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ゆっくりと小説を書こう

小説の書き方やお役立ち本などを紹介するBlogです。「小瀬朧」名義で第9回ビーケーワン怪談大賞をいただきました。twitterでtwnovelや短歌などを発表中。

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投稿日:2024年11月23日(土)

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だから本は売るなと思う朝

投稿日:2008年10月07日(火)

見つからない。

ずっと捜しているのだけれども見つからないのだ。何を捜しているのか、わからない。捜していれば、わかると思って、ずっと捜している。

ちょっとした記憶の、朝の混乱が、本棚にしまわれた懐かしい一冊に光を当てる。無心に手を伸ばすのだが、そこにはもうなにもないから、なにもつかむことはできない。

題名さえも忘れてしまったその本は、どこにいったのだろう。自分にとっての喪失の感覚は、いつも右頬のあたりにあって、左肩の少し下のあたりからその右頬の部分に向かって空虚な風が流れ込んでいるように思える。そんな感覚があるから、右頬を隠すように頬杖をついて、ただぼんやりとしている。

古本屋に行くたびに思う。棚を眺めていればいつかその本が俺を呼び止めるのではないかと。

もちろん、そんな本は最初から存在しなかったのかもしれないけれども。
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朝の空っぽ感

投稿日:2008年10月07日(火)

自分が、がらんどうだ。

今、自分がどこの時代にいるのか、何をするのか、すっぽりと抜け落ちてしまっている感覚ともいえる。

こんな朝、もしも真っ白な何もない部屋で目を覚ましたなら、たぶん俺は原始の気分を味わえるだろう。始まりしか存在しない世界。

けれどもじっさいは、枕元にも、足元にも埃くさい本がちらばり、乱雑であることが唯一の救いとなっているゴミ箱のような部屋で目を覚ます。終焉という言葉を無闇に使ってみたくなる、死の気配がそこらに漂う、そんな世界。

だから、こうやって書くのかも知れない。

『永遠平和のために/啓蒙とは何か』

投稿日:2008年10月06日(月)

光文社古典新訳文庫のカントを買ってきた。これは訳が中山元氏なので以前から読みたいと思っていた。中山元氏の『思考の用語辞典』がすばらしすぎたので、一気にファンになってしまったわけだ。

※光文社古典新訳文庫についてはこちら
光文社 古典新訳文庫

お金があればこのシリーズを集めたい。今はヒキコモリニートなので欲しくても買えないが、いつかきっと、いつかきっと。

それはともかく、評判通り、中山元氏の訳は非常に読みやすそうだ。ぱらぱらと眺めただけだが、小難しい用語もあまり使われていないように見える。これなら挫折しないで読める。うれしい。巻末の豊富な解説ページもありがたい。

ちなみに、どこでおすすめされていたかというとPHPから出ている『現代思想入門』のなかでだ。「フランクフルト学派への道程」と題されたブックガイドで紹介されている。引用してみる。
 まずカントは『永遠平和のために/啓蒙とは何か ほか三編』(中山元訳・光文社古典新訳文庫)に収録の「啓蒙とは何か」から入るのがオススメ。短いながらもカントによって、啓蒙の息吹が吹き込まれたこのパンフレットは、「啓蒙と市民的主体」を考える上での最重要書の一つです。それに、この本に収録された他の四篇は、どれも重要なものばかり、また巻末の訳者の解説も良質なのでとてもお買い得です。体力と知力に自信のある方は、三批判書にチャレンジしてください。
(『現代思想入門』より)
もう○十年早く、俺が中高生のときに出てくれていればよかったのにね。いい時代だね。

というわけで、今から読む。



すでに誰かが考えている

投稿日:2008年10月06日(月)

同じ時代の、同じ国に住んで、根本が同じ教育を受けて、だいたい同じものを見て聞いて体感しているから、ものの見方と考え方が似てしまうのは当然なんだろうか。当然なんだろうね。

とくに、何かを書くということをしている場合、他の人と同じことを書いてしまうのは面白くない。もちろん、読者にとってだ。書いている本人は何か特別で、斬新で、個性的なことを書いているつもりなのに、読者からすれば、ああよくあるパターンですね、ということは頻繁にあるはずだ。

ここで創作の話にこじつけるのだけれども、大量に本を読んでいる人が必ずしも小説を書けるとは限らないのは、自分自身の発想や考え方がすでに誰かのものと同じなのに気づいてしまうからではないだろうか。何かを思いついても、ああこれって○○と同じだよなあ、と。そうなると、恥を晒さずにすむという意味では賢明だし、時間の無駄にならないという点では経済的だし、無用に神経を痛めないから健康にもいい。よほど独創的なものを思いつかない限り、自分から小説を書こうとは思わないだろう。

ところが、この考え方もすでに一般的で、やはり誰でも思いつくところなのが、悲しい。さらに、わかっていながら書いてしまうのが、滑稽。ああ俺の限界。限界、限界、そう、限界だ。

ところがところが、これぐらいのことで何か結論を出した気になってしまうのはよくない。何もここで終わらせることはない。その先へ向かえば良い。誰に言っているかって。もちろん、俺にだ。

創作における個人の限界は実はスタート地点に他ならない。今朝、唐突にそう思った。直観というやつだ。「感」じゃなくて「観」のほう。その思考過程をなんとか言語化しようとしているのだがなかなか思うようにいかない。とにかく、限界を感じたから諦めるというのは論外なんだ。本当に諦めるべきなのは、限界を超えたその先でだろう。

「すでに誰かが考えている」というのは諦める理由にはならない。誰かが考えているからこそ、その先があるのだ。

だから俺に言っているんだって。

『カンゴロンゴ』見た

投稿日:2008年10月06日(月)

NHKで日曜の夜11時から、これは新番組ということなのかな、新聞欄で目にしたので見てみた。「カンゴロンゴ」はたぶん「漢語」「論語」で、言葉関係の番組だと期待した。

※番組サイトはこちら
NHK 世直しバラエティー カンゴロンゴ


これってドラマ仕立てなんだね。今回は「給食費不払い」の話だった。内容はともかく、ドラマのなかで毎回3つの「お言葉」を出すというパターンらしい。

・天網恢々疎にして漏らさず
・因小失大 (小に因りて大を失う)
・青天白日

意味は、ごめん、よく覚えていないし覚える気もない。たぶん辞書に出ているだろうな。暇ならあとで調べてみる。

で、この番組は、うーん、どうなんだろう。次回のテーマがわからないけど、メインは社会問題(?)なのか。「給食費不払い」を採り上げるのはいいとしても、問題の表面に触れているだけでまったく掘り下げていないし、3つの「お言葉」もドラマの登場人物たちが都合よく勝手に納得しているだけに思える。いいのかアレで。言葉ってのはもっと威力のあるものだと思うけどなあ。飲んですぐ効くおクスリじゃないんだから。

とか文句をいいつつも俺はNHKの番組は好きだ。次回に期待。

※※※
追記10/6

今、テレビを見ていたら例の加勢大周がこのカンゴロンゴの次回ゲストだった。だから第2回は放送されなくて、第3回が繰り上がるということだ。はやくも幻の回か。

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小瀬朧
性別:
男性
自己紹介:
創作怪談、twitterの短文小説#twnovel、短歌など。
メールでのご連絡は benzine100@gmail.こむ スパム対策なのでこむをcomにかえてください。 


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