読み」の部分に引きずられて「読む」という行為のほうが重要だと感じると「~を読み耽る」と言いたくなってしまう。本に読む、とは言わないからだ。意識の流れとしては、本を読み、そして耽るというかんじになっているのではないだろうか。耽るためにはまず読まないとだめだろうという理屈も考えられる。その理屈が通用するかどうかは知らんけど。しかし、あくまでも「耽る」のほう、夢中になっている状態を表している言葉なのだと考えれば「~に読み耽る」のほうが自然に聞こえてくるから不思議だ。

こんな会話を考えた。

「彼は夢中になっているね」
「何に?」
「本を読むことに」

いじわるだから別のパターンも。

「彼は夢中になって読んでいるね」
「何を?」
「本を」

あーあ。困った。

さらにもう一つ困ってしまう事実、「耽読」という言葉の存在だ。広辞苑にはこう書かれている。まず「読み耽る」をひいてみると説明のなかに「耽読する」がでてくる。

【読み耽る】 よみふける
《自五》夢中になって読む。耽読する。「推理小説に―・る」

「耽読」をひいてみるとこう出ている。

【耽読】 たんどく
書物を夢中でよみふけること。「推理小説を―する」

「耽読する」の場合は「を」になるのだ。

俺にはよくわからん。でも投げっぱなしもよくないので、また自分なりに解釈するなら、「読み耽る」は「耽る」という状態が主で、「耽読」は「読む」という行為が主なのだろう。もう限界。




PR

ジャポニカロゴスが終わってしまった

投稿日:2008年09月10日(水)

毎週楽しみにしていたのに残念だ。

以前、他人から言葉の間違いを指摘されるのは鬱陶しいと書いたが、あれはS君の話でもわかるように、面と向かって言われると非常に嫌な気分になるということだ。とくにS君の場合は、とにかく俺を貶めるという大前提のもとに俺の言動を観察していたのだからどうにも手に負えない。今思えば、おそらくお互いに高卒社員ということで劣等感の塊になっていたのかもしれない。同じ高卒でも自分のほうがレベルが高いぞ、という底辺の争いだったのだ。

テレビ番組ならいい。いくら言葉の間違いを指摘されようが、他人事のように眺めていられる。そこで自分も間違って使っていた言葉、知らない言葉が出てきたら、へぇと言いながらメモに取ればいいだけのことなのだ。世間一般向けに制作されているから、出題される言葉のレベルも俺にとってはちょうどよかった。本当なら、とんちんかんな答えをいう出演者をせせら笑い、優越感に浸ってもらおうという趣旨のバラエティ番組だったのかもしれないが、俺は笑えなかった。自分もこうやって馬鹿にされまくっているよなあ、という同情に近い気持ちで見ていた。もっとも、それだって演出のうちだし演技も含まれるのだから、あまり本気にはなっていないけどね。

ただ今回の最終回、俺が本当なら今日ネタにして書くつもりだった「足をすくわれる」「汚名を雪ぐ」の誤用がかぶってしまった。番組内にでてきたのだ。もし書いたら「ああ、こいつタモリを見たな」と思われてしまう。いや、実際見ているけどね。

ちなみにどういう誤用かというとこうだ。

×足下をすくう
○足をすくう

×汚名を晴らす
○汚名を雪ぐ

どちらも非常に間違いやすい、というか俺は間違って使っていた。「足下をすくわれる」って、よく口にしていたような気がするし、「汚名を晴らす」もちょっと見たところ間違っているように思えないから危険だ。俺はかなりいやらしい性格なので、Blogで言葉の誤用ネタを扱う場合は必ず検索エンジンを使って、WEB上でどれだけ誤用されているか見ている。「汚名を晴らす」は普通に使われているし、間違いを指摘する声もそれほど多くはない。

汚名を晴らすって、けっこう口にしていたような気がするなあ。でも、S君につっこまれた記憶はないので、やはり底辺の争いだったのだなあ。
 

憤懣やる方ない

投稿日:2008年09月09日(火)

今、本を読んでいて初めてであった言い回し。

「憤懣やる方ない」

なんだろう、これ。

まず、どこまでがまとまった言葉なのかわからない。「憤懣やる」「憤懣やる方」それとも「憤懣やる方ない」で一つの言葉だろうか?

次に、漢字が読めなかった。読み方がわからないと辞書がひけない。漢字辞典で憤懣の「憤」を調べると熟語として「憤懣」が掲載されていた。「ふんまん」と読む。ということは、「憤懣」+「やる方ない」なのか。「やる方ない」なんて言葉もまるで聞いたことがない。

広辞苑をひいてみた。

【憤懣】 ふんまん
いきどおりもだえること。発散できずに、心中にわだかまる怒り。

【遣る方無い】 やるかたない
思いを晴らす方法がない。言いようがない。しかたがない。やらんかたなし。

それぞれの用例に「憤懣遣る方無い」がでているのでこれはワンセットで使う言葉だろう。さらに解説をよくみると「遣る方無い」は形容詞だ。ということは、前回書いたけど、丁寧に言おうとして「ない」の部分を「ございません」に置き換えると誤用になるのかな。丁寧に言うなら「憤懣遣る方無いことです」か「憤懣遣る方のうございます」が正しいのか。この考え方はあってるのかな。なんだか不安だ。

