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ゆっくりと小説を書こう

小説の書き方やお役立ち本などを紹介するBlogです。「小瀬朧」名義で第9回ビーケーワン怪談大賞をいただきました。twitterでtwnovelや短歌などを発表中。

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投稿日:2024年04月26日(金)

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言葉が言葉を生むのか

投稿日:2008年09月25日(木)

そう考えてみると、なんだかとても安らかな気持ちになってくる。

自分の思考のスタンスは、「言語は思考を表現するための道具ではない」「言語によって思考が影響を受ける」「言語が思考そのものだ」を信奉するものだった。しかし、これが小説になるとどうやら「言葉は小説を表現するための道具」(言語を言葉に変えたのはただの雰囲気だよ)としか俺は思っていなかったらしい。まったく応用というものができない人間だな、俺は。

とかいいつつ、なんとなく昔書いていた詩を読み返して見ると、完全に言葉先行・感覚優先のものばかりだった。悪くいえば言葉の響きと雰囲気に頼っただけの詩ばかりなんだけれども、詩を生みだそうという気迫は、小説を書こうとしている今のその比ではない。

もちろん、詩と小説は違うものだけれども、創作する心の根幹までもが違っているわけではないだろう。根っこは同じはずだ。それなのに、詩ではなく小説を書こうとした途端、言葉を単なる道具のように扱い、さらには言語そのものが鬱陶しいルールの塊にしか見えなくなったのは、致命的だ。

敬愛する花村萬月先生のお好きな「言葉に淫する」という言い回し、まさにその意味をまるでわかっていなかったのだろうか、俺は。

寝る。

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詩と小説

 自分もかつて、詩を書いていました。しかし、小説と詩は両立できないことを、最近知りました。今は、あれほど集中して書けた詩が、いまは書けないのです。書こうとすれば小説になってしまいます。
 小説を書こうとした瞬間、言葉を単なる道具として扱ってしまうと言ったくだりは、まさに実感です。詩を書いていたときは、言葉そのものが血と肉でした。確かに、創作の気迫は小説の比ではなかったと思います。今、昔書いていた詩は、もう書けません。とても残念です。

>>uenoさん

uenoさんこんにちは!

詩が今では書けないというのは、uenoさんでも同じ心境だったのですね。私も昔の感覚を思い出して書いてみたのですが、やはり昔のような詩は書けません。どうしても言葉の全体としての繋がりを考えてしまい、昔のように、一つの言葉を極限まで輝かせようという意思が稀薄になっているのです。もちろん、だからといって昔の詩がすばらしいデキというわけではないので、未熟を痛感します。

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プロフィール

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小瀬朧
性別:
男性
自己紹介:
創作怪談、twitterの短文小説#twnovel、短歌など。
メールでのご連絡は benzine100@gmail.こむ スパム対策なのでこむをcomにかえてください。 


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