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ゆっくりと小説を書こう

小説の書き方やお役立ち本などを紹介するBlogです。「小瀬朧」名義で第9回ビーケーワン怪談大賞をいただきました。twitterでtwnovelや短歌などを発表中。

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投稿日:2024年04月19日(金)

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コンプレックスと長文

投稿日:2010年02月25日(木)

 劣等感という意味でのコンプレックスです。

自分のことを棚に上げると、たとえば国語の時間、作文が書けなくて苦しみ、以後文章が苦手になりました。責任転嫁も甚だしいのはわかっています。しかし、少なくとも、文章を書く楽しみを教えられた記憶はありません。昭和の時代ですから仕方がないかもしれません。

作文には原稿用紙の枚数制限があります。2枚、3枚と学年毎に増えていきます。制限と書きましたが、じっさいは果てしないマラソンのゴールみたいに感じられて、いったいこれ以上何を書けばいいのかと涙ぐみながら残りの原稿用紙を見つめたものです。

まったくどうしたら「面白かったです」と一言で済む感想を、原稿用紙数枚に引き延ばせるのでしょうか。思ったことをそのまま書けばいいんだよ、と脳天気にいうぐらいなら、まずは自己を見つめるための哲学もしくは瞑想法でも教えたらどうだと思います。自分が何をどう感じているかを言語化するのは、途轍もなく難しいことですから。

原稿用紙1枚を埋めるのにも難儀していた記憶はコンプレックスへとかわり、その結果「長い文章が書ける人間ほど優秀なのだ」と思い込むようになります。その考えが噴飯ものなのはいうまでもないでしょう。それでも、当の本人にとっては切実なのです。

Twitterって、気持ちいいですよね。だって140字でいいのですから。長文を書く必要がないのですよ。ただそれが言いたかっただけです。
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貪り読むとき

投稿日:2010年02月25日(木)

 どちらかというと読書嫌いの私ですが、過去にあるジャンルの本を貪り読んだことがあります。

結論からいうと、これは同じ状況に陥った人間がたいていとる行動のようです。

前も書いたかもしれませんが、ある新興宗教(けっこうカルト)から逃げ出した後、とにかく書名に「洗脳」「マインドコントロール」と入った本を買い集めました。そして凄まじい勢いで読み込みました。

人間というのは、当人が思っている以上に外部からの影響を受けやすく、あたかも自分で選択したかのように錯覚しつつ道を踏み外して行くのです。ちなみに、「洗脳」と「マインドコントロール」は別物です。簡単にいうと、洗脳は外部からの強制力によって考え方をねじ曲げていくイメージに近いのですが、マインドコントロールはあくまでも本人の意志で自分の考え方を変化させていると思わせる一連のテクニックなのです。(詳しく知りたい方は本を読んでください。ネットで検索すると、洗脳とマインドコントロールを混同している記述が多いので注意してください)

よく勘違いされるのですが、私はたしかにある新興宗教に入ったことはありますが、たとえば監禁されたとか脅迫されたとかという事実はありません。洗脳されたのではないのです。まったく自分の意志で入った(と思い込んでいるのがマインドコントールに他なりませんが)のです。

必要に迫られた、というよりは自分自身の不可解な行動の意味を知りたかったので、その手の本を読みまくったのでしょうね。

もし興味があるというかたは、以下の本をどうぞ。必読書です。

時間を無駄にしたくないから、無駄にしてしまう

投稿日:2010年02月24日(水)

 今の私は、つまりはそういうことなのです。

それが、読書に身が入らない理由であり、さらに悪いことに、読書に苦痛を感じてしまう精神回路を形成した根本原因であります。

私は常に焦っています。また、遅かれ早かれ自分はこの世界に自分からバイバイするのではないかと、自分で考えておきながら、自分で怯えてもいます。いつも途方に暮れています。晴れることのない倦怠感を持て余しています。

だから、時間がとても大切だと痛感しています。時間は無駄にはできません。時の流れは怖ろしく速い。過ぎた時間は戻らない。今という一瞬は、今ここにしかない。ありとあらゆる言葉を尽して、私は私自身に時間の大切さを認識させようとしています。じっさい、認識はしています。

強迫観念。

時間を無駄に使いたくないという一心が、私の行動に絶えずブレーキをかけています。

健全な精神を持つ人には理解できないかもしれませんが、時間を無駄に使いたくないから、だからこそ何もできなくて、気がつくと時計をずっと眺め続けるだけのような、そういう精神状態であります。

読書は2時間3時間を平気で奪います。私はそれが怖くて、本が読めません。時間を無駄にしたくないのなら、とにかく本を読めばいいだろうという声も聞こえてきますし、それが正常な感覚であることも頭では理解しています。

というようなことに気がついて、とりあえず書き残してみました。たぶん、朝になればすっかり忘れているでしょう。

おやすみ、良い夜。

夢と乗り物

投稿日:2010年02月23日(火)

