投稿日:2024年11月22日(金)
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投稿日:2009年03月23日(月)
学校生活や日常生活を小説に書こうとすると、どうしても自分の年代を参考にしてしまう。昭和やよくても平成初期の小中学生ということだ。 仮に、こう考えてみればどうでしょうか?
この世に、存在するのは錦さんだけです。錦さんの視界にあるもの、起こること、すべて錦さんが作り上げた幻想です。ですから、錦さんが目を一旦、瞑ってしまえば、一瞬で、消え去ってしまうでしょう。
現象学では、このように考えます。
私も、小説を書くうえで、リアルティに悩んだことがあります。学校風景を書くに当たって、今の子どもたちの視線が気になったこともあります。しかし、今では、書きまくることによって、しだいに感じなくなっていく自分を発見します。
それは明治期の学校を舞台にした小説を読んでいるときのことでした。
「おお、ものすごくリアルティを感じる。しかし、それは何故だろう?」
それは、自分が生まれるはるか昔であって、経験したはずのない異世界だからです。その疑問は、やがて「どうやってリアルティを感じているのだろう」という問いに変わっていきました。少し、考えて、「過去の自分の体験を、ジクソーパズルみたいに分解して、そのピースを、未知の世界に当てはめて、自分でリアルティを感じているにちがいない」と思ったのです。
同じように、どうあがいても、今のこどもたちの世界を体験することはできません。しかし、リアルティというものを作りだしているのは、個々の想像力であると悟ったとき、それに悩むことの無意味さを実感させられたのです。
uenoさんこんにちは。
作者である私が立っている場所からは、私にしか見えない世界が広がっているのですね。
現実の要素(上で書いた例なら、ケータイや学習塾)をふんだんに採り入れればいいのかな、と考えていたのですが、それは本質ではないということですね。
考えてみると、古い時代の小説に登場する学校なんて、体験したことはもちろんなく、自らの知識としても怪しい。それでも、文豪の書く学校の様子や学生像が嘘くさいと思ったことはありません。そこに描かれた情景が、どこまで当時の現実だったかもわからないのにです。もしかしたら、作家が創り上げた完全な嘘かもしれない。
実は、もう少しで何かを掴めそうなんです。
しかし、その大まかな姿すら、言葉にすることがまだできそうもありません。当然、まったくの錯覚という可能性もあります。
おそらく、uenoさんのように書きまくることによって、自分にも掴めるのではないかと期待しています。
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