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ゆっくりと小説を書こう

小説の書き方やお役立ち本などを紹介するBlogです。「小瀬朧」名義で第9回ビーケーワン怪談大賞をいただきました。twitterでtwnovelや短歌などを発表中。

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投稿日:2024年11月22日(金)

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最後と最期

投稿日:2008年09月24日(水)

誤用を指摘されたとかの話じゃなくて、自分の好みの問題だけどね。

「最後」と「最期」の使い分けは、感傷的な文章が好きな人ならこだわりを持っていると思う。字面と言葉のお遊びも含めて、たとえば「一日の最後」と「一日の最期」では、受け手がどう捉えるかは別として、かなり大きな違いがある。正誤の問題でもないぜ。込められた意味の違いだ。

一言でいうなら、死の匂いだ。

どちらがより強烈かといえば、もちろん「最期」のほうだろう。「最期」には続きがない。新たな始まりはない。もうおしまい。本当に本当に、終わり。「一日の最後」のあとには次の日があるけれども、「一日の最期」にはもう同じ日は二度とないという感傷が含まれている。その日一日をひとつの命となぞらえている。そういう意味では、「一日の最後」は夜の11時から12時直前ぐらいまでの時間帯かその人にとっての最後、つまり寝る時間を示しているだけだが、「一日の最期」ではその日そのものが終わる、死ぬという情況が見えてくる。

だから、普通の文章ではうかつに使うことはできない。詩でもないのにうっかり「~の最期」と書いて、その意味が伝わらずにただ笑われるだけというのは嫌だ。

ちなみに、「最期」というのは命の終わりを表す言葉だ。念のために辞書をひいたらあっていた。よかった。「最後」のほうは辞書をひくまでもないだろうけど、並んでいるものの一番後ろという意味だ。と思ったけど、こちらも念のために辞書を見たら「臨終。死。最期。」とあったから、人の命の終わりに使っても間違いではないのだ。

命の終わりを表すということは、「最期」を使うことによってそのものに命があったことを暗に示す効果もあると思う。このへんは俺の虚構を含んだ感覚だから話半分に聞いておくれ。

だから、ある人が無意識に「最期」を使うときは、その対象を命あるものと見ているときかもしれない。思い入れがあるのだ。「ノートの最後にさよならと書きました」と「ノートの最期にさよならと書きました」では伝えたいことがまるで違ってくるだろう。前者は単にノートの最終ページのことであるが、後者はノートそのものに何か強い思い入れがあるように思えないだろうか。というかそうとしか思えないか。

音声にするとどちらも「サイゴ」だけど、漢字で見るとまったく意味が違ってくるんだよね。

※※※
もちろん、単純に誤変換しているときもあるだろうけどねー。
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プロフィール

HN:
小瀬朧
性別:
男性
自己紹介:
創作怪談、twitterの短文小説#twnovel、短歌など。
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