投稿日:2024年11月22日(金)
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投稿日:2008年11月26日(水)
世界といっても、自分が属する狭い範囲のことだけどね。 まさに実感ですね。私も同じような境遇なので、まるでもう一人の自分がいて、二人で話しているような感覚です。
時間から、切り離された・・・・本来の時間は、先に行ってしまった・・・・・と言うのは、おそろしいほど、私が考えていることと同じです。
あえて、違う箇所を見つけようとしれば、唯一、「意味は、人間の知性が与えるもの」という所でしょうか。
私はある意味、開き直って、今、自分が置かれている状況は、外によって決められたものだと思うことにしています。意味は、自分が決めることではなく、外から決められる方にしたほうが楽ですからね。ここの所が、私が五木寛之や仏教思想に共感する理由の一つではあります。
しかし、最後のセンテンスは、脳髄に直接伝わってくるほど実感です。
「自分は動くつもりはなくても、世界の方が勝手に動いている」
せめて、多少は楽観的に考えましょうよ。
五木寛之や仏教思想が、楽観的とは言いませんけど。
「世界が俺を精算しようとしている」
これはコワすぎです。
uenoさんこんにちは!
自分が強烈に<日常>に固執しているのがわかります。私にとっての<日常>は、普通の方々から見ればヒキコモリニートという<非日常>なのですが、それでも、変わらずにいられるなら永遠にこの時間が続けばいいなと考えたりもします。
終わればいいと思いつつ、終わりたくないとも考える。こういう矛盾が当たり前のように頭のなかにあるから、人間は苦悩するのでしょうね。
私に限ったことなのか、それとも一般論なのかわかりませんが、「変わらないまま変わりたい」という矛盾にみちた願いを抱いているのかもしれません。
こういうとき、西洋の思想は最終的には自分を<精算>する方向に持っていってしまいます。自分というものも、世界というものも、それを規定するのが自分自身であり、理性であるわけですから、まったく救われません。だから、私も東洋のとくに仏教系の思想に自分自身の救いを見いだそうとします。というより、今の自分がおかれている状況は冷静に考えれば全く人生の末期であることには間違いないのですから、救いを見いだす<べき>なのです。
ただ、楽観的に捉えるなら、何か人生が好転しようとしている兆しと考えることもできますので、とりあえずこれから何が起きるのか見極めようと思います。
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