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ゆっくりと小説を書こう

小説の書き方やお役立ち本などを紹介するBlogです。「小瀬朧」名義で第9回ビーケーワン怪談大賞をいただきました。twitterでtwnovelや短歌などを発表中。

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投稿日:2024年11月24日(日)

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夢のなかの方向感覚と時間の関係

投稿日:2008年09月10日(水)

これは非常に個人的な感覚の問題かもしれない。

南に向かって移動する夢を多く見ている。それはクルマだったり、徒歩だったり、何らかの飛行物体であったりするのだが目的地はだいたい南の方角にある。なぜ南に向かっているとわかるのか、その明確な証拠があるわけではない。ただ、南に向かっているという自覚があるだけだ。

北に向かう夢を見ないわけではない。北に向かう夢のほとんどは帰宅を目的としている。家に帰るために北に向かっているのだ。南に向かって出発しているのだから、北に帰るのは当然だろう……いや、当然なのかこれ。同じ夢のなかの出来事ならともかく、帰宅するだけの夢がつねに北に向かっているというのはなぜなだろう。

時間のイメージもある。これは言葉にするとなんだかおかしな気分になるが、自分にとって夢のなかでの南の方角は時間的な未来を意味している。一方、北は過去を意味する。あえて時間的なと書いたのは、未来という言葉には空想めいたものが含まれるので、自分のいる現在からつながっている未来と限定したかったからだ。南の国にSFワールドが広がっているという意味ではない。距離と時間が入れ替わった感覚とでもいえばいいのか。たとえば、現実世界の俺はヒキコモリだからずっと部屋の中にいる。時間だけが過ぎ去る。しかし、夢のなかではつねに南に向かって移動し続けているが、時間は経過しない。沈まない太陽。明けない夜。いつまでも続く夕暮れ時。そんな世界を旅している。

これはなんなのだろうか。

別に話を作っているわけではない。子どもの頃から見ている夢を思い返してみると、そういう共通部分というか夢の根底があるように思えるのだ。

これはある種の人間に共通する感覚なのだろうか。たとえば、北半球に住む人間が抱く南北のイメージがそのまま夢に影響を与えている可能性はないだろうか。北は寒い、南は暖かい。南の海、南の島、地上の楽園。南には快適な生活がある。このようなイメージだ。そうだとすれば、ここまでがんばって書いたわりには、ごく普通のことになってしまう。

時間の感覚はなんだろうなあ。時間が過ぎ去ってしまうような夢は記憶にない。移動はしているのに時間は過ぎない。これも普通のことなんだろうか。



ある夏の暑い日、俺は母と一緒に果樹園をつらぬく道を歩いていた。夕方いつも遊びに来る姪のために、絵本を買いにいくのだ。本屋は南の街にある。小さな古びた本屋が、たしか一軒あるはずだ。この果樹園の道をまっすぐに進めばすぐに行ける。まっすぐに歩き続けるだけで、いい。太陽はまだ真上にある。どんなにゆっくり歩いても夕方までには間に合うだろう。夏の強烈な光線が果樹園の木々の下に濃い影を作り出している。ずっと照らされ続けているから影はますます濃くなって、夜の闇よりも暗い黒に近づいている。俺は暗黒に足を踏み外さないよう、母の手をしっかり握る。俺と母は本屋に向かって歩いている。いつまでも、歩いている。たぶん、今も。


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ジャポニカロゴスが終わってしまった

投稿日:2008年09月10日(水)

毎週楽しみにしていたのに残念だ。

以前、他人から言葉の間違いを指摘されるのは鬱陶しいと書いたが、あれはS君の話でもわかるように、面と向かって言われると非常に嫌な気分になるということだ。とくにS君の場合は、とにかく俺を貶めるという大前提のもとに俺の言動を観察していたのだからどうにも手に負えない。今思えば、おそらくお互いに高卒社員ということで劣等感の塊になっていたのかもしれない。同じ高卒でも自分のほうがレベルが高いぞ、という底辺の争いだったのだ。

