投稿日:2009年04月25日(土)
たとえば、こんなことがあった。
ある日、父は居間で、もうもうと煙が吹き出すテレビを「映らんぞ」といじり回していた。煙の臭いで気づいた私は慌てて父を押しのけ、テレビを窓から庭へ放り出した。火事にはならなかった。
あるときは、父の灰皿が居間で燃え上がっていた。灰皿のなかに捨てたタバコの外箱が燃えたのだ。火事にはならなかった。
またある夜は、父が庭に捨てたタバコの吸い殻が枯れ草に燃え移っていて、危うかった。近所の人が教えてくれた。火事にはならなかった。
またある昼は、母がいないとき、父が自分で焼きそばを作ろうとして(中略)火事にはならなかった。
他、タバコで絨毯や布団が焼けること数えきれず。
私の父は、火に何か因縁があるのではないかと思いたいぐらい、いろいろやらかしてくれる。家族全員、何度も何度も何度も何度も何度も、厳重注意しているけど、本人はまったく耳を貸さない。いまだに、庭には吸い殻だらけだし、ナベやフライパンはいくつも焦がしているし、絨毯や布団のタバコの焼け跡は増える一方だ。周囲の人からは、いつか家を焼くまで懲りないのではないか、と言われている。
そのせいで、私は無駄に鼻が利くため、少しでも煙の臭いがすると家のなかや庭を何度も見て回るようになってしまった。夜中ふと目が覚めて、何か臭うような気がするだけでも眠れなくなり、居間の灰皿や台所や庭先を確認しなければ心配でたまらない。さらには、ここ最近は少しこころが病気気味なところもあり、火の幻覚や消防車のサイレンの幻聴に襲われるようにまでなってしまった。今、これを書いているときも、鼻の奥を刺激する煙の臭いが気になって仕方がないのだが、家のなかにも外にも、火の気はない。臭いの幻覚(?)らしい。
それはともかく、父のそういう傾向はしっかり私にも受け継がれている。最近、自覚するようになった。私も、他人の言うことはまったく聞かない。子どものころから、親に分からず屋のキ○○○と言われていた。親からキ○○○呼ばわりされるぐらいだから、相当なものなんだろう。
なんなんだろうなあ。
破滅するとわかっているのに、ソレに向かって突き進んでしまう。私の場合は、生活態度だろうか。このままじゃ絶対に悲惨な終わり方をするとわかっているのに、一向に働こうとしないばかりか、家から出ようともしない。
タチが悪いことに、他人の性格はいやらしく分析するのが好きなのだが、自分自身に対しては目を瞑ってしまう。最悪だ。
そんな自分の性格が、どうやら小説のキャラクターにも反映されているようだ。まったく架空のキャラクターのはずなのに、結果として、自分自身になっている。それが主役だけではなく脇役の言動にも現われている。物事を最悪の方向に進めるたりするのだ。
でもまあ、ここまで書いておいてなんだけど、ドラマや小説の登場人物って、やっぱりなぜか破滅へ向かうよね。そうしないと話が成り立たないのかなあ。つねに最善の手を尽していたら、物語にならないのか。
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