投稿日:2024年11月22日(金)
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
投稿日:2008年09月25日(木)
難しいことを難しい言葉で説明する。「言葉の力で、同じ体験や経験を得てもらう」とありますけれど、これは本当に可能なのかと思います。
たとえば、司馬遼太郎がいます。彼は戦記や歴史物が得意ですけれど、はたして、それらを体験として理解していたのでしょうか。彼の年齢からして、戦場は経験していたかもしれませんけど、戦国時代の戦闘を書物だけを通して、体験できるものかと思います。しかし、多くの読者は彼の作品を通して、リアルな感動を得るわけです。ここに、複雑な疑問が生じます。どうして、彼は体験したわけでもないことを、読者に再体験させられるのだろう、ということです。
そこには、なにか形而上的な何か介在しているだろうか、とさえ思います。簡単にここには、逃げたくないですが。
uenoさんこんにちは!
毎回同じ挨拶ですみません。
正直な本音を書きますと、「言葉の力で、同じ体験や経験を得てもらう」のが可能かどうかは「まあ無理だろう」と思っています。私達が見事な小説を読んで、何かを体験したのと同じものを得られたと感じるのは、一つは錯覚だと思います。得てはいないが、読んだ本人は得たつもりになっている。悪く言えば言語によるトリックです。あるいは、シナリオ論の範疇に属する構成のテクニックによるものかもしれません。
もう一つは、作家が物事の本質を見極めていて、その本質を象徴や暗喩を駆使して読者に伝えている場合です。uenoさんが例に挙げられた司馬遼太郎氏はこちらに属しているのではないかと私は考えます。ただ、こちらの場合は限りなく哲学の世界にも近づきますよね。物事の本質とはなんぞや、なんて言い出したらそれこそ泥沼ですから。
しかし、実際に私達は、ある一定の秩序にしたがった文字の羅列を読んだだけで、体験しているわけでもないのに興奮したり、恐れたり、怒ったり、笑ったり、涙を流したりします。この根本の作用の仕組み……とか言い出しますと、これも泥沼になりますね。
こんなことを考えると、小説家というものはなんと勇敢なんだろうと思いますよ。
竹の子書房
Amazon
カテゴリー
レコメンド
人気記事
リンク
最新記事
カレンダー
プロフィール
ブログ内検索
アクセス解析
忍者アナライズ
お知らせ
★☆★本に掲載されました★☆★
■([か]2-5)てのひら怪談 壬辰: ビーケーワン怪談大賞傑作選 (ポプラ文庫 日本文学)
■3.11 心に残る140字の物語
■てのひら怪談 辛卯―ビーケーワン怪談大賞傑作選 (ポプラ文庫)
■てのひら怪談 庚寅―ビーケーワン怪談大賞傑作選 (ポプラ文庫)
=====↓読者投稿怪談が掲載されています↓=====
■怪談実話系ベスト・セレクション (文庫ダ・ヴィンチ)
■怪談実話系 4―書き下ろし怪談文芸競作集 (MF文庫 ダ・ヴィンチ ゆ 1-4)
――巻末の読者投稿怪談に採用されました♪
★Twitter始めました
こちら→http://twitter.com/oboroose
★リレー小説に参加しています。
★怪談投稿しています。(ペンネーム:小瀬朧)
こちら→WEB幽