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ゆっくりと小説を書こう

小説の書き方やお役立ち本などを紹介するBlogです。「小瀬朧」名義で第9回ビーケーワン怪談大賞をいただきました。twitterでtwnovelや短歌などを発表中。

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投稿日:2024年11月27日(水)

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ある象徴

投稿日:2008年10月22日(水)

樹海に行ったことがある。

もちろん、入り口までだ。自らの存在を否定するために行った、というのは大嘘で、ただ紅葉の写真が撮りたくて友人と出かけたまでだ。

道の駅だっただろうか。小さな食堂と土産屋が並ぶ場所にクルマを停めた。せっかくの写真撮影だというのに、空は薄暗く曇っている。午後になって間もないが、すでに肌寒い。そこに何か精神的な作用をかんじないわけでもなかったが、たんにそういう気候なのかもしれない。

パトカーがやって来た。サイレンは鳴らしていない。パトカーはゆっくりと駐車場を通り抜けていったので、それが巡回であるとわかった。

駐車場の片隅に、くすんだ色の軽自動車があった。ボディにはまんべんなく落ち葉が降り積もっていた。いつからそこにあるのだろうか。いつまでそこにあるのだろうか。不吉な感傷にうっかりすると支配されそうになる。

その軽自動車のすぐ脇に、樹海への入り口が無造作に開かれていた。傍らには大きな地図が設置され、ハイキングコースを案内していた。樹海に、ハイキングなどという軽快なイメージは似合わない。そう思うのは偏見に他ならないが、自らを否定するために訪れる人々の足取りが重いとイメージするのもまた偏見だ。「ただ紅葉の写真が撮りたくて」という名目こそが嘘という可能性も、あると思って欲しい。私の横に、本当に友人はいただろうか。

ともあれ私は生きているので問題ない。

さて、その樹海の入り口、ハイキングコースの案内板の少し先に、一枚の看板が立っていた。あるとは聞いていたが、それは自殺防止を呼びかける看板だった。簡単なメッセージと電話番号が書かれただけの質素なものだ。事務的であるという見方もできるが、該当する人々にとっては最期の決断を迫るという最も重い意味を持っている。生きて帰る人も、帰らない人も、必ずこの看板を見ているのだ。私はしばらくのあいだ、看板をぼんやりと眺めていた。

その看板は落書き一つなく、作られたばかりのように、綺麗に、まっすぐ立っていた。




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今日は道に迷った

投稿日:2008年10月21日(火)

道といっても人生とか学問とかの比喩ではなく、本当の道、道路のことだ。

夕方、買い物に出かけた。新聞の折込広告で特売品を見つけたからだ。そこは普段行くことのない食品スーパーで、クルマで20分はかかる。

行きは、いい。大通りを走り続けていれば迷わずに着く場所だ。

帰りで、迷った。夕方だから、会社帰りのクルマで大通りは非常に混雑する。会社員時代に嫌というほど味わった道だ。そこで、俺は近道をしようと思った。ショートカットだ。裏道に回れば、狭いが、渋滞を避けて大通りの先へ抜けることができる。そのはずだった。

道は会社員時代の記憶とかなり食い違っていた。わずか3年ほどで、裏道はすべて区画整理され、面影がまったくなくなっていた。舗装し直され、車幅も少しだけ広くなったのはありがたいが、めじるしにしていたタバコ屋の看板も、火の見櫓も、営業しているのかどうかわからなかったボロボロの定食屋も、みんななくなってしまっていた。果樹園と水田は小綺麗なアパートにかわり、道路のために土地を削られた古い農家はすべて現代的な家屋に建て替えられていた。

それでも、勘で走っていれば、そうそう変な場所にいくはずもなかろうと思っていると、いつの間にかまったく知らない、新しくできたばかりの道に入り込んでしまった。比較的広い道なので、これは大通りへ接続する道だなと直感して少し安心した。安心した瞬間、行き止まりになった。まだ、作りかけの道だったのだ。正確には行き止まりではなく、古い細い道がその先へ続いている。ここまできて引き返すのも面倒なので、そのまま進むことにした。道はどんどん狭くなり、クルマ一台がやっと通れる幅で、道路脇には農業用水路が掘られているがガードレールはない。さっきまでの真新しいアパートも家も突然なくなり、果樹園と水田が交互に現れる、見慣れた田舎の農業道路に戻ってしまった。別の意味で少しだけ安心したのはいいが、道には完全に迷った。

その後、30分ぐらい迷い続け、やっと見慣れた大通りに出た。渋滞はすでになくなっていた。



羊があっちこっちに逃げちゃった

投稿日:2008年10月21日(火)

道が幾筋にも分かれていて、逃げた羊を見失ってしまった。

文章の書き方をあらためて調べているうちに、そういう気分になった。せめて一匹でも捕まえたい。

メモや日記などの個人的なものから報告書や案内文などの公的なもの、さらには小説、詩などの創作物まで、文章といっても非常に幅広い。それぞれの文章にそれぞれの書き方がある。作法がある。何か一つの書き方を身につけただけでは不十分なのだ。

