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ゆっくりと小説を書こう

小説の書き方やお役立ち本などを紹介するBlogです。「小瀬朧」名義で第9回ビーケーワン怪談大賞をいただきました。twitterでtwnovelや短歌などを発表中。

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投稿日:2024年11月23日(土)

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タイヤがパンクすると自動車は走れない

投稿日:2008年12月06日(土)

どこかが、何かが、劣化していく毎日。世界は消耗品の塊からできているのだ。

なぜ私の車は左後部タイヤがいつもパンクするのだろうか。毎日の走行パターンがほぼ一定だから、その経路に何か問題があるはずだが、またネジが刺さっていた。誰かネジをばらまいているのか。

とはいえ、異物が刺さったままならタイヤの空気は完全には抜けきらないのである程度は走れる。早速、24時間営業のスーパーへ朝7時過ぎに出かけ、パンク修理キットを購入した。

パンク修理キットは、パンクを自分で修理できるキットだ。キリのような道具とゴムでできた栓と接着剤がセットになっている。タイヤから異物を抜いたらその穴をキリのような道具でねじ広げ、そこにゴムの栓を挿入するらしい。ゴムの栓は4本あるので、失敗しても4回まではチャレンジOKだ。あるいは、タイヤ4本は直せるのだから、同じようにパンクで困っている友人を助けることができる。一応友人はただ一人いるので、そいつに聞いてみてパンクで困っていないなら、それでおしまい。なんだかな。

で、買ったのはいいけれども、なんだか億劫で直す気になれない。ろくなことが起きない日常に住んでいると、こういうちょっとした嫌なことに出会っただけで、頭から布団をかぶって寝てしまいたくなる。それは文字通りの行動だ。そして、私を律する人間がいないので、常に実行される。つまりは、今から私は寝る。

ああ、目なんか覚めなきゃいいのに。
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地球を目指す夢

投稿日:2008年12月04日(木)

その世界はどこか遠い星だった。現実世界の地球よりも遙かに進んだ科学力で、大型の宇宙船を建造することもできた。そして、宇宙から飛来する何者かと戦争をしていた。

その世界でも私は仕事に困っていた。あるとき、「囮」のアルバイトを見つける。募集しているのは軍隊で、破格のお金がもらえた。しかし、但し書きがあってこう書いてある。「囮なので死にます」と。

そんなアルバイトでもやるしかないと思ったのは、夢のなかでさえ、私は切羽詰まっていたのだろう。早速軍隊に行くと、士官クラスの立派な制服を与えられ、まだ飛び立つ前の巨大な宇宙戦艦に配属された。私も含め、アルバイトに集まった青年たちはそれだけで喜んでいた。

仕事は簡単だった。というより、仕事ではなく遊びだった。ただその宇宙戦艦に乗っているだけでいい。囮であるから、好き勝手に宇宙めがけて主砲を撃つなり艦載機で遊ぶなりしていろという。おまけに、もしできるものなら宇宙へ飛びたってもいいとまでいわれた。とにかく派手にやって敵を騙せということだった。もちろん、私たちはまったくの素人だから何もできるわけがなかった。それでも、みんな楽しくてしかたなかった。みんなで軍人ごっこをしたり、ある者は動かせもしない艦載機に乗り込んであちこちいじってみたり、またある者は船のマニュアルを見つけ出し夢中で読み耽っていたりした。

ところが、いつまでたっても敵が現れる様子はない。本物の軍隊からの一方的な連絡もいつの間にか途絶えている。囮なのだから私たちが真っ先に攻撃されなければならないはずなのに、敵は姿さえ見せない。通信機のマニュアルを見ながらこちらからの連絡を試みるが応答はまったくない。私たちは途方に暮れた。

それからかなりの時間がたち、仲間の一人が独学で艦載機の操縦をマスターした。彼は「街を見てくる」と飛び立っていった。

帰ってきた彼が発した言葉はこうだった。

「世界はすべて滅んでいたよ」

さて、それから私たちは悩んだ。これからどうするのか。帰るべき街もない。この宇宙戦艦だけが生き残った私たちの拠り所だ。

もうこれが夢だとうすうすわかりはじめた私はみんなに提案した。

「実は、俺はこの星の住人じゃないんだよ。もしよかったら、この船で俺の星へ行ってみないか」

みんなはそれに賛成した。囮だったとはいえ、この宇宙戦艦は旧式というだけでまだ動く。最新鋭に比べれば性能は劣るが……

「俺の星の科学力では、この船にさえ太刀打ちできないんだぜ」

歓声が沸き起こった。すでにエンジンは始動している。艦長役に抜擢された私はマニュアルを片手に発進の指示を出した。

「その星の場所は、太陽系の――」






面白さってなんだ

投稿日:2008年12月02日(火)

面白さってのは、読者として楽しむ分には、理屈ではない。当たり前だけど、面白いというのは突発的に沸き上がる感情だ。頭のなかで論理的に考えた結果の感情ではない。むしろ、あとから「なぜ面白いと思ったのだろう」と理屈を考えたりする。

面白さってなんだろうといつも考えてはいる。ジャンルを超えた面白さの共通点としては「意外性」が挙げられるのではないか。「予想外」もそうか。「意外性」と「予想外」がどこまで同じ意味になるのかは、まだちょっと言葉の定義を厳密に調べていないからいい加減だけど、まあだいたい同じじゃないかな。

