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ゆっくりと小説を書こう

小説の書き方やお役立ち本などを紹介するBlogです。「小瀬朧」名義で第9回ビーケーワン怪談大賞をいただきました。twitterでtwnovelや短歌などを発表中。

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投稿日:2024年11月23日(土)

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再起不能になりかけた

投稿日:2009年03月01日(日)

原因は読書にある。

ここ数日、思うところあってニーチェとショウペンハウエルをセットで読んでいた。なぜかって、そういう気分だから。久しぶりに開いたのだが、あいかわらず何書いてあるんだかちっともわかりやしない。

とくにショウペンハウエルの『読書について』を真面目に読んでしまうと、自分の読書嫌いを都合よく肯定する材料となるので、やみつきになってしまう。

この本のなかでは、読書と思索の関係を、食物に喩えてこう書いている。
食物は食べることによってではなく、消化によって我々を養うのである。
(『読書について』斎藤忍随訳・岩波書店)
こんな一節をノートに書き出してしまうのだから、よっぽど自分は末期なんだろうけれども、なんだかとっても愉快な気分になる。大量に本を読み、浩瀚な蔵書を誇りにしている人は、これを読んでどう思うのだろう。などと考えてしまうあたり、無様なまでに自分は病んでいる。本に埋もれて身動きとれないのは、他でもない、私だろうに。

次の文章も好きだ。
すなわち、紙に書かれた思想は一般に、砂に残った歩行者の足跡以上のものではないのである。歩行者のたどった道は見える。だが歩行者がその途上で何を見たかを知るには、自分の目を用いなければならない。

当然のようにさらりといっているが、その境地に至ることができる人間だったら、誰も苦労はしないのにね。

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無題

 後者の文章において、
「自分の目で見ろ」というのは、「想像力を発揮せよ」ということでしょうか?

>>uenoさん

uenoさんこんにちは。

ショーペンハウアーに限ったことではないのですが、いわゆる天才主義・才能主義の人間は、凡人の苦悩を忖度しません、というか、できません。自分にできることは当然、相手もできると考えてしまう。それでもできない人間は、その他大勢として片付けます。
ですから、他人の足跡(書物)から何かを得るのではなく、自分の目(思索)によって追究すべきという我々凡人にできるわけのないことを平気で書いているのです。
これを柔らかく解釈すれば、自分の頭で考えるのが大切だよ、という花村萬月先生のおっしゃるところに通じるような気もしますが、確証はありません。

ちなみに、私は引用した文を、小説を書く上での戒めとして念頭に置いています。
すなわち、小説の理論や方法論ばかり読んで書こうとするのではなく、自分の頭で考えて書くべきだということです。もちろん、思索したからといって、必ずしも核心に到達できるとは限りませんが、それを嘆くのは人生の最期の最期でいいかなと思っています。

凡人が凡人である要諦

 自分の場合、他人のやりかたを演繹するのは、面倒くさいので、自分のやりかたに固執します。それで、失敗したり、独善に偏ったりするのですが、それはそれでいいとも、思っています。
 
 本も使いようによっては、ショーペンハウエルを幻滅させない方法はあると思います。つまり、自分の手足にしてしまうのです。
 詩がそうです。詩を理解出来る人間、言い換えれば、詩を楽しめる才能がある人間は、小説を書くことができると思います。
 一般人は、詩を訳のわからないものか、当たり前のことをただ、書き連ねているかのようにしか、思っていません。ここが、一般人が凡人にすぎない要諦だと思います。
 詩を楽しめる能力は、詩を創作するそれよりも、ひときわレベルの高い能力だと思います。というより、詩なんてものは、だれにでも作れるのです。ただし、それに価値を与え、賞揚できる能力は、誰にもあるものではないでしょう。
 それがあるということは、世界を手にできるということです。その世界を操るためには手足が必要ですか、それを錦さんも私も持っているのです。
 ですから、凡人だとは言わないでください。
 その手足を持って、創作活動に邁進しましょう。

>>uenoさん

uenoさんこんにちは。

面倒くさい、というのは同意です。小説にしてもシナリオにしても、かなりのノウハウを知ってはいるのですが、他人が考え出した方法に従うのは非常に億劫です。ですから、実作においてはどうしても自分のやり方でしか書けません。

私の場合、音楽がそうだったのですが、凡人が越えられない絶望的な壁を実感したことがあります。努力の限界というのでしょうか、それを言葉としてではなく、現実として感じ取ったのです。自慢話になるのですが、私がいた高校の合唱部は、全国的にはいまいちですが、関東では有名、地元ではナンバーワンという伝統と実力がありました。その練習は運動部も逃げ出すぐらいにハードかつ実践的なものです。なんせ、声楽家や音楽家をやっているOBが頻繁に訪れてプロ同様のレッスンをするのですから、他の高校の合唱部とは次元が違う世界でした。
だから、どんなに音痴で音感がない新入生が入部しても、一年も経たずにそれなりのレベルにまでたたき上げられます。
ある程度のレベルまでは誰でも到達できる。これは正しい指導と個人の努力と継続の力によるものです。
ところが、それ以上の領域にいけるかどうかは、本人の才能にかかってしまうのです。間違っても、プロにはなれない、そう悟ってしまうわけです。

私が今一番怖いのは、小説という創作の世界において、音楽と同じように悟ってしまうことです。人並みに文章を書くというのは、努力によってなんとかなるものだとわかりました。しかし、目指すべきはプロの小説家です。怖くて怖くて、身動きとれなくなります。

それでも、uenoさんが励ましてくださるので、まだなんとか書いていけると思います。これが一人では、きっと無理な話です。

邁進、いい言葉です。
どんどん進んでいきましょう。

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プロフィール

HN:
小瀬朧
性別:
男性
自己紹介:
創作怪談、twitterの短文小説#twnovel、短歌など。
メールでのご連絡は benzine100@gmail.こむ スパム対策なのでこむをcomにかえてください。 


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