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ゆっくりと小説を書こう

小説の書き方やお役立ち本などを紹介するBlogです。「小瀬朧」名義で第9回ビーケーワン怪談大賞をいただきました。twitterでtwnovelや短歌などを発表中。

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投稿日:2024年05月19日(日)

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それが日本語だとわかる

投稿日:2009年04月30日(木)

姪とチェブラーシカのDVDを見ていたときのことだ。

チェブラーシカはロシアの人形アニメーションなので、そのまま再生するとロシア語の音声+日本語字幕になる。

日本語吹き替えにもできるけど、ふと「まだ日本語もよくわからないのだから、ロシア語のままでもいいんじゃないか」と思って、日本語にしないでいたら、姪が「なにいってんのー」という。

どうやら日本語ではないということがわかるらしい。訳の分からない言葉を聞いて、それが日本語の知らない単語だとは思わないのだ。

なんだか不思議だ。

と、一瞬思ったけど、大人だって意味はわからなくても「これは英語だな」とか「これは中国語」だなとかわかることがあるよね。

その言語特有のリズムで判別しているのかな? 姪の場合も、チェブラーシカのしゃべっている言葉が、ふだん耳にしている言葉とリズムが違うから「なにいってんのー」と反応したのかもしれないね。


そういえばタモリに「四カ国語麻雀」というネタがあったなあ。すんごい昔に。

 

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うんちくさい

投稿日:2009年04月29日(水)

姪のおむつを初めて交換してしまった。

ちょうど、ママもばーちゃんもいないときだった。姪が「うんちでちゃった」というので、私は困って「ママかばーちゃんが帰ってくるまで待ってね」といった。

そうしたら「おじちゃんかえて」と泣き出したので、ついにおむつ交換を……。

姪のうんちはぜんぜん汚くないから(精神的に)平気なんだけど、今までは姪のことを考えておむつの交換はしないようにしていた。ほら、大きくなってから、おじちゃんにおむつを換えてもらったなんて過去があったら、女の子だから可哀想かなと思っていたのよ。私はとても純粋だ。

おむつといっても、2歳だから「はかせるおむつ」っていうパンツタイプのもの。交換するときは立ったまま脱がせる。よくわからないで四苦八苦していると、姪はふざけてお尻拭きを私の頭にどんどんのせていく。やっと脱がせ終わったときには、頭の上にお尻拭きが山のようにのっけられていた。

脱いだらご機嫌になって、新しいおむつをはく前に、私の膝にちょこんと座り込んだ。

まだ、お尻拭いていない。

うんちまみれになった。


プラス思考

投稿日:2009年04月27日(月)

間違ったプラス思考は危険だと言われる。誰が言ったかなんてのは覚えちゃいないし、もしかしたら、誰も言っていないかもしれない。私の妄想かもしれないのであらかじめご了承願う。

プラス思考とは、物事を良い方向に考えることによって現実を好転させようというもの。数多の成功法則の根幹には必ずといっていいほどプラス思考の原理が含まれている。あるいは、スピリチュアル系においてもプラス思考は外せない要素だ。

プラス思考の喩えとしてコップの水の話が出てくる。

水が半分入ったコップを見て、

・まだ半分もある
・もう半分しかない

前者のように考えるのがプラス思考であり、後者はマイナス思考だとされる。ここで大切なのは、どちらの考え方にしても、現実のコップの水の量は同じであるということだ。あくまでも、事実の受け取り方の違いであって、事実そのものをねじ曲げようとすることではない。

コップの水の喩えだと、だから何だ、と思うので別の喩えもある。

ある学生が100点満点のテストで50点をとって、

・50点もとれた。だからまだまだ伸びるはずだ、がんばろう
・50点しかとれなかった。だからもう諦めよう

両者のその後の違いはあまりにも大きいと思われる。この喩えでも、テストが50点という事実は変わらない。

では、どんなときに間違ったプラス思考が生まれるのか。それも喩えがある。

ある人が病気になって、

・まだまだ健康だから大丈夫
・病気になったからもうダメだ

これの前者は間違ったプラス思考だ。病気になったという事実から目をそむけることはプラス思考ではない。たしかに最初のうちはまだまだ健康だから日常生活に支障をきたすことはない。プラス思考はやっぱりスゴイ、と感動したりする。そのまま自然治癒したならそれはそれでいいことだが、たいていは病気が進行していくので、行く末は暗い。

