投稿日:2024年11月22日(金)
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投稿日:2009年05月07日(木)
連休も終わるので、妹から姪を一日借りて(この表現よくないよね)、いろいろなところへ遊びに出掛けた。
ちょうどオープンしたばかりの食品スーパーだのショッピングモールだのが何カ所かあるので全部回ることにした。
姪を抱っこして歩き回る私の姿は、傍から見ればごく普通のパパに見えたと思う。あんなデブで禿でも結婚できて子どもがいるんだろうなあ、と周りの人から見られたのなら、とてもうれしい。
ところで、今上で書いた「あんなデブで禿でも~」という表現はじつによくない。書いている本人は謙遜じみた卑下のつもりかもしれないが、それはつまり、書く人(といっても私だが)の人間観を如実に表わしている。すなわち、私にとって太っている人や頭髪の薄い人とは、より劣った存在として認識しているということだ。まあ、こんな些細なことでつまらない人間性を透けさせてしまうようではお先真っ暗だな。
ところて、今上で書いた「こんな些細なことでつまらない人間性を~」という表現はじつによくない。(以下飽きるまでループ可能)
それはともかく、確かに幼児を抱っこして歩き回っていれば一見パパのようではあるが、姪は私に向かって「おじちゃん、みて」「おじちゃん、きて」「おじちゃん、だっこ」「おじちゃん、あっちいく」「おじちゃん、これなんだ」「おじちゃん、じゅーす」「おじちゃん、おかし」……とおじちゃんを連呼、しかも大声なので、周囲から一瞬だけ奇異の目を向けられる。
最近は開き直って、私自身、自分のことを「おじちゃん」と呼ぶことにし、しかも大声(そういう血筋らしい)なので、それも相まって、周囲の奇異の目はすぐに理解の目へと変わる。そういう関係なんですよ、あははは。
しかし、私は基本いいなりなので、姪に「おじちゃん、ここすわって」と言われれば、そこが床であろうが地べたであろうがすぐに座るため、やっぱり最後は奇異の目で見られるわけだ。私と姪の様子を見ている人は、きっと頭のなかで、親ばか……いやおじさんの場合はおじばか……なのか、と考えることだろう。
あー。
途轍もなく、どうでもいい話ずら。
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このパパ気分を、創作に生かせれたらいいですよね。
自分は親なのだが、全然そういう家族的なものを創作に生かしきれていないと思う気分になった。何か考えなくては~。
小生さんこんにちは。
そうですね、自分でもぜひ生かしてみたいと思います。
小生さんは謙遜なさっていますが、親であるという事実はきっとご自身の創作に良い影響を与えていると思いますよ。
親視点は、少ししかなくって
第3者(客観)視点がほとんどなんですよ。
子供を見る時にでも、悲しい性です。
冷静に見てしまうクセついてます。
(これでネタで創作出来るかな)
創作してから、いやある時期から物や人を見る目が変わってますよ。怖いぐらいに。
信じられないでしょうが。
興味深い話です。
小生さんは創作によって物や人を見る目が変わったのですね。冷静な第三者の視点で見られるというのは、創作者としてはうらやましいことかもしれません。
姪ができてからは、私はすっかり子どもを見る目は変わりましたよ。昔はどうしようもないぐらい子ども嫌いだったんですけどね。今じゃ、余所の子でも可愛いと思うようになってしまいました。
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