 先日書いた夢に登場する「巨大建造物」ですが、それに類似する夢もよく見ます。

自分でも区別が曖昧なのですが、「巨大な乗り物」の夢です。ただ、これも自分の解釈の限界が如実に現われている例です。私はそれを「乗り物」と解釈することしかできないのです。

「巨大な乗り物」が登場する夢のパターンはだいたい決まっています。

・世界の終わり
・過去の遺物としての「巨大な乗り物」
・意外と身近に存在していたことに気付く
・最後の希望
・動かし方がわからず焦る

じつはイメージとしてもっともしっくりとくるのが「方舟」です。頭に「ノアの」とはつけませんが、夢のなかでそれは救済目的の方舟的な機能を持っています。それに乗り込むのは私だけではなく、身近な人や近所の人々も一緒だからです。

こんな夢がありました。

現実と同じような世界に生きているのですが、ある日終わりの日がやってきます。どうして終わるのかわかりませんが、人々は絶望に打ちひしがれています。私も怖くて仕方がありません。もうどうしようもなくなったとき、私は唐突に一枚の地図を見つけます。見つけるというか、所有していたことに気付くのです。その地図は、なんてことはない、今住んでいる地域のもので一度はがっくりとするのですが、よく見るとあることを発見します。町の形が何やら巨大な船のように見えるのです。(うまく言語化できないのですが、平面の地図でありながら立体的でした)私はそのことを大人たちに伝え、艦橋と覚しき場所へみんなで向かい(意外と近所にあった)、世界が終わる寸前、間一髪のところで巨大な船が起動して助かるのです。

これは間違いなく何かの作品の影響を受けていると思うのですが、かなり幼いころに見たので何がもとになっているのかは判然としません。文章にすると「宇宙戦艦ヤマト」の影響が強いように思えるのですが、夢のなかでの体感はかなり違ったものです。夢の内容を言語化するために、ヤマトを借りている感覚に近いのですが、やはりうまくいえません。

もう一つ、こんな夢もあります。

私は兵士となって、果てしなく続く夜の雪原を一人で歩いています。もう長いこと歩いているのですが、何も見えないし、誰にも会いません。もう何もかもが終わってしまったという絶望感だけを胸に、ひたすら南に向かって歩いていました。すると、いつしか前方に人影を見つけます。無我夢中で近づくと、それは吹雪の中に屹立する、兵士の死体でした。恐怖でその場から逃げようとすると、不意に兵士の死体の足下にハッチが現われ開きます。そこから顔を覗かせるのは、よく知った近所のおばちゃんでした。どうやら、私が迷わずに帰ってこられるように、目印として死体を立てていたようです。ハッチからなかに入るとそこは未来的な雰囲気で、見たこともない装置や機材だらけです。なかにいたのは両親も含め、現実世界で私の近所に住む人々でした。母が「よかったよう、おまえが帰ってきてくれたから、ようやくこれを動かせる」というのです。たしかに私は兵士でしたから、どんなものでも動かせる自信があります。操縦席らしきところに座り、眼前に広がるスクリーンや計器をじっと見ていると、すぐにこれがタイムマシンであるとわかりました。それも、内部に町全体を収める超巨大なタイムマシンです。そのとき、私はぼんやりと現実世界のことを思い出し始めます。そうだ、あの世界に行けばいい。「これを使って、平和な世界にもどろう」

これは今思うと、内部に町がある乗り物といえば「超時空要塞マクロス」の影響が見て取れるのですが、じつはこの夢を見たのはマクロスが放映されるよりもずっと前のことで、保育園児ぐらいのときです。父母の間に挟まって寝ているときにこの夢を見た覚えがあります。ですから、影響しているのはおそらく、当時テレビで見た外国映画の類ではないかと推測はしますが、はっきりはしません。




夢の世界での記憶

投稿日:2010年02月22日(月)

 今朝見ていた夢は長大で内容もよく覚えているのですが、言語化できない部分が多くてやきもきします。

夢の根幹を成していたのが、「過去の夢の記憶」でした。簡単にいうと、夢のなかで「昔見た夢の要素を思い出す」という夢です。

登場する象徴的な要素の一つが「巨大建造物」です。機能としてはデパート、マンション、病院、軍事基地、異世界への門などいろいろな役割を果たしている、私の夢によく出てくる建物です。大きさは富士山と同じぐらいで、並ぶように建っています。

その巨大建造物の老朽化について、みんな(夢にいつも登場する人々)と話し合うという内容でした。

夢のなかでは巨大建造物のあちこちを見るたびに「ああ、ここは昔見た夢に出てきた場所だ」と思い出し、過去の夢のシーンが再生されたり、当時の登場人物と語り合ったりしていました。

で、その場所がなんらかの老朽化を示しているのですが、単に建築素材の劣化ではなく、時空間にまで及ぶひび割れだったり色あせだったりするのです。世界そのものが終わりかけている、というわけです。

最後の最後で、巨大建造物の最上階の機能について隣に立つ誰かから説明を受けていたのですが、母に起こされてしまい謎のままです。

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プロフィール

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創作怪談、twitterの短文小説#twnovel、短歌など。
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