ある種の人たちは、プラス思考という名の下、事実から目をそらしているだけなのに現実がなにか変わるのではないかと期待していたりする。(「ある種の人たち」に私自身が含まれているんだけどね)


自分の現状に当てはめるなら、何の根拠もなく、自分は小説家にきっとなれる! と考えているのはプラス思考じゃなく、ただの妄想なのだ。


たぶん。



 

ダメだとわかるのも成長だ

投稿日:2009年04月26日(日)

めまいがするほど楽観的な話になるけど、小説を書いていて、自分の下手さ加減にイライラしてくるのは、むしろ上達している証拠だと考えたい。そう考えれば、少しは気が楽になる。

上達していないにしても、何かしら欠点や不足に気づけるだけの「眼」が育ってきたと考えれば、少しは救われる。

破滅したがる

投稿日:2009年04月25日(土)

たとえば、こんなことがあった。

ある日、父は居間で、もうもうと煙が吹き出すテレビを「映らんぞ」といじり回していた。煙の臭いで気づいた私は慌てて父を押しのけ、テレビを窓から庭へ放り出した。火事にはならなかった。

あるときは、父の灰皿が居間で燃え上がっていた。灰皿のなかに捨てたタバコの外箱が燃えたのだ。火事にはならなかった。

またある夜は、父が庭に捨てたタバコの吸い殻が枯れ草に燃え移っていて、危うかった。近所の人が教えてくれた。火事にはならなかった。

またある昼は、母がいないとき、父が自分で焼きそばを作ろうとして(中略)火事にはならなかった。

他、タバコで絨毯や布団が焼けること数えきれず。


私の父は、火に何か因縁があるのではないかと思いたいぐらい、いろいろやらかしてくれる。家族全員、何度も何度も何度も何度も何度も、厳重注意しているけど、本人はまったく耳を貸さない。いまだに、庭には吸い殻だらけだし、ナベやフライパンはいくつも焦がしているし、絨毯や布団のタバコの焼け跡は増える一方だ。周囲の人からは、いつか家を焼くまで懲りないのではないか、と言われている。

そのせいで、私は無駄に鼻が利くため、少しでも煙の臭いがすると家のなかや庭を何度も見て回るようになってしまった。夜中ふと目が覚めて、何か臭うような気がするだけでも眠れなくなり、居間の灰皿や台所や庭先を確認しなければ心配でたまらない。さらには、ここ最近は少しこころが病気気味なところもあり、火の幻覚や消防車のサイレンの幻聴に襲われるようにまでなってしまった。今、これを書いているときも、鼻の奥を刺激する煙の臭いが気になって仕方がないのだが、家のなかにも外にも、火の気はない。臭いの幻覚(?)らしい。

それはともかく、父のそういう傾向はしっかり私にも受け継がれている。最近、自覚するようになった。私も、他人の言うことはまったく聞かない。子どものころから、親に分からず屋のキ○○○と言われていた。親からキ○○○呼ばわりされるぐらいだから、相当なものなんだろう。

なんなんだろうなあ。

破滅するとわかっているのに、ソレに向かって突き進んでしまう。私の場合は、生活態度だろうか。このままじゃ絶対に悲惨な終わり方をするとわかっているのに、一向に働こうとしないばかりか、家から出ようともしない。

タチが悪いことに、他人の性格はいやらしく分析するのが好きなのだが、自分自身に対しては目を瞑ってしまう。最悪だ。

そんな自分の性格が、どうやら小説のキャラクターにも反映されているようだ。まったく架空のキャラクターのはずなのに、結果として、自分自身になっている。それが主役だけではなく脇役の言動にも現われている。物事を最悪の方向に進めるたりするのだ。


でもまあ、ここまで書いておいてなんだけど、ドラマや小説の登場人物って、やっぱりなぜか破滅へ向かうよね。そうしないと話が成り立たないのかなあ。つねに最善の手を尽していたら、物語にならないのか。



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プロフィール

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小瀬朧
性別:
男性
自己紹介:
創作怪談、twitterの短文小説#twnovel、短歌など。
メールでのご連絡は benzine100@gmail.こむ スパム対策なのでこむをcomにかえてください。 


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