投稿日:2024年11月21日(木)
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投稿日:2008年11月29日(土)
小説に限らず、創作に関するノウハウやテクニックが今はどこにでもあふれている。本屋に行かずとも、ネットで検索すれば何を見たらいいのか迷うぐらい大量にヒットする。一般に公開されていないグループ内だけの知識交換も、mixi等のコミュニティにおいて盛んらしい。少なくとも、インターネット以前の、個人が手探り状態で創作をしていた時代とはまったく違うのだ。
そうなると、「知らない」ということは「怠惰」と同義になってしまう。感傷的な書き方をするなら、純真無垢な己の感性だけに頼っていては、創作は成り立たないということだ。既に今の時代、完全なオリジナルを生み出すのは途轍もなく難しくなっている。自分ではオリジナルのつもりでも、「○○に似ていますね」とか「○○と同じです」と言われることは、よくあるのではないか。私は昔書いていた詩に「立原道造に影響を受けていますね」と感想をもらったことがある。慌てて本屋に走り、立原道造の詩集を買った。立原道造を読んだことがなかったからだ。私の詩が本当に立原道造風であったのかどうかは、もしかしたらその読者の恣意によるものかもしれないが、何にせよ、私の作品がそれだけ独創性に乏しいものだったということには間違いない。
私はこのBlogで、小説の書き方がわからないとよく書いていた。実際は、そんなの嘘だ。「書き方」なんてかなり知っている。書き方をたくさん知りすぎたために、逆に書けなくなっていたというのが本音だ。書く前に知識だけが先行してしまっているのだ。これは私だけではない。ネットで「小説が書けない」と告白している人の大半は、知識不足ではなく、知識過剰になっているのではないか。その証拠に、創作以外の文章、たとえば本の感想や日々の雑感で、雄弁になっている人は実に多い。偏見かもしれないが、小説が書けないと嘆く人ほど、小説以外の文章はスラスラと書いているような気がする。
先に書いた、「知らない」ことが「怠惰」だとするなら、「知りすぎている」のは何になるのだろう。雑誌やテレビが情報源だった時代に比べれば、今の時代は個人が得られる情報は莫大な量になっている。かといって、人間の脳の処理能力が比例して向上しているという話は耳にしない。
まったく、よくわからない。というか、既に自分の処理能力は限界だ。
オチはない。
たとえば、何か一冊の小説指南本だけを信じるというやり方も考えつく。しかし、いざやろうとしても「もしかしたらもっと別の正しい方法があるかもしれない」と考えてしまう。
※※※
追記
だったらいろいろな本のエッセンスをまとめて自分なりのノウハウを構築すれば……ということも考えつく。ただそれをやっていると、自分で書くよりもこのノウハウを他人に教えたほうがいいんじゃないかと思ってしまう。小説の書き方を求める人はたくさんいる。彼らを相手にサイト運営するなり商売するなり……うーん。
おそらくは、中道こそが真実なのでしょう。
私は、たぶん、管理人さんの真逆を行く者なのでしょう。
「己の感性に頼ってばかり・・・・・」とは、実に耳にいたい言葉ですが、かなりの真実を見いださずにはいられません。感性だけに頼った文章が「本物」になるためには、絶対に必要なことだと思っています。
「小説を書けないと・・・・・小説以外の文章はすらすらと書いている」
本当に、管理人さんの文章を見ていて、真実だと思います。私から見るとうらやましいほどに、王道をゆく文章だと思います。
「勉強不足」と言われてもしょうがないのですが、自分の中に「巣喰う想像心」と言うべきものが、蠢くのです。それは、あたかも、独自の自我を持っているかのように振る舞います。一度、それが蠢くと、それだけに頼って突き進んでしまいます。
これでも、「小説の教科書」たる書物を何冊か手に取ったことはあるのですが、その魔物が蠢いて以来は、ほとんど、我が感性に従ってばかりです。
唯一、読み続けている学びの書と言えば、管理人さんのブログだけですね。本当に勉強になります。
uenoさんこんにちは!
uenoさんのコメントや作品に多大な影響を受けているのは事実です。今連載されている『クモの糸』も、『蜘蛛の糸』と仏教を題材にしながら、リアルタイムで「虚構」ができあがっていく様を私は羨望の眼で見ています。いったい、どんな虚構であれ、それが生まれてくるのは紛れもない現実の人間の精神活動からなのですから、創作の神秘を感じずにはいられません。
ところで、私自身もけっこう感性よりの人間のつもりなんです。一昔前は、創作は純粋な感性からこそ生まれるのだと思っていましたから。システマティックに物語を「制作」する術には嫌悪感をいまだに抱いていたりします。(だから大塚栄志氏あたりの創作論には傾倒できないというのもあります)
現実問題、どんなにノウハウやテクニックを知ったところで、それらが何かを生み出すということはないのです。最近、カクテルの本を買って眺めているのですが、カクテルの作り方を知ったり、カクテルグラスやタンブラーなんかを買い求めても、私の目の前にはカクテルが現れないのです。当たり前なんですが。カクテルの本を買ったのは事実なのですが、なんだか象徴的な出来事に感じます。
こんなことを書くと責任転嫁も甚だしいのですが、どうやら「理性」というものが創作のネックになっているのではないかと最近考えるようになってしまいました。批判精神、ともいえる。このままではどんどん創作する側から遠ざかってしまうという不安感もあります。
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