投稿日:2024年11月22日(金)
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投稿日:2008年10月06日(月)
同じ時代の、同じ国に住んで、根本が同じ教育を受けて、だいたい同じものを見て聞いて体感しているから、ものの見方と考え方が似てしまうのは当然なんだろうか。当然なんだろうね。 おそらく、メディアの発達によって、作品が残ってしまうことが弊害の一つだと思われます。
どんな分野でもそうですが、ビッグネームと言われる人が、開拓者でない可能性があると思います。 彼よりも先に、同じことを考えた人がかつて存在したかもしれないからです。メディアの発達は、個人の創造の可能性を狭めてしまったのかもしれません。
100年後、200年後を考えると、文化は衰退に向かうことは間違いないでしょう。なぜならば、100年前、200年前に比べて、作品がより完全な形で残っていくのですから。
例えば、バッハは音楽の神様などと呼ばれますが、彼の曲にそっくりなメロディを、彼より100年前の作品に見たことがあります。もちろん、パクったのか、偶然なのかわかりません。ここで言いたいのは、盗作論でなくて、創造とは人類全体というよりも、個人こそが優先されるべきだということです。
作品を盗作して、不幸になるのは本人だけだと思います。それを自分の力で生み出したのであれば、誰かが同じことを考えたとしても。オリジナルと言えるのではないでしょうか?
uenoさんこんにちは!
いつもコメントありがとうございます。
uenoさんのおっしゃるように、メディアの発達、とくにデジタル化とネットワーク化によって、多くの創作物が常に誰かの視野に入ってしまっていると思います。ほんの十数年前までは、何かを書いてそれを他人に見てもらうというのは、プロの作家やライター等、限られた人々の特権でしたよね。仮に書いたとしてもそれを発表できる場はごく限られたコミュニティ内だけであり、しかもほとんどのものは保存されずに消えていく。自分の作品が本当にオリジナリティのあるものかどうかは、誰にもわからなかったと思います。
それが今では、発信する意志さえあれば、誰もがこうやって万人の目に触れる可能性を作ることができてしまう。自分と同じ発想や表現も簡単にみつけることができてしまう。こうなると、オリジナリティなんて早い者勝ちじゃないかとさえ思えてきてしまいます。
ただ、だからといって「他人と同じになってしまうから思考する必要はない」と考えるのはよくない。たとえば検索エンジンで簡単に答えが見つかってしまう時代だからこそ、自分の頭で考え続けることが大事なのだ、と思っています。そんな自戒もこめて、この日記を自分に向けて書いてみました。
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