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ゆっくりと小説を書こう

小説の書き方やお役立ち本などを紹介するBlogです。「小瀬朧」名義で第9回ビーケーワン怪談大賞をいただきました。twitterでtwnovelや短歌などを発表中。

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投稿日:2024年11月22日(金)

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恐怖映像が怖くて眠れなかった

投稿日:2009年01月14日(水)

TBSでやっていた恐怖映像の番組を録画した。

寝る前にちょっとだけ見ようと思って再生した。そうしたら、ランキングの50位と49位を見ただけで、もう怖すぎて見ていられない。そこでストップして布団に入った。

布団に入ったのはいいけれども、眠れない。なんせ、自分は幻覚・幻聴・金縛り・悪夢の常習者なので、寝たら最後、怖ろしい目にあうだろうことはわかりきっているからだ。とかいいつつ、じつはすぐ寝た。オカルト体質であっても、睡魔には勝てない。けっきょく、なんだかはっきりしないけれども、朝までうなされた。でも、それっていつもとかわりないかも。

ところで、普段は怪談ネタばかり考えている自分なのに、どうしても映像関連の恐怖モノだけは怖くてたまらない。文章で書かれた恐怖モノで怖くなるってことは最近の自分にはありえないけど、これが映像になるとどんなに陳腐なネタであっても恐怖を感じてしまう。なぜだろう。

ここで誤解のないように書いておくけど、自分はオカルトやら神秘主義(早い話が○教関係)に傾倒はしていない。普段怪談を書いているのは、あくまでもエンターテインメントの一つであって、小説の一ジャンルに手を出しているだけでもある。だから他人の書いた作品や、実話とか体験談と称された<フィクション>を読んで、それが現実の出来事だと考えることはまずない。「これは本当にあった話なんだけどね」という部分からすでに嘘が始まっているのだ。(エンタメとしての)嘘だとわかっているから、文章モノで怖くなることはない。

それでも、映像モノになると、いくら「こんなの嘘だよ」と頭ではわかっていても、心の部分が無条件に恐怖を感じてしまうのだ。だいたい、テレビで放送されるネタというのは有名なものが多く、その手のマニアなら裏話や真相も含めて知っているモノばかりだろう。間違っても、それが「本当の映像」だと思って怖がることはないはずだ。自分も当然そのつもりだ。

しかし、どんなにわかってはいても、恐怖映像を見ると怖くて怖くてしかたがない。ホント、なぜだろう。映像の力ってすごいよね、という言葉で片付けていいのかな。

「冷蔵庫のなかから青ざめた赤ちゃんの顔がじぃっとこちらを見ていた。」
「誰もいないはずの廃病院の窓から少女らしき人影がすっと這入りこんできた」

こうやって文章で書いてもぜんぜん怖くはない。シチュエーションとしてもありきたりだ。

でも、この映像が今でも脳裏に焼きついている。脳裏に焼きつくとはよくいったもので、嫌なはずなのに忘れることができず、ありありと思い出せてしまう。思い出そうとしなくても、常に脳内のどこかにイメージとして漂い続けている。話それるけど、この無駄な映像記憶の能力を他のことにいかせたら凄いよね。

ここで「論より証拠」という諺が頭にうかんでしまった。そんな単純な言葉でいいのかと思ってしまうが、人の心に恐怖を想起させるのも、「論」より「証拠」なんだろうね。文章は「論」で映像は「証拠」になるのかな。「だってじっさいに映ってるじゃないか!」ということか。

念のため「いや、文章のほうがイメージが湧くから怖いだろう」という人も想定してみる。そういう人だって当然いるだろうし、そちらのほうが知的だ。ただ、文章というものは作者と読者の信頼関係によって成り立っているので、私のように「文章とは嘘である」と信じ切っている人間にとっては、文章で無条件に恐怖を感じるというのは難しいのだ。ちなみに、それを逆手にとって「これは嘘なんだけどね」という話のなかに、勝手に真実を見いだしてもらおうという算段もあるかもね。

と、だらだらと書いたおかげで、ようやく昨日の恐怖映像の恐怖を克服できそうになってきた。

これから懲りずに残りの48位から先を見ることにしよう。




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小説の要諦

私は、その番組を視聴していました。
『文章は嘘である』とありますが、現象学によると、映像も含めて、五感で受け止めるものは、すべて嘘だそうです。少なくとも、そう受け止めると規定するらしいです。
 しかし、嘘とわかっていて、どうして人間は、怖がったりすることができるのでしょう。
 それが、予めフィクションであるとわかっていても、恐怖を感じ、それが面白みにも通じるのですから興味深いと思います。おそらく、それが小説の要諦になるのでしょうね。 

>>uenoさん

uenoさんこんにちは!

あの番組、リアルタイムで見たかったのですが、親が別のチャンネルを見ていたので録画しました。本当はお母様と一緒にキャーキャー怖がりたかったのです。

それはさておき、現象学の考え方と怪談およびオカルト系の創作方法は相性がよさそうですね。少なくとも、創る側にまわったら、主観と感覚の在り方について考えてみる必要がありそうです。作品を書くということは、読者にその作品内の世界観で出来事を解釈してもらうということでもあるわけですからね。

とくに文章の場合は、そこにあるのは意味の通じる文字の列挙であって、なんら事物が存在するわけではないのですから、人間の認識とそこから想起される感情のカラクリは実に興味深いところです。


ちなみに、怪談の作法としては、ある個人だけが体験したものというのはタブー扱いされています。代表的なのは金縛りや体外離脱系、「とにかく私は見たんだ」系です。とくにマニアほど「それは錯覚です」と切り捨てるので厳しかったりします。


と、やはりぐだぐだ書いてみたのですが、恐怖映像は怖いですね。わかってはいるのに、怖くて見ていられなくなります。不思議です。

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小瀬朧
性別:
男性
自己紹介:
創作怪談、twitterの短文小説#twnovel、短歌など。
メールでのご連絡は benzine100@gmail.こむ スパム対策なのでこむをcomにかえてください。 


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