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ゆっくりと小説を書こう

小説の書き方やお役立ち本などを紹介するBlogです。「小瀬朧」名義で第9回ビーケーワン怪談大賞をいただきました。twitterでtwnovelや短歌などを発表中。

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投稿日:2024年11月24日(日)

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今日買ってきた本 珍しい文章作法本とか

投稿日:2008年05月02日(金)

買ってきた。

花村萬月『皆月』
河合隼雄『コンプレックス』
高橋源一郎『一億三千万人のための小説教室』
筒井康隆『短篇小説講義』
松永暢史『常識破りの日本語文章術』
「國文學 3年6月号 現代批評のキーワード」
「國文學 臨時増刊 文章作法便覧」

花村萬月先生の小説はすべて読むつもりだ。あ、ついに<先生>なんてつけてしまった。俺って気色悪いな。それ以外の本はたまたま目についたので購入。珍しいと思うのは「國文學」の増刊号で「文章作法便覧」だ。とりあえず買っておいた。『常識破りの日本語文章術』は、この手のセンセーショナルなタイトルの本は期待させるだけで肝心の中身がお粗末というものがあまりにも多いのだが、これはパラパラと見たところ、ちょっと面白そうに見えたので購入。前も書いたが、古本を買うのにちゅうちょするのは時間の無駄なので少しでも気になったらとにかく買うのだ。筒井康隆氏と高橋源一郎氏の本は知名度が高いので説明の必要はないかな。

それぞれの内容については、これから読んでみて「凄い」と思ったら触れようと思う。
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値上げされなかった田舎のガソリンスタンド

投稿日:2008年05月01日(木)

小説とはぜんぜん関係ないけどね。

今日は5月1日。ニュースではガソリン価格の一斉値上げを報じているが、俺の近所のガソリンスタンドはまだレギュラー132円だった。昨日のガソリンスタンド大行列のとき、どうやら売り切れなかったスタンドらしい。これはラッキー。給油だ、給油。とっても自慢したい気分だ。さっそくBlogに書こう。どんないやみったらしい文章にしようかな。

とか思いつつ、ごきげんでクルマを走らせていたら今度は131円のスタンドを発見した。あれれ?

阿部和重『グランド・フィナーレ』

投稿日:2008年05月01日(木)

買ってきた。読み終わった。芥川賞受賞作品だ。俺もロリコンであるから読まねばならないと思っていた本なのだ。女児、女児、女児。小児性愛であるおっさんの物語。フィクションだけど、時代背景は徹底して現実社会とのリンクを図っている。児童ポルノ法の成立を中心に数々の時事ネタが盛り込まれていたり、携帯電話の機種名や服のブランド名等が精緻に書き込まれていたり、現実に即しているという意味でのリアリティがある作品だった。健全で常識的な一般のお方が読むなら、サイテイで救いようがない主人公を蔑み、自分がまともな人間であると再確認して優越の気分にも近い安心感を得るだろう。しかし、多少なりとも自身の内に病的とされる性的嗜好を持っている人間が読むと、痛々しくて堪らないのではないか。もし被害妄想甚だしく、ある種の思い込みに支配された人間が読むならば、自身の行く末のヴィジョンを突きつけられたと思うかもしれない。これは予言だ。いや、違う、ただの小説だ。フィクションだ。俺はこうはならない、と常に自分に言い聞かせながら読むかもしれない。俺は後者だった。いや、さすがにここまで書くと大仰で作為に満ちているのがバレバレかな。ええ、俺はノーマルな人間でございます。たぶん。



親父が庭で草むしり

投稿日:2008年04月30日(水)

小説とはぜんぜん関係ないけどね。

今、親父が庭で草むしりをしている。カンナで土を叩く音がカチカチ聞こえる――ふとここで気づいたが、「カンナ」というのはおかしい。「カンナ」といったら大工道具の名前じゃないか。カンナで土を叩く、これでは奇妙な光景になってしまう。しかし、俺は昔からあの草取りの道具を「カンナ」と呼んでいた。そう教わった。草取りするからカンナ買ってきてね、と母親も言っていた。 しかしあれは「カンナ」ではないのだ。俺のなかの常識がぐらついた。

