投稿日:2024年11月22日(金)
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投稿日:2010年02月16日(火)
昨日書いたエントリに触発されて連鎖的に気付いたことですが、大抵の夢は現実世界の仕組みに忠実であり、滅多なことでは破綻しません。現在、新しいコメントを受け付けない設定になっています。
こう、考えてみたらどうでしょう。
江戸時代の人間には、ヘリコプターを見ることはできないという話があります。当時の人間には、ヘリコプターという概念そのものがありません。それに故に、目の前に実存したとしても、私たちと同じように認識できないということです。
私は永年夢日記をものしていますが、その記述はほどんと解釈と表現した方が適当であり、とても、ありのままというわけにはいきません。
夢を他人に伝えようとぜず、ただ、体験だけを小説のように描写しはじめて気づいたことですが、人間に想像力があるのではなくて、彼は単なる解釈者にすぎないということです。おそらく、それは神の部類に位置することなのでしょう。
ヘリコプターの話に戻りますが、江戸時代の人間と同じように、私たちは私たちの解釈法によって、巨大な世界を描かねばならないのです。私たちはそれを摑むことはできません、しかし、解釈することはできるかもしれません、
おそらく、この解釈というところに、他人との差異ができると思うのです。
まさに「解釈する能力」について考えていました。
自分の夢を例にするなら、「道」の夢だからといって道しか見えていないわけではないはずです。
uenoさんのお話に助けを借りますが、夢を見た当時の私には、解釈できるのが「道」とそこをやって来る「象」なり「オバケ」なりであって、もしかしたら江戸時代の人間にとってのヘリコプターのようなものが夢のなかにはあったのに、それを解釈できなかったのだと考えられます。
じっさい、言語化できない夢というのは非常に多いのです。それは、見えているものが何であるか解釈できないということに他なりません。
そうなりますと、自分の考えていた「想像力の欠如」は、じつは「解釈力の欠如」なのかもしれません。(便宜上「解釈力」という言葉をでっちあげました)
おそらく、創作の核心に触れる問題ではないでしょうか。
uenoさんの考えをもっと聞きたいところです。
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