投稿日:2024年11月22日(金)
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投稿日:2008年10月17日(金)
このBlogをはじめた頃とまったく正反対の意見になってしまうが、小説に限らず文章というものは「とにかく書く」のが重要なのだ。別に大多数の意見に迎合したわけじゃない。実際に書いていて、結局は「とにかく書く」に行き着いてしまうのだ。 「小説とはたった一言で言えることを、何万語も費やすことである」
これはある意味小説をみごとに言い当てて居ると思われます。そして、もしも「たった一言」が詩を意味するならば、それは小説とイコールで結べるのではないでしょうか。何処か詭弁じみていますが、実際、詩と小説の区別は、簡単なようで難しいと思います。
次ぎに小説とは、ひとつの思惟の流れのように思えます。人間の思惟は、しかし、ひとつの所に定住するものではありません。あたかも英雄の生涯のように、成功あり、磊落あり、と流転し続けるものです。だからこそ、英雄の生涯が「小説」となりえるのでしょう。
矛盾を怖れてはいけません。かつての敵への帰順を恥じてはいけません。
私が思うに、管理人さんはすでに「小説」を書かれていらっしゃいます。ただし、世間で言う「物語」の形式をとっていないために、そう見えないだけです。それを証拠に、私は「読者」として楽しませてもらっています。私は、管理人さんのブログから物語りを読み取り、思惟の流れを気のままに楽しんでいます。これを「小説を楽しむ」と言わずに何を楽しむと言うのでしょう?
p.s 偉そうなこと言ってごめんなさい。ついさきほどまで、「三國志」を扱った漫画「蒼天行路」を読んでいました。改めて読むと、汗だくになりますが、あえて、贈ります、この文章を。
uenoさんこんにちは!
何が一番うれしいかというと、こうやって私のためにコメントをくださる、それが何よりもうれしいことであります。人間は与えられた行為そのものより、その行為の根底にある気持ちに気づいたとき、こころ動かされるのだと、わかりました。
「小説とはたった一言で言えることを、何万語も費やすことである」
よくできた小説は、どんな長編であっても、その中心にあるのは一つの純粋な一言だったりしますね。そして、そのような一言は、誰もが心に抱いていますから、すなわち誰もが小説を書く理由を持っているともいえます。しかし、悲しいことに、ほとんどの人はその一言に気づけない。私も気づけない。矛盾しそうですが、気づけないからこそ、小説を書くともいえると思います。それはつまり、自分のなかにありながら、自己を超越した領域に存在する「何か」をつかみ取ろうとする行為でもあるのではないでしょうか。
と、書いてしまったのは、昨晩NHKで再放送されていた宮崎駿氏のドキュメンタリーを見た影響です。
それにしても、私自身が気づけない、私の物語はいつ生まれるのでしょうね。もう始まっているようですが。
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