投稿日:2024年11月22日(金)
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投稿日:2008年11月22日(土)
怪談がはたして小説なのかという話は別として、3日に一作ぐらいのペースで怪談を書いては某所に送りつけている。 オリジナルとはとても難しい問題だと思います。
自分で、書いていても思うのですが、何処から何処までが、自分のオリジナルなのか、盗作なのかわかりません。
盗作という言葉は、思わず!マークを付けたくなります。とても印象的なコトバです。
話をもとに戻しますが、明治期から昭和初期の文豪の作品などを見ましても、『蜘蛛の糸』『杜子春』『走れメロス』など、ほとんど盗作としか言いようが羅列しています。
現代の作品でも、ほとんど焼き直しといか思えない作品がまかり通っている中、オリジナルという概念そのものがあやふやになっているのかもしれません。ある意味、著作権というコトバが一人歩きしているようにも見受けられます。
最後に、怪談は立派な文学であり、小説でしょう。小泉八雲は開拓者でありますが、旧い時代には、『源氏物語』などは見方によっては、怪談です。なにせ、六条宮息所は、生き霊となって恋敵を殺してしまうのですから・・・。
uenoさんこんにちは!
オリジナルというものの核心は、さすがにまだ到達できない領域なので仮説というか都合の良い希望みたいになってしまうのですが、おそらくは既存の物語を「消化」し、なおかつ「吸収」できたときに生まれるのではないかと睨んでいます。とくに怪談は古今東西ありとあらゆるパターンが存在していますから、完全にオリジナルな話を創るのはもはや無理でしょう。ただ、時代背景だけは常に変化していますので、既存のパターンであっても新鮮なものを創り出すのは不可能ではないようです。たとえば、携帯電話やインターネットといったガジェットとそれらが生み出すコミュニティにはまだまだ物語となる要素が眠っていると考えられます。
しかし、ここでちょっと話が変わるのですが、いくら物語のパターンが限りなく増やせたとしても、読者が面白いと思うパターンが限られているのなら徒労に終わるような気がするのです。現に、世の中には独創的でありながらもつまらないという作品はいくらでもありますし、逆に焼き直しでありながらもやはり面白いという作品もあります。怪談の場合は、「面白い」が「怖い」に置き換わりますが、おそらく人間の感じる恐怖のパターンはかなり数が限られているはずなのです。
ちょうどuenoさんが書かれているので『蜘蛛の糸』について調べてみたら、あれも典拠とされる作品があったのですね。文学以外でも、昔の有名な漫画やアニメにはだいたい元となる作品があるようですから、オリジナルという概念は難しいですね。
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