でもこの憤懣遣る方無いって言葉はいいね。俺のいつもの心情にぴったり合うように思える。いつだかの、通りすがりの軽トラックの運転手が俺の腹を指して「なんだその腹は」といってそのまま走り去ったときの気分は、まさに憤懣遣る方無いといえるよなあ。

アイスクリームでもめた夏

投稿日:2008年09月08日(月)

とにかく会って俺が口を開くたびに何かミスを見つけてつっこんでくる友人がいる。俺の馬鹿さ加減を笑うのが彼の生き甲斐なのだから仕方ない。彼は自分のおちんちんを握り、エッチな本を見ながら手を動かす一連の作業を俺に見せつけて喜ぶ人間だけど、知性は俺より上なのだ。

そのHENTAI、違った、友人と遊びに出かけたときのことだ。俺が「暑いからコンビニでアイスクリームでも買おうぜ」というと、彼は「おまえもしかしてアイスクリームの区別つかねんじゃない?」という。俺が「何わけのわからんこといってんの。アイスはアイスだろ。おまえ馬鹿なの馬鹿なの」というと「うわまじやべぇこいつ、アイスクリームは全部同じだとおもってんだ、やべぇ、こいつやっぱ馬鹿だ。まじやべぇ」といつものパターンになった。

彼がいうには「アイスクリーム」という名称が使えるのは、それに含まれるある成分がある基準を超えているものだけだ。その基準に達していないものには別の呼び方があるらしい。

「あっそ。厳密に区別されているならそれ全部教えてよ。馬鹿な俺にさ」
「忘れた。たしかラクトアイスってのがある」
「おまえもわかってねえだろ」
「どっかの誰かさんみたいに区別されていることすら知らない奴は超やばいけどな」

なんだかんだいってこの程度だから、実は俺と同レベルなのかもしれない。類は友を呼ぶって言葉は本当にそうなのかもね。

さて、その「アイスクリーム」の区別だけれども、これは専門のページを見た方が間違いがなくて確実だ。

日本アイスクリーム協会

上記のページへ行けば詳細な資料がある。とりあえず、普段イメージするアイスクリームは「アイスクリーム類」と呼ばれ、含まれる「乳脂肪分」と「乳固形分」の割合によって「アイスクリーム」「アイスミルク」「ラクトアイス」の3つに分類されるそうだ。それら以外のもの、たとえばシャーベットやかき氷は「氷菓」とされている。

彼の言いたいことはよーくわかった。だけど、やっぱ馬鹿だわ。日常生活で「おい、ラクトアイス買おうぜ」なんていうか。いわねぇよ。おまえは野内先生の『レトリックと認識』でも読み直してこい。なんていうと「そんなのとっくに読んだわばーか」と言い返されそうで怖い。泥沼、泥沼。


カーターカーナー

投稿日:2008年09月08日(月)

毎回、俺のちっぽけぶりをアピールするだけのカテゴリだけど、まあいいや。

俺は、俺の知らないカタカナ言葉を使われると腹が立つ。会社時代にムカっと来たのはありとあらゆるところでレジュメとかレーゾンデートルとかコアコンピダンスとかコンプライアンスとかローンチとかわけのわからない言葉が飛び交っていたことだ。そういう言葉がでてくるたびに、その場では「なるほど、なるほど」とわかったふりをして、あとでこっそりカタカナ語の辞書をひかないとならないのだから面倒だった。面倒な上に、ひいてみた単語の意味がひとこと「存在理由」だけだったりすると嫌な脱力感におそわれる。

こんなことを友人に話したら「だからおまえは馬鹿なんだ」ととどめをさされてしまった。正直な人は、好きだ。

その友人とカタカナ言葉で最近また口論になった。俺が「わけのわからんカタカナ言葉使う奴ってアホだろ。なんだよキッチュって。しらねーよそんな言葉」といったら「キッチュなんて普通誰でも知ってます。中学生でも知ってます。だからおまえは馬鹿なんだ」といつものパターンになった。さらに俺が「いやいや、キッチュなんて絶対誰も知らない。使わん使わん。絶対絶対絶対」と言い張ったら「ばーかばーかばーかあほあほあほ」と愉しいことになってしまった。

このやりとりはいつものことだから別にいい。ところが、その絶対誰も知らねーよと思っていた「キッチュ」という言葉が、家に帰ってたまたま開いた本でこれでもかというぐらいに使われていた。俺はへこんだ。どういう偶然だよ。ご丁寧にキッチュという言葉を説明するだけでなく、現代の社会システムを考える上で非常に重要な概念として再定義する内容だった。そうか、そんなに重要な言葉だったのか。今回も俺が一方的に負けてしまった。無念。



twitter

facebook

レコメンド

人気記事

ブログランキング

にほんブログ村 小説ブログ 小説家志望へ

★ブログランキングに参加しています。

カレンダー

03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

プロフィール

HN:
小瀬朧
性別:
男性
自己紹介:
創作怪談、twitterの短文小説#twnovel、短歌など。
メールでのご連絡は benzine100@gmail.こむ スパム対策なのでこむをcomにかえてください。 


バーコード

ブログ内検索

あわせて

あわせて読みたいブログパーツ

アクセス解析

忍者アナライズ

お知らせ