投稿日:2009年03月26日(木)
雑記という名目でいろいろなことを書いてきたけど、これはあまりよくないらしい。
曲がりなりにも「小説」に関するブログだから、書くテーマも「小説」に関係していないといけない。それなのに、現状はメインテーマが「私」になっている。「私」が日々何をしているか、何を考えているか、そんなことばかり書いている。
自己陶酔の一つの形ではあるけれども、ときどき急に恥ずかしくなる。
それが独り言であるうちはいいのだけれども、温かいコメントを頂いたりすると、突然、ここがインターネットであることを思い出すのだ。
見られている、見られている、見られているのデス。
かといって、プロでもないのに小説理論を書いたりするのも恥ずかしい。読解力が怪しいのに本を批評してみたりするのも恥ずかしい。そもそも、情報発信するための素養は何一つなかったりする。
ちょうど十年前になるけど、誰も来ないサイトで黙々と詩を書いていたことがある。
あれは楽しかった。誰も見ていないというのは孤独でもあるけど、自分の世界に没頭するには最適だった。その「自分の世界」なるものは、どこかで本来の世界と接していなければならないから(このへんよくわからんよね)、ノートではなくインターネット上になければならなかった。ストーキングの対象が世界そのもの、みたいな?
あの頃に比べると、こんなブログでも見てくださる方々は格段に多い。
しかし、その読者の方々が求めているもの、期待するものは書けていない。それはとどのつまり、実用的であるかないかという話に落ち着いてしまう。間違っても、エンターテインメントとしては機能していないはずだ。どこの誰だかわからない人間の日常を知って、楽しいと思える人は、いるのかなあ?
そう考えてしまうと、やっぱり何かしら小説の書き方だとか役に立つ本とかについて書いている方がいいような気がしてくるけど、それに熱中すると本来の目的である「小説家になる」が達成できなくなりそうで怖い。ネット上にはすばらしいサイトがたくさんあって、小説技術にしても書評にしても非情に質が高く、よくお世話になっている。ところが、それらのサイトの管理人の多くが「小説を書いてみたい」「小説家になりたい」と時々もらしながらも、いつまでたってもその夢が達成されていないことに気づく。(実は、それらの言葉が真実という保証はどこにもない。「悩みを共有していますよ」というアピールかもしれないのだ。そしてそれはある種のサイトの常套手段でもある)
反対に、ばりばりと小説を書きまくっている人ほど、技術や理論を開陳しない。どうしたらそんなに書けるのですか、秘密を教えてください、とやきもきするほどにだ。
そんなことを悶々と考えていたわけだが、実用的なことも、エンターテインメントも、私には書けそうにない。
何気にこのブログ、一年経っているんだよね。一年という時間は呆れるほど短い。実感しちゃったよ。おまけに、文章を書き始めてからなら十年以上が経っているのだから、人生って(以下略)
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