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ゆっくりと小説を書こう

小説の書き方やお役立ち本などを紹介するBlogです。「小瀬朧」名義で第9回ビーケーワン怪談大賞をいただきました。twitterでtwnovelや短歌などを発表中。

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投稿日:2024年04月19日(金)

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不可解な情動

投稿日:2010年02月13日(土)

 本当に極希なのですが、何気ない一文がどうしようもないぐらいに自分の心を掻き乱すことがあります。

阿刀田高氏の短編「迷路」からの一文。
山田屋の前で何度も何度も百円玉を入れてオバQの乗り物に乗っていた。
なんとなく読んでいたのに、この一文が目に飛びこんできた瞬間、私は涙がぼろぼろと零れ激しい動悸と息切れに襲われました。なぜそうなるのか、自分でもまったく理由がわかりません。

ストーリーも前後の文脈も関係なく、独立したこの一文が私の心に尋常ならざる作用を及ぼすのです。

私という人格に組み込まれていた破壊プログラムを起動させるキーワードでしょうか。

そうだとすると、いつどこで誰がなんのために組み込んだのか根本的な謎が残るのですが。





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無意識の働き

 意識は、大海に浮かんだ氷山の一角にすぎないという表現があります。
 心理学では、自我というものを無意識の上位に起きますが、じっさい、どうなのでしょう。私はそれから敷延して、個などというものに対する疑問すら浮かびます。
 さて、本当は無意識の方が主なのかもしれません。すると、何か大きなものに自分を預けているような気がしないでしょうか。
 何か巨大なものに脅かされているような自我にすぎないとすると、見方を換えてみると、ちがう風景が見える可能性もあります。

>>uenoさん

私の自我がアクセスできない領域で何か反応が起きたことは間違いないようですね。
自分自身、推測するしかないのですが、言語を理解する過程で自然と浮かび上がるイメージの集合体が、何か私にとって重大な意味を持つ記憶に酷似したのかもしれません。その結果、私の無意識の領域が、現実と虚構の区別ができずに、肉体に涙を流させたり鼓動を速くさせたりしたと考えることもできます。

ただ、そうなると、自我というものは無意識の領域に付随する単なる入出力のための装置にも思えてきます。

パソコンに喩えるなら、実は自我というものはパソコンを操作している人間ではなく、パソコンそのものかもしれませんね。
無意識が主だとすると、私はそれに操作されているパソコンなんでしょう。
情報を求めるためにネットで検索するのと同じように、感動を求めるために無意識が私という自我に本を読まさせていると考えると納得できます。
じっさい、「読みたい」という欲求は無意識の領域から沸き上がってくるので、あながち間違いではないかもしれませんね。

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プロフィール

HN:
小瀬朧
性別:
男性
自己紹介:
創作怪談、twitterの短文小説#twnovel、短歌など。
メールでのご連絡は benzine100@gmail.こむ スパム対策なのでこむをcomにかえてください。 


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