草を刈るための道具といえば「鎌」が思い浮かぶ。でも、あれは「鎌」でもない。似てはいるが、「鎌」と聞いて一般的な日本人がイメージするモノとは違う。俺が「カンナ」と思い込んでいたあれは、おそらくは「鎌」の仲間だろう。大きさは「鎌」と大差ない。片手で持って使うサイズだ。「鎌」と違う特徴は、まず刃の幅が広い。そしてその刃と柄をつなぐ部分は細い棒状となっている。何かを掻き出すための道具のようにも見える。クマデに近いのかもしれない。雑草をかき集めるように刈り取っていく。「鎌」のように草の茎を直接切らないから、刃先が地面に当たる。だから、今日のように地面が乾ききっている日は、カチカチと金属質の硬い音が聞こえてくるのである。

さて、ここまでただ書いていただけではない。俺が「カンナ」と呼んでいた謎の道具についてネットで検索もしていた。もう答えはわかっているのだ。それは「ねじり鎌」というらしい。商品名なのか一般名称なのか判然としないけど、だいたいどこの園芸ショップのサイトを見ても「ねじり鎌」と分類されているから、たぶんそれで通じるのだろう。ただ、広辞苑に「ねじり鎌」が載っていないことが、微妙に権威主義寄りの俺を不安にさせる。草刈道具にどんな権威があるのか知らないけど。

謎もとけたことだし、道徳意識のある読者様は「いいからお父様を手伝いなさい」とイライラされているかもしれないので、庭に出るとするか。たまには外に出てお日様を浴びよう。

庭では親父が「ねじり鎌」で雑草を掻き集めている。その姿は潮干狩りのイメージに近いかもしれない。
「おっちゃん、俺も手伝うよ」
「いいからおまえは出てくるな。ひとに見られる」
ああ、そうか。ひきこもりニートってのは、こういうことなのか。




本を読めば読むほど

投稿日:2008年04月30日(水)

小説が書けなくなっていく。もちろん、陳腐な弱音だ。自己愛ともいう。俺は自分がかわいくてたまらない。だから自分を傷つけたくない。痛いのは嫌だ、当たり前だろ。つまり、ヘタクソな小説を書いて馬鹿にされたくないってことだ。俺の無意識の領域は徹底して過保護なんだ。

小説を書くためにはまず読書が必要というアドバイスに従っていた。頭の中に「小説」を詰め込めば、いつか勝手にあふれ出てくると期待していた。古今東西の名作が頭の中で発酵して新しい小説になるはずだった。なんとなくキーボードに向かうだけで、そこにはもう小説が鎮座している予定だった。

自分自身に対して好意的な解釈をするなら、これは身の程を知ったというある種の成長だといえる。今後は謙虚な姿勢で地道な努力をしよう、と実にありきたりな標語を掲げて日記の終わりとするだろう。俺はけっこう物分りのいい人間なのだ。小学校のときは優等生だった。おとなしくて、教師のいうことには何でもハイと応えていたからね。日本じゅうの小学生が俺であるなら、教師というのはなんと楽な仕事だろうと思う。さあ、明日からは謙虚な姿勢で地道な努力をしよう――。

しかし、読書によっていらん知恵をつけた俺はそんな小学生じみた結論を捨てる。本を読んだら小説が書けなくなった? あ、そう。わかったから、口を閉じろ、と自分自身にいう。とにかく、黙れ。沈黙だ。言葉を止めれば、思考も止まる。止まるのは「俺」の思考だ。俺の思考は止まっても、やはり無意識の領域のさらに奥深くのどこかは考え続けている。何をどう考えてくれているのかは俺にはわからない。いつか何か出てくるだろう。

要するに、俺はただ読み続ければいいのだ。うん? 何も変わってないか。


追記
ここ最近なのだが、以前にも増してかなり強烈に「夢」を見るようになった。念のため書くが、睡眠中にみる「夢」の話だ。映画や漫画のようなヴィジュアルな刺激を受けているなら納得できるが、小説を大量に読んでそれが夢に影響するというのはなんだか不思議だ。文字の刺激が夢という形でヴィジュアルに変換されているのだ。俺の脳内での出来事なのに、俺はその作業に一切関わっているつもりはない。それで、確信したわけだ。

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プロフィール

HN:
小瀬朧
性別:
男性
自己紹介:
創作怪談、twitterの短文小説#twnovel、短歌など。
メールでのご連絡は benzine100@gmail.こむ スパム対策なのでこむをcomにかえてください。 


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