投稿日:2024年11月21日(木)
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投稿日:2008年11月15日(土)
小説が書けないとかいっているが、その悩みの正体は実に情けない。
自虐的であるそぶりをみせながら自分の内面を真に晒そうとしないあざとさがある。単純な話なのだ。悩みの正体は、たんに面倒臭いという怠惰な精神だ。
書き方もわかっている。練習方法もわかっている。テクニックやノウハウも知っている。けれども、それをやるのが面倒でたまらない。
暗いところにあるあやふやであいまいなモノを引きずり出してみれば、なんともお粗末な姿だった。
小説を書くことは、実におそろしいことです。自分の体の中に、何か、別の意思を持ったものが存在するような感覚です。
世界を創り上げることは当然、楽しいことですが、一端、できた世界が動いてしまうと、何とも言えない恐怖が発生するのです。
自分が作って、名付けたキャラクターたちが、本当に存在し、あたかもその世界が実在するような感覚。言い換えれば、小宇宙(ミクロコスモス)という感覚になるかもしれません。ここまで、達したとき、小説はうまくいっているのですが、とんでもないことに手を出しているような気がします。神の領域に、手を突っ込んでいるようなそんなイメージです。これを乗り切らない限り、小説は完成しないのですが、実は、これは私の弱点でもあります。多量のメモリーを喰いながら、寝たきりになっている小説たちがいっぱいいます。私のHPにはそのような小説たちが、収容されています。
彼等を救いたいのですが、この致命的な欠点をなんとかしないと作家になるどころか、ひとつも長編小説は完成されられないことになってしまいます。
プロットを最初に構築しているのに、なかなか完成させられないのは、そのためです。
何とかしたいとは思っていますが、なかなか解決策を見つけることはできません。
あえて言うならば、精神力ということかもしれません。
uenoさんこんにちは!
創造することの恐怖感は、たしかにあるかもしれません。何かを創るということは、創造主である自分の精神活動に他ならないのですが、そうであるにもかかわらず、自分の想定していたものとは違うものが生まれてしまいます。
そうなると、自分という存在は、たんに文字を連ねるだけの装置のように思えてしまうのです。いったい、自分のなかの「誰」が世界を創っているのでしょうか。不思議でなりません。
同時に、自分のなかのその誰かがいなくなってしまうと、文章はまったく書けなくなってしまう。
上の文章で私は「面倒」と書いていますが、その実体をもっと掘り下げて見る必要がありそうです。
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