テレビ番組ならいい。いくら言葉の間違いを指摘されようが、他人事のように眺めていられる。そこで自分も間違って使っていた言葉、知らない言葉が出てきたら、へぇと言いながらメモに取ればいいだけのことなのだ。世間一般向けに制作されているから、出題される言葉のレベルも俺にとってはちょうどよかった。本当なら、とんちんかんな答えをいう出演者をせせら笑い、優越感に浸ってもらおうという趣旨のバラエティ番組だったのかもしれないが、俺は笑えなかった。自分もこうやって馬鹿にされまくっているよなあ、という同情に近い気持ちで見ていた。もっとも、それだって演出のうちだし演技も含まれるのだから、あまり本気にはなっていないけどね。

ただ今回の最終回、俺が本当なら今日ネタにして書くつもりだった「足をすくわれる」「汚名を雪ぐ」の誤用がかぶってしまった。番組内にでてきたのだ。もし書いたら「ああ、こいつタモリを見たな」と思われてしまう。いや、実際見ているけどね。

ちなみにどういう誤用かというとこうだ。

×足下をすくう
○足をすくう

×汚名を晴らす
○汚名を雪ぐ

どちらも非常に間違いやすい、というか俺は間違って使っていた。「足下をすくわれる」って、よく口にしていたような気がするし、「汚名を晴らす」もちょっと見たところ間違っているように思えないから危険だ。俺はかなりいやらしい性格なので、Blogで言葉の誤用ネタを扱う場合は必ず検索エンジンを使って、WEB上でどれだけ誤用されているか見ている。「汚名を晴らす」は普通に使われているし、間違いを指摘する声もそれほど多くはない。

汚名を晴らすって、けっこう口にしていたような気がするなあ。でも、S君につっこまれた記憶はないので、やはり底辺の争いだったのだなあ。
 

憤懣やる方ない

投稿日:2008年09月09日(火)

今、本を読んでいて初めてであった言い回し。

「憤懣やる方ない」

なんだろう、これ。

まず、どこまでがまとまった言葉なのかわからない。「憤懣やる」「憤懣やる方」それとも「憤懣やる方ない」で一つの言葉だろうか?

次に、漢字が読めなかった。読み方がわからないと辞書がひけない。漢字辞典で憤懣の「憤」を調べると熟語として「憤懣」が掲載されていた。「ふんまん」と読む。ということは、「憤懣」+「やる方ない」なのか。「やる方ない」なんて言葉もまるで聞いたことがない。

広辞苑をひいてみた。

【憤懣】 ふんまん
いきどおりもだえること。発散できずに、心中にわだかまる怒り。

【遣る方無い】 やるかたない
思いを晴らす方法がない。言いようがない。しかたがない。やらんかたなし。

それぞれの用例に「憤懣遣る方無い」がでているのでこれはワンセットで使う言葉だろう。さらに解説をよくみると「遣る方無い」は形容詞だ。ということは、前回書いたけど、丁寧に言おうとして「ない」の部分を「ございません」に置き換えると誤用になるのかな。丁寧に言うなら「憤懣遣る方無いことです」か「憤懣遣る方のうございます」が正しいのか。この考え方はあってるのかな。なんだか不安だ。

でもこの憤懣遣る方無いって言葉はいいね。俺のいつもの心情にぴったり合うように思える。いつだかの、通りすがりの軽トラックの運転手が俺の腹を指して「なんだその腹は」といってそのまま走り去ったときの気分は、まさに憤懣遣る方無いといえるよなあ。

アイスクリームでもめた夏

投稿日:2008年09月08日(月)

とにかく会って俺が口を開くたびに何かミスを見つけてつっこんでくる友人がいる。俺の馬鹿さ加減を笑うのが彼の生き甲斐なのだから仕方ない。彼は自分のおちんちんを握り、エッチな本を見ながら手を動かす一連の作業を俺に見せつけて喜ぶ人間だけど、知性は俺より上なのだ。

