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ゆっくりと小説を書こう

小説の書き方やお役立ち本などを紹介するBlogです。「小瀬朧」名義で第9回ビーケーワン怪談大賞をいただきました。twitterでtwnovelや短歌などを発表中。

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投稿日:2024年11月23日(土)

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ないないだらけの文章

投稿日:2008年10月09日(木)

自分の文章は否定が多い。うすうす気づいてはいたが、そろそろ向き合ってみる。

できない書けないわからない。

ないないない、とそんな文章ばかり書いている。(意識していないという意味での)無意識にそういう構文を好んで使っているのだろうけど、ちょっと多すぎると思う。

そんな文章ばかり書いていれば気が滅入ってしまうのは当然だ。俺はとにかく間違っている、正しいものはどこか別のところにある、そんな考えが根底にあるからだろうが、つまりは自分にだめ出しの連続なのだ。

わかりやすくいえばこうだろう。俺が書けないのは、自分に問題があるからだ。自分が間違っている。その間違っている自分を否定すれば、正しい何かが見えてきて、書けるようになる。そう思い込んでいるのだ。もちろん、間違っている自分を否定したからといって、正しい何かがどうして見えるのか、根拠なんかまったく「ない」。

ちょっと短絡的になるが、否定とは創造の前段階であるべきだと思う。新しいものをつくるために古いものを壊すという考え方だ。この考え方は、正しいかどうかはともかく、よく耳にしたことがあると思う。そして、それは俺もよくわかっているつもりだった。

ところが、俺は壊すことばかりに夢中になっている。これから何かを創るための破壊なのに、俺は壊すことに酔いしれてしまった。俺の心は瓦礫の山だ。瓦礫のなかを彷徨っていると、そのうち破片のひとつひとつがパズルのピースであるかのように錯覚する。この瓦礫の破片をすべて組み合わせれば、ひとつの巨大な美しい絵ができるのではないかと考える。そうして俺は手に取った破片をあちらこちらから眺めながら、見当違いな品評をひとりではじめるわけだ。

なんとむなしい光景だろう。

今書いているこの文章も、そんな瓦礫のひとつであるのだけれどもね。だから、たまには前向きなことをつぶやいてみる。

――今のままでいいじゃん。




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昼寝が終わらない

投稿日:2008年10月08日(水)

時計代わりの携帯電話が目に映っているのに、それをつかもうとする手がどこにも見えない。

思い切って身体を動かすと、起き上がるのだが妙な違和感がある。頭の上のほうで、ずっと掃除機の音が鳴り響いている。じんじんと手足が細かく振動している。

これはまだ夢だ。目を開けろ!

時計代わりの携帯電話が目に映っている。枕にした座布団も左目の視界にある。読みかけの文庫もそこにある。けれども、それらをつかもうとしている手が、どんなに動かしても、目に映らない。顔の前でぶんぶんと手を振っているのに、見えない。

これはまだ夢だ。もう一度、目を開けろ!

同じことを数回繰り返す。同じ文章が続くので、コピーペースト、コピーペースト、コピー……。

※※※

いわゆる体外離脱状態なのだが、俺の場合はただの明晰夢に近い。目に映っている景色は確かに昼寝している部屋のものだが、夢が創り出している虚像なのだ。手を動かしているつもりだが、現実の手は動いていない。手を動かしている感覚も、夢が創り出したものだ。じっさい、本当に目が覚めてみると、あたりはすでに真っ暗で、さっきまで見えていた光景と違う。手は身体の下敷きになっていたので動きようがない。

昼寝をするとかなりの確率でこの状態になるので、俺は怖い。怖いのだ。

体外離脱だの明晰夢だのというと、ある種の人にとってはあこがれの体験かもしれないが、俺は怖くてたまらない。もう少し身体を動かせば、完全に肉体からはなれることができそうな感覚になるのだけれども、同時に、心の内奥にどうしようもない恐怖感が生まれる。今、こうやって覚醒しているときは、どうせ夢なんだから思い切ってその先に行ってしまえばいいのにと思う。しかし、いざその状態になると、まったくどうしようもない恐怖にとらわれてしまうのだ。あえて喩えるなら、現実世界で、屋上から地面に向かってちょっと飛んでみようとしている感覚だろう。空想ではなく、現実でだ。現実で屋上から本当にダイブできる人間は、いうまでもないだろう。

