投稿日:2024年11月22日(金)
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投稿日:2008年11月28日(金)
ここ数年の間にたいした数の作品は書いていない。しかし、それらを見返してみると、自分自身がいたるとこに見え隠れしていることに気づいてしまう。
自分自身とは、自分の生き方、考え方、ものの見方、状況判断等のことだ。完全な創作、架空の話、虚構でありながら、そこには紛れもなく自分の世界があるのだ。書けば書くほど、自分を晒しだしてしまう。
本当なら、今書いているこのBlogの日記でこそ、自分がどういう人間であるかがわかるはずなのだ。普段、このBlogでは、多少はキャラを作っているが、正直に思ったままのことを書いているつもりだ。それなのに、どこか嘘くさい。こんなときは「韜晦」なんて言葉が思い浮かぶけれども、結局は嘘の自分を表現していることには違いない。
ところが、これが創作になると、創作された作品のなかに、隠しようのない自分自身が現れてしまう。まったく不思議だ。しかも、自分が意識していない「自分」までいたりする。創作という壮大な嘘をついているはずなのに、実は正直に自分を告白しているのだ。
もちろん、これは別の考え方もできる。創作のなかに自分が現れているのではなく、創作のなかに現れた「それ」を見て、自分が逆に形成されているという考え方だ。本当の自分に気づいたのではない、「気づいた」と思った瞬間に、自分が作られたのだ。
このことは、他の人の作品やそれに関する苦悩を見てもなんとなくわかるので、もしかしたら一般論に近いのかもしれない。
全く同感です。私は、意外と感性で書くほうなので、キーボードを叩いているうちに、キャラが勝手に喋っていたということが多々あります。
「ここで、こんな風に言うか?」と自分が作ったキャラクターに苦言を呈したくなることまであります。全く、おろかなことと思いますが、本当に生きている生き物のようで怖くなってしまいます。
小説とは、そもそも壮大なる嘘なのに、自己の真実が暴露されてしまうことは、何という皮肉でしょう。
「創作によって、自分が創られる」という見方は、ものすごく新鮮な風を感じました。もしかしたら、文章という小宇宙によって、大宇宙たる自分が形作られているのかもしれません。
ある男が蝶になった夢を見た。
はたして、男が蝶になる夢を見たのか?
あるいは、蝶が男になる夢を見たのか?
また、この比喩を出してしまいました。
uenoさんこんにちは!
もとはuenoさんのコメントに触発された部分が多いのですが、気にするようになってからは自分や他の方の作品を見る目が変わってきました。
心理学なのか哲学なのか、どちらの範疇になるのかわからないのですが、世界の捉え方というのはすなわち自分自身の在り方なんでしょうね。世界を構成する無限に近い要素から、有限の要素を抜き出して処理するということは、世界を自分の形に切り抜くということなのかもしれません。同時にそれは自分を作っているのと同じだと思います。(そうなると「世界」という概念もまた深く見直す必要があるかもしれません)
私はまだ長編を書いたことがありませんが、書くことに対する恐怖感は、新しい世界に飛び込む不安感と同列なのかもしれません。いったい、恐怖と不安の明確な違いはどこにあるのだろうとも思うのですが、巨大な新世界の扉を前に、ただ呆然と立ち尽くしているのが現状です。
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