そのHENTAI、違った、友人と遊びに出かけたときのことだ。俺が「暑いからコンビニでアイスクリームでも買おうぜ」というと、彼は「おまえもしかしてアイスクリームの区別つかねんじゃない?」という。俺が「何わけのわからんこといってんの。アイスはアイスだろ。おまえ馬鹿なの馬鹿なの」というと「うわまじやべぇこいつ、アイスクリームは全部同じだとおもってんだ、やべぇ、こいつやっぱ馬鹿だ。まじやべぇ」といつものパターンになった。

彼がいうには「アイスクリーム」という名称が使えるのは、それに含まれるある成分がある基準を超えているものだけだ。その基準に達していないものには別の呼び方があるらしい。

「あっそ。厳密に区別されているならそれ全部教えてよ。馬鹿な俺にさ」
「忘れた。たしかラクトアイスってのがある」
「おまえもわかってねえだろ」
「どっかの誰かさんみたいに区別されていることすら知らない奴は超やばいけどな」

なんだかんだいってこの程度だから、実は俺と同レベルなのかもしれない。類は友を呼ぶって言葉は本当にそうなのかもね。

さて、その「アイスクリーム」の区別だけれども、これは専門のページを見た方が間違いがなくて確実だ。

日本アイスクリーム協会

上記のページへ行けば詳細な資料がある。とりあえず、普段イメージするアイスクリームは「アイスクリーム類」と呼ばれ、含まれる「乳脂肪分」と「乳固形分」の割合によって「アイスクリーム」「アイスミルク」「ラクトアイス」の3つに分類されるそうだ。それら以外のもの、たとえばシャーベットやかき氷は「氷菓」とされている。

彼の言いたいことはよーくわかった。だけど、やっぱ馬鹿だわ。日常生活で「おい、ラクトアイス買おうぜ」なんていうか。いわねぇよ。おまえは野内先生の『レトリックと認識』でも読み直してこい。なんていうと「そんなのとっくに読んだわばーか」と言い返されそうで怖い。泥沼、泥沼。


カーターカーナー

投稿日:2008年09月08日(月)

毎回、俺のちっぽけぶりをアピールするだけのカテゴリだけど、まあいいや。

俺は、俺の知らないカタカナ言葉を使われると腹が立つ。会社時代にムカっと来たのはありとあらゆるところでレジュメとかレーゾンデートルとかコアコンピダンスとかコンプライアンスとかローンチとかわけのわからない言葉が飛び交っていたことだ。そういう言葉がでてくるたびに、その場では「なるほど、なるほど」とわかったふりをして、あとでこっそりカタカナ語の辞書をひかないとならないのだから面倒だった。面倒な上に、ひいてみた単語の意味がひとこと「存在理由」だけだったりすると嫌な脱力感におそわれる。

こんなことを友人に話したら「だからおまえは馬鹿なんだ」ととどめをさされてしまった。正直な人は、好きだ。

その友人とカタカナ言葉で最近また口論になった。俺が「わけのわからんカタカナ言葉使う奴ってアホだろ。なんだよキッチュって。しらねーよそんな言葉」といったら「キッチュなんて普通誰でも知ってます。中学生でも知ってます。だからおまえは馬鹿なんだ」といつものパターンになった。さらに俺が「いやいや、キッチュなんて絶対誰も知らない。使わん使わん。絶対絶対絶対」と言い張ったら「ばーかばーかばーかあほあほあほ」と愉しいことになってしまった。

このやりとりはいつものことだから別にいい。ところが、その絶対誰も知らねーよと思っていた「キッチュ」という言葉が、家に帰ってたまたま開いた本でこれでもかというぐらいに使われていた。俺はへこんだ。どういう偶然だよ。ご丁寧にキッチュという言葉を説明するだけでなく、現代の社会システムを考える上で非常に重要な概念として再定義する内容だった。そうか、そんなに重要な言葉だったのか。今回も俺が一方的に負けてしまった。無念。



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小瀬朧
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