それに、これはちょっとオカルトめいた話になるので嫌なのだが、この昼寝中の明晰夢にあまり長い時間はまっていると、いろいろな「何か」が俺の寝ているところにやってくる。

とはいいつつ、俺はオカルト好きだからこそ、逆説的に現実主義者になっているので、自分の体験はすべて脳内での出来事だと認識している。けれども、俺とは逆に、現実主義にどっぷりはまっている人は、こういう体験を「自分が」してしまうと、あれよあれよとオカルトの世界に来てしまうのかもしれないな、と最近考えている。





~がわかる

投稿日:2008年10月08日(水)

ダイソーで買った『間違いやすい日本語辞典』を見て初めて気づいた。ちなみに100円。

○ 事情わかっていない
× 事情わかっていない

解説にはこう書かれている。
「知る」や「理解する」は「~を知る(理解する)」のように「~を」の形で使われますが、「わかる」は「~をわかる」でなく「~がわかる」と使います。漢字で「分かる」と書くように、「わかる」のもともとの意味は「別々になる」で、そこから、物事の区別がはっきりする、内容・事情などが理解されるというふうに意味が転じました。本来は、人ではなく物事のほうを主語とする動詞ですから、「~がわかる」という形が正しいのです。
 

これはまったく知らなかった。たぶん今までかなり間違って使っている。

広辞苑をひいてみる。

わかる 【分かる・別る・判る・解る】 《自五》
(1)きっぱりと離れる。別々になる。
(2)事の筋道がはっきりする。了解される。合点がゆく。理解できる。
  「よその言葉が―・らない」「文学が―・る」
(3)明らかになる。判明する。
  「試験の結果が―・る」「犯人が―・る」
(4)世情に通じて頑固なことを言わない。
  「話の―・った人だ」

(3)の例文でいうなら、「試験の結果をわかる」「犯人をわかる」では、口に出してみるととたしかに違和感があるな。

これはメモにでも書いてモニターに貼っておかないと間違ったまま使い続けそうだ。あぶねぇ。

なりたいものになれましたね

投稿日:2008年10月08日(水)

――なりたいものになれましたね

劣化を忘れたデジタルデータのなかから
今とは違う 別の時間のわたしが 囁いた

――なりたいものになれましたね

――ええ あなたがのぞみましたからね いま ちょうど死ぬところです

――ああ だれだっていつかは死ぬでしょう なりたいものになれてよかったですね

ぼんやりとした部屋に ぼんやりとした空気
ぼんやりとしたわたしの しかし まだ動いている心臓

――ああ あなたはむかしをふりかえっているのですね

――ええ もう死ぬところですから はい

けれども きっと朝は来る
いつものように

 

くだらないことほどメモにとる

投稿日:2008年10月07日(火)

なんとなく思ったことやちょっと気になったことほどメモにとるといいかもしれない。

今日、カードメモの整理をしていてわかった。時間が経ってみると、重要だと思っていたものほどくだらない。逆にどうでもいい殴り書きに有用なアイデアを見つけたりする。

こんなメモが出てきた。
 

 いちばん働き者なのは、なまけさせようとする心だ


今となっては、自分で考えたのかどこかで見たものなのかわからない。小説に使おうと思った断片の台詞かもしれない。これをさっき見つけたとき、過去の自分からお節介なメッセージを受け取ったような気分になった。もちろん、オカルトめいた解釈をする気はまったくなく、たんに今の自分の心境と過去の思いつきの言葉がたまたま合致しただけのことだ。同時期に書かれた他のメモは今でもどうでもいいことばかりである。100枚につき使えそうなメモは1枚あるかないかだ。ほとんどが、ほんとに、くだらない。

それでも、今は意味がないことでも、いつかそれに意味を持たせられるなら、どんなくだらないことでもメモに残しておくべきだと思う。

メモではなく、Blogもそうかもしれない。今日も書いたまま公開せずに消してしまったエントリが2つぐらいある。今書いているこれも、さっきから消したくて仕方ないのだが、とりあえず公開する。





 

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プロフィール

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小瀬朧
性別:
男性
自己紹介:
創作怪談、twitterの短文小説#twnovel、短歌など。
メールでのご連絡は benzine100@gmail.こむ スパム対策なのでこむをcomにかえてください。 


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