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ゆっくりと小説を書こう

小説の書き方やお役立ち本などを紹介するBlogです。「小瀬朧」名義で第9回ビーケーワン怪談大賞をいただきました。twitterでtwnovelや短歌などを発表中。

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投稿日:2024年11月22日(金)

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不安だからしゃべる

投稿日:2009年05月15日(金)

心のメカニズムはわからないし、一般的なのかもわからないけど、不安に襲われると、とにかくしゃべり続ける。

ところが、現実世界では、私は薄暗い部屋にいつも一人っきりなので話す相手がいない。だからといって、外の世界に出ようとも思わないので、つまりはこうやってBlogを書く。

壁に向かって独り言をいうのでも構わないのだけれども、やってみると意外とはまってしまうので危険なのだ。もし、あなたが今、周りに誰もいない場所にいるなら、本当に声を出して自分自身との会話を試してみて欲しい。最初は馬鹿らしくて恥ずかしくてすぐに口を閉じてしまうが、それでも声を出し続けていると、ある瞬間から、自分の声が神の声になって、ぞくぞくするような快感とともに、恍惚とした境地に達するはずだ。

冗談ともかく、独りでしゃべり続けていると、「あれ、これっていったい誰がしゃべっているんだ?」という気分になってくる。しゃべっている自分とそれを聞いている自分は同一である、と意識すればするほど、自分の内部に潜む、自分ではない何かの気配を感じる。

最初にこの状態を発見したのは、高校時代、合唱部にいたころだ。どこのホールか忘れたけど、何かの大会で舞台に立って歌っているとき、歌っている自分とそれを冷静に眺めている自分とに、自分が分離してしまった。それでも歌はとまることなく、自分は自分を眺めているはずなのに、自分は自分で歌い続けている。あるいは、これは分離などではなく、自分と世界が一体となったために、同時にすべてを感じることができたとも考えられる。

そういえば、かなり昔に、クルマで豪快に事故を起こしたときも、自分と世界が一つになったのを感じた。空中に舞い上がり、クルクル回転するクルマの中で、私は自分と世界の境界がなくなり、世界そのものになっていた。ちなみに、私はそのときに死んだのだが、今ここにいる私は、死ななかった方に分岐した私だ。その考え方からすると、毎日毎日、私は何らかの手段で自らの命を絶っているのだが、当然、これを書いている私は、死ななかった方に分岐した私だし、読者であるあなたは、私が死ななかった方に分岐した世界に属するあなたなのだ。

ともあれ、こうやって訳の分からないことを書き続けているのも、しゃべるという行為の代替であって、ようするに、私は今、不安で不安で不安で、不安なのだ。



何にもおそれない勇気をください。




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パラレル世界の自分

それは、パラレル世界の錦さんではありませんか。私は、夢日記をつけているのですが、夢の中では、異性だったり、現実とは、まったく違う年齢だったりします。中には、時代や境遇が、完全にあさっての方向に、往ってたりもします。
 
 それが、あまりにリアルなので、一緒くたに、パラレル世界の自分だと決めています。それは、瞑想の中でも、出現して、いろいろと会話ができることもあります。
 
 覚醒しているときも、別の世界の自分がいることを、忘れはしません。気が付くと、何処かの世界の自分に語りかけています。
「元気ですか?」と。

 分岐点とはいい表現です。自分も、現在の境遇に到るには、いろいろ、分岐点がありました。
 ひょっとしたら、刑務所にいる自分もいるかもしれません。
 そう思うと、ぞっとしたりしますけど。
 もしかしたら、成功している自分もいるかも。
そう思うと、この世界の自分が、何も成功する必要もないかもしれないとも、考えます。

>>ueno さん

uenoさんこんにちは。

藤子・F・不二雄先生の短編に「パラレル同窓会」という作品があります。人生に一度だけ、分岐したすべての世界の自分が一堂に会するというストーリーなのですが、そのなかで主人公の自分は、刑務所に入っている自分や、テロリストになっている自分や、平社員のままの自分なんかと会います。

ぶっちゃけると、その「パラレル同窓会」の影響を受けているので、ことあるごとに、平行世界の自分を想像したりもします。

ちなみに、「パラレル同窓会」では、主人公の自分は大企業の社長なのですが、作家になっている自分と出会い、お互いに人生を交換するという展開になるのが非常に面白かったのです。

uenoさんの考えに同調するのですが、夢の世界は、実はあらゆる世界の自分が共有しているのではないか、と考えると楽しくなります。ときおり見る、まったく知らないはずの街や人物は、別の世界の自分の記憶を垣間見ているのかもしれません。

不安だから

上記の文章を読んで考えました。
人間から不安がなくなったら、どうしようと。
物事を従順に考えた通りの行動をすることになるんじゃないかと(機械人間か、メーテルっ)

自分もある事件がきっかけで何か怖い不安めいた人生から吹っ切れた気がします。どんな時であっても冷静なる客観的視点を持ってしまったのです。
子供が生まれた時にでも、うれしいのだが常に自分の事ではない分離してしまった自分が内面に存在しているのです。それも普通の自分よりも大胆にも前に出て心の感情を占拠してしまっているのです。(文章にすると自分でも怖いな、精神的病気なのか)

より不安に対しての受け止め方が変わってきました。何があったとしてもそれが経験だ、それと今後同じ事はしないだろうとポジティブなる考えになってしまいました。

前に映画でこういうのありました。ある事件がありその分岐点まで力で戻り人生を修復しようとする物語。ある事件は恋人を助ける為だったり友人を死なせない為なのですが。

ここの文章とこの映画とですが、ちと共通めいたものを感じました。何事に置いても受け入れる事が大切なんだと。いくら忙しかったとしうても自分と対話していく事も人生に必要なんだと。

>パラレル同窓会
分岐する自分と交換するのは面白いですね。その代償に命の期間を短くされるとか。制約があるとか。創作で分岐する話書きたいが文章と難しいものがありますね。

>>小生さん

小生さんこんにちは。

不安の正体を見極めようとすると、真っ暗なところにずっぽりはまって、動けなくなりそうです。

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プロフィール

HN:
小瀬朧
性別:
男性
自己紹介:
創作怪談、twitterの短文小説#twnovel、短歌など。
メールでのご連絡は benzine100@gmail.こむ スパム対策なのでこむをcomにかえてください。 


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