投稿日:2024年11月21日(木)
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
投稿日:2008年10月04日(土)
そうは言っても「詩」がなんであるのか、小学生の俺にはわからない。時計は人の顔 時計の針はひげ
しばふは緑のじゅうたん ねっころがりたい
人の顔は時計 見えない針がいつも くるくると回っている
じゅうたんがしばふの上でねころんでいる おうちにだれもいないから
自分は、読売新聞を取っているのですが、よく読む欄に「子供の詩」があります。私は、これを楽しみにしているのですが、中には、「本当に子供が作ったのかな?」と思わせる詩があります。暗喩や、擬人法を巧みに使った、大人が作ったとしか思えない詩には、うんざりさせられます。
実際、子供しか作れない詩というものがあるんですよ。
uenoさんこんにちは!
uenoさんのおっしゃる「子供の詩」と同じなのかわかりませんが、以前、新書で子供の詩についての本を持っていました。ときとして子どもが恐るべき詩を作ったりするのは、たいていは偶然であったりあるいは教師の作為であったりするのですが、なかには子どもであるがゆえに世界の本質(に近いもの)を見抜いてしまうこともあります。ここ最近の思考のテーマになっているのですが、言語が思考そのものであるとするなら、感覚と知覚にまでその支配力が及んでいる可能性があると思うのです。これもまたあとで書きたいことなのですが。
言葉を手に入れることによって表現力は格段に増す。さらに、文法(構文かな)の力により、異質な言葉を「組み合わせ」ることによって意図的に暗喩を創り上げることもできる。しかし、言語の発達によって視覚や聴覚に入ってくる情報までもが、ある種のフィルターを通ることにもなってしまう。たとえば、目に入る光は「ひかり」であって、それは「希望」だったり「聖なるもの」だったりする。周波数の高い音は耳に「突き刺さり」、甘い味は舌を「とかし」たりするようになってしまう。
純粋であることが優位であるとするなら、大人は子どもの感覚と知覚にはかないませんが、あくまでも「創作」という観点からすると、子どもの詩は偶然の産物であり、人間の精神活動としてはあまり評価されるものではないようです。
とは言いつつも、私自身、子どものそれを意識的にシミュレートすることはできないかと常に考えていたりします。
竹の子書房
Amazon
カテゴリー
レコメンド
人気記事
リンク
最新記事
カレンダー
プロフィール
ブログ内検索
アクセス解析
忍者アナライズ
お知らせ
★☆★本に掲載されました★☆★
■([か]2-5)てのひら怪談 壬辰: ビーケーワン怪談大賞傑作選 (ポプラ文庫 日本文学)
■3.11 心に残る140字の物語
■てのひら怪談 辛卯―ビーケーワン怪談大賞傑作選 (ポプラ文庫)
■てのひら怪談 庚寅―ビーケーワン怪談大賞傑作選 (ポプラ文庫)
=====↓読者投稿怪談が掲載されています↓=====
■怪談実話系ベスト・セレクション (文庫ダ・ヴィンチ)
■怪談実話系 4―書き下ろし怪談文芸競作集 (MF文庫 ダ・ヴィンチ ゆ 1-4)
――巻末の読者投稿怪談に採用されました♪
★Twitter始めました
こちら→http://twitter.com/oboroose
★リレー小説に参加しています。
★怪談投稿しています。(ペンネーム:小瀬朧)
こちら→WEB幽