たとえば、前回のエントリに関連するが、小学校で習う作文は自分の「気持ち」を表現することが何よりも大切だとされる。じぶんがかんじたこと、おもったことをしょうじきにかきましょう、といわれる。それが自己表現というものだと教わる。

それはそれでいい。作文の書き方として間違ってはいない。しかし、あくまでも小学生の作文であるから、中学生、高校生となったら通用しなくなる。自分の「気持ち」だけを書いていてはダメなのだ。むしろ、自分の「気持ち」は書いてはいけないともされる。何よりも大切なのは、「主張」と「根拠」であって、さらにそれらを筋道立てて書く技能も要求される。つまり、どうかんじたか、どう思ったかではなく、どういう理由でどう考えているかを書くのが中高生レベルの作文となる。自己表現とは、社会との関わり合いのなか、自分がどういう意見を持つかであると教え直される。

ここまでが文章の書き方の一つの大きな区切りとなる。作文と呼ばれるうちは、それを読むのは教師だけだ。作文は、学校教育の習熟具合をみるための、一つのめじるしにすぎない。

これから先は、本当にさまざまな文章と関わることになるのだが、それらには作文とは異なる決定的な共通点がある。

読み手の存在だ。

ビジネス文書、ニュース記事、エッセイ、コラム、小説、詩、手紙等々、必ずそれを読む人がいる。文章を書くということは、すなわち誰かに向けて何かを伝えるという行為であり、何よりも読み手を尊重しなければならない。読み手を尊重するのだから、それぞれの文章の書き方に作法があるのは当然なのだ。


と、ここ数日、文章作法の本を読み直してわかったことだ。

ある疑問

投稿日:2008年10月21日(火)

「感想」と「気持ち」と「意見」の違いって何だろう。

俺はこれについて考えねばならない。先に書いておくが、今回のエントリで何か答えを出すつもりはない。当然、辞書をひいて出てくる言葉の意味を問題にしているのではない。

小学生向けの作文の書き方を調べていてどうしてもわからないのが、「感想」と「気持ち」と「意見」、これらの言葉の意味するところだ。指導される側の小学生は、わかるのだろうか。「感想」と「気持ち」のはっきりした違い、それらと「意見」の違いがわからない生徒はどうするのだろう。俺だって、わからない。

作文、文章を書くという行為の核心にあるものが、漠然としてあやふやなままだから、書けないのだ。

小学生相手に、哲学を引っ張り出さずに、自分自身が感じること、考えること、判断することのそれぞれの違いを実感させるのは非常に難しい。ようするに、自分の頭のなかにいろいろな役割をもった部分があることを、自分自身で気づけるかということだ。

たとえば、ある本を読んだとする。本を読んでいるときの、胸がドキドキするような、体じゅうが熱くなるような、手に力が入ってしまうような、涙がでそうになってしまうような、そういう「気持ち」を、面白かったとかつまらなかったとか驚いたとかわくわくしたとかいう「感想」に変え、さらに、主人公のとった行動に対して自分ならこうするとか、別の行動があったのではないかとか、あるいは、これはおかしいのではないかとか間違っているのではないかといった「意見」を出す。

この一連の流れに自分で気づくことが、作文を書くために重要なステップではないか。もちろん、本を読んだ場合のたとえでは、読書感想文のことになってしまうが、これを日常の出来事やニュース等に置き換えれば、できあがった文章はいわゆる作文となる。

これがもっと高等になれば、「事実」や「具体例」といった、自分の外にあるものを集めてくる必要が生まれるのだがその話はここではひとまず置いておく。

「感想」と「気持ち」と「意見」の違いがわかるためには、自分自身の頭のしくみを知る必要がある。

小学生なんて言葉を使って他人事のように書いたが、これは俺自身の問題だ。俺自身が、小学生のときにしっかりと通るべきだった道を、今からもう一度通りなおすのだ。




※※※
蛇足
とかいいつつ、自己のなんたるかを思い悩める小学生がいたら、凄すぎると思う。

古本2冊購入

投稿日:2008年10月20日(月)

まあ、行くといってもショッピングセンターと書店とBOOKOFFぐらいしかないけどね。

今日は2冊買った。先日の『ショートショートの世界』に刺激され、なんでもいいから短い話が収録されているものを適当に選んできた。適当だ。

『恐怖館主人』 井上雅彦/角川ホラー文庫
『ことばの博物館』 阿刀田高/文春文庫

今回、まったくわかっていない。どちらの著者も初めて読む。阿刀田高氏は『ショートショートの世界』で紹介されていた。でも今回買った『ことばの博物館』は、どうも勘違いして買ってしまったらしく、小説ではなく読み物だった。

これから読む。

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プロフィール

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小瀬朧
性別:
男性
自己紹介:
創作怪談、twitterの短文小説#twnovel、短歌など。
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