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ゆっくりと小説を書こう

小説の書き方やお役立ち本などを紹介するBlogです。「小瀬朧」名義で第9回ビーケーワン怪談大賞をいただきました。twitterでtwnovelや短歌などを発表中。

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投稿日:2025年04月21日(月)

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いきなりだけど少し書いている

投稿日:2008年04月14日(月)

何かスイッチが入ったのか、俺は今ちょっとした文章を書いている。ここであえて「小説」とは書かないところに逃げの精神が見え隠れしている。とにかく、書きたくなったから書いている。どういう心境の変化なのか、自分でもよくわからない。というか、自分のことだからわからない。まあ、先人の教えは都合よく解釈するとして、なんでもいいから書くことに意味があるんだと自己暗示をかけてみる。


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小学生の頃が一番本を読んでいた時期かもしれない

投稿日:2008年04月12日(土)

小説家になりたいなどといいながら、自分の読書量が圧倒的に少ないことをいまさら悔やんでいる。それがこのBlogの原動力にもなっている。もちろん、闇雲に大量の本を読めば、これまた勝手に小説が書けるようになるわけでないことぐらいは承知している。最初は書けるようになるんじゃないかなと思っていたけどね。

ブックオフで105円の本を買い漁る日々が続いている。105円といっても、バイトもしないでニートを満喫している俺には高額だ。誇張ではない。すでに金銭の余裕がなくなってきている。そうなると、ただで本を読めないかと考えだす。インターネットなら青空文庫でかなりの分量が読める。芥川龍之介が好きでかなりお世話になっている。あまり気乗りはしないが名作だから読んでおけといわれた作品に目を通すのにも便利だ。しかし、パソコンのモニタで文章を読み続けるのはかなりつらい。目がつらい。短編を読む分にはいいが、ドグラ・マグラぐらいの長編になると目だけではなく頭まで痛くなる。それと、青空文庫で読むということは、当たり前だが最初から最後までモニタと向き合っていないとならない。文庫本を鼻糞をほじりながら寝ころんで読むようなリラックスには程遠いと思う。だからあまり好きではない。だったら図書館に行けばいいという話になる。

図書館といえば学校を連想する。ゆとりある俺はつい最近まで図書館そのものが独立して存在していることを知らなかった。それはさすがに大げさだが、たしかに町の図書館を意識したことはない。町役場の北に昔からあったのに視界に入ってこなかった。人間の目は興味のないものは排除して脳に届かないようにしてくれるらしい。だから、図書館といえば学校にある、あの空間のことを思い出すのだ。とくに小学校である。ここでやっと記事タイトルにつながる。図書館を部屋ではなく空間と書いたのは理由がある。俺の通っていた小学校は教育に対して先進であろうとしていたらしく、一般的な「小学校」のイメージとは違う部分が多かった。ちょうど新設されたばかりだったから、建物じたいに工夫が見られた。その一つとして、図書館の壁がなかった。校舎の中央部にある多目的ホールから、廊下をはさんでいきなり本棚が並びだす。だから図書「館」でも図書「室」でもない。あやふやな記憶だが、「図書館を特別な場所と考えず気軽に入って欲しい」というような意図があったと思う。ただ、じっさいはほぼ強制的に本を読まされたんだけどね。

こうやって書いているといろいろ思い出す。そうだ、読書の時間があった。国語や算数のように。時間割にも「読書」(「図書」だったかなあ)があったはずだ。その時間になると、あの本がある空間へクラス全員で列を作って向かう。そこで一時限たっぷりと本を読まされるわけである。さらに、必ず一冊借りていかないとならない。そうだ、借りた本は次の読書の時間に返すんだったな。そういう仕組みだった。単純に計算しても、一年間に百冊以上は読んでいるはずだ。うーん。ほとんど記憶にない。とはいっても、小学生向けの本ばかりだから、そんなにたいした分量でもないのかな。それに、「まんが日本の歴史」みたいなのが人気だったと思う。あとは子どもだから絵本や図鑑とかで適当にごまかしていたような気もする。

書いているうちにとりとめもなくいろいろ思い出してきた。またまとまってから記事にしよう。


にほんブログ村に登録してみた

投稿日:2008年04月10日(木)

「小説家志望」のカテゴリがあった。こういうのって、Blogをはじめたら登録するものなのかな。よくわからないけど一応参加してみた。

地元で祭りがあった

投稿日:2008年04月07日(月)

毎年4月の第一日曜日は地元の神社で祭りがある。だから地元住人は前日の土曜日から準備に追われる。準備といってものぼりを立てたり、道路沿いに縄を張り紙垂(しで)と提灯をつけて歩くぐらいだ。俺はいまどきの若者なので地域行事には参加したくないのだが、今年は親父が都合悪く、準備に出られないため俺が駆りだされてしまった。純正のひきこもりなので外にでるのは正直つらいが、たまには青空を見るのもいいかなと思った。たまにはね。

何かが決定的に違うのだ

投稿日:2008年04月03日(木)

今回はアバウトな話なので読み飛ばしてくだされ。

プロの小説と俺ら素人の文章(あえて小説とはいわない)では決定的な違いがある。ただ、その違いが何なのか言葉にできない。言葉にできないからといって、それが勘違いや思い込みであるとは考えたくない。非常にもどかしい。

とにかく書けとはよく言われる。考える前に手を動かせということだ。隠していたし公開は絶対にしないが、俺は掌編小説を20編ぐらい書いている。実は手を動かしていたのだ。しかし、書けば書くほど、自分の書いた文章の集合体がとても小説と呼べるものではないとわかっていく。俺だって馬鹿じゃない。自分の書いた文章がまるで小説になっていないことぐらいはすぐにわかる。それぐらいの知能と常識は持ち合わせている。だから俺は「小説」の書き方を求めているのだ。言い換えれば、どうすればただの文章の羅列が小説に昇華するのか、その秘密が知りたい。そういうことだ。

もちろん、小説とは何かについて言及している指南本は数多い。むしろ、著者の小説観を語るために書かれている本のほうが多いかもしれない。しかし、小説とは何なのか俺自身が気づかないことには永久に向こう側、創作する側には回れないと思う。あるいは、創作する側どころかスタート地点にすら立てないのかもしれないのだ。とりあえず、俺は苦しい。自分の中でさまざまな考えというか思いというかあるいは無意識というか、動きさえ捉えれない連中が音もなく暴れ狂う。それのせいで、読書していても、こうやってキーボードを打っていてもすべての思考が停止してしまうことが最近多い。PCでいうビジー状態なのか。いったい俺の頭の中の連中は何をやっているのだろう。今のところまだ死にたくはないから、なるべくハッピーな方向で答えを出してくれるとうれしい。また樹海の下見に行くのはいやだよ。

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プロフィール

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小瀬朧
性別:
男性
自己紹介:
創作怪談、twitterの短文小説#twnovel、短歌など。
メールでのご連絡は benzine100@gmail.こむ スパム対策なのでこむをcomにかえてください。 


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