自分は怪談ばかり考えて書いているが、怪談の面白さもやはり「意外性」のような要素だと思う。いや、ちょっとニュアンスが違うか。怪談の場合は、普段のまったく何気ない日常にふいに現れる怪異が「意外性」に該当するか。あるいは、ちょっとした奇妙な出来事によってこの世界そのものの見え方が変わってくるとか。「あなたは知らないだろうけど、実はね……」という形式で語られるのも怪談の範疇に入るだろう。単なる錯覚や見間違いでは片付けられない(読者が、だよ)、現実世界に打ち込まれた楔のようなもの、それが怪談の面白さだと思う。オバケだのユーレイだのが怖いって思う本質もそこにある。

ただ、冷静に考えてみると、実は当たり前すぎることかもしれない。なぜなら、そもそも「物語」として切り取られる「世界」というものは、何らかの「意外性」や「予想外」があるからだ。ようするに、「意外性」も「予想外」もない世界は最初から「物語」として選択されないということだ。仮にあるとすれば、それは「物語」ではなく、ただの「実録」だ。

なんとなく、今、すごく奇妙なことを書いたかもしれない。「物語」と「世界」のどちらが先に存在するのだという疑問が沸いてきた。

洗濯機が壊れると洗濯ができない

投稿日:2008年12月02日(火)

壊れた洗濯機では洗濯ができない。洗濯ができないというのは、困る。洗濯物がたまってしまうからだ。

2週間はコインランドリーに通った。夜になると母と一緒に、病院の横にあるログハウス風のコインランドリーに行った。近くにコンビニがあるから、洗濯の待ち時間に肉まんや唐揚げを買った。薄暗くてぼんやりとした病棟がそびえ立つのを眺めながら食べる肉まんはけっこううまかった。

肉まんや唐揚げはうまくても、毎日コインランドリーに通うのはお金がかかりすぎる。乾燥までできる全自動が800円するし、乾燥なしの洗濯だけでも400円はする。当然、新しい洗濯機を買おうという話になった。

買った。

半年前にオープンしたばかりの家電量販店で全自動洗濯機が17800円だった。配送料も無料だった。安くてよかった。ついでに携帯電話も安くなっていたので買った。らくらくホン。

で。

洗濯機を設置したり携帯電話に電話番号を登録したり姪の写メを撮って待ち受けにしたりで丸一日つぶれた。

ところが、洗濯機を設置したのはいいけれども、最後の最後に水道につなごうとしたら、給水ホースの長さが足りなかった。洗濯機に付属の給水ホースは0.8mだが、うちの水道の蛇口までは2m近くある。ぜんぜん足りない。

それに気づいたのが、姪が帰ってからの夜9時ごろだ。父も母も私も姪と遊ぶのに夢中で洗濯機のことなんかどうでもよかったのだ。ホースの長さなんかぜんぜん考えていなかった。

けっきょく、コインランドリーに行った。

帰りに24時間営業のスーパーで延長用の給水ホースを買った。

知っているか知らないか

投稿日:2008年11月29日(土)

小説に限らず、創作に関するノウハウやテクニックが今はどこにでもあふれている。本屋に行かずとも、ネットで検索すれば何を見たらいいのか迷うぐらい大量にヒットする。一般に公開されていないグループ内だけの知識交換も、mixi等のコミュニティにおいて盛んらしい。少なくとも、インターネット以前の、個人が手探り状態で創作をしていた時代とはまったく違うのだ。

そうなると、「知らない」ということは「怠惰」と同義になってしまう。感傷的な書き方をするなら、純真無垢な己の感性だけに頼っていては、創作は成り立たないということだ。既に今の時代、完全なオリジナルを生み出すのは途轍もなく難しくなっている。自分ではオリジナルのつもりでも、「○○に似ていますね」とか「○○と同じです」と言われることは、よくあるのではないか。私は昔書いていた詩に「立原道造に影響を受けていますね」と感想をもらったことがある。慌てて本屋に走り、立原道造の詩集を買った。立原道造を読んだことがなかったからだ。私の詩が本当に立原道造風であったのかどうかは、もしかしたらその読者の恣意によるものかもしれないが、何にせよ、私の作品がそれだけ独創性に乏しいものだったということには間違いない。

私はこのBlogで、小説の書き方がわからないとよく書いていた。実際は、そんなの嘘だ。「書き方」なんてかなり知っている。書き方をたくさん知りすぎたために、逆に書けなくなっていたというのが本音だ。書く前に知識だけが先行してしまっているのだ。これは私だけではない。ネットで「小説が書けない」と告白している人の大半は、知識不足ではなく、知識過剰になっているのではないか。その証拠に、創作以外の文章、たとえば本の感想や日々の雑感で、雄弁になっている人は実に多い。偏見かもしれないが、小説が書けないと嘆く人ほど、小説以外の文章はスラスラと書いているような気がする。

先に書いた、「知らない」ことが「怠惰」だとするなら、「知りすぎている」のは何になるのだろう。雑誌やテレビが情報源だった時代に比べれば、今の時代は個人が得られる情報は莫大な量になっている。かといって、人間の脳の処理能力が比例して向上しているという話は耳にしない。

まったく、よくわからない。というか、既に自分の処理能力は限界だ。

オチはない。






たとえば、何か一冊の小説指南本だけを信じるというやり方も考えつく。しかし、いざやろうとしても「もしかしたらもっと別の正しい方法があるかもしれない」と考えてしまう。

 

※※※
追記

だったらいろいろな本のエッセンスをまとめて自分なりのノウハウを構築すれば……ということも考えつく。ただそれをやっていると、自分で書くよりもこのノウハウを他人に教えたほうがいいんじゃないかと思ってしまう。小説の書き方を求める人はたくさんいる。彼らを相手にサイト運営するなり商売するなり……うーん。

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プロフィール

HN:
小瀬朧
性別:
男性
自己紹介:
創作怪談、twitterの短文小説#twnovel、短歌など。
メールでのご連絡は benzine100@gmail.こむ スパム対策なのでこむをcomにかえてください。 


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