投稿日:2024年11月27日(水)
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投稿日:2008年10月22日(水)
樹海に行ったことがある。投稿日:2008年10月21日(火)
道といっても人生とか学問とかの比喩ではなく、本当の道、道路のことだ。投稿日:2008年10月21日(火)
道が幾筋にも分かれていて、逃げた羊を見失ってしまった。
文章の書き方をあらためて調べているうちに、そういう気分になった。せめて一匹でも捕まえたい。
メモや日記などの個人的なものから報告書や案内文などの公的なもの、さらには小説、詩などの創作物まで、文章といっても非常に幅広い。それぞれの文章にそれぞれの書き方がある。作法がある。何か一つの書き方を身につけただけでは不十分なのだ。
たとえば、前回のエントリに関連するが、小学校で習う作文は自分の「気持ち」を表現することが何よりも大切だとされる。じぶんがかんじたこと、おもったことをしょうじきにかきましょう、といわれる。それが自己表現というものだと教わる。
それはそれでいい。作文の書き方として間違ってはいない。しかし、あくまでも小学生の作文であるから、中学生、高校生となったら通用しなくなる。自分の「気持ち」だけを書いていてはダメなのだ。むしろ、自分の「気持ち」は書いてはいけないともされる。何よりも大切なのは、「主張」と「根拠」であって、さらにそれらを筋道立てて書く技能も要求される。つまり、どうかんじたか、どう思ったかではなく、どういう理由でどう考えているかを書くのが中高生レベルの作文となる。自己表現とは、社会との関わり合いのなか、自分がどういう意見を持つかであると教え直される。
ここまでが文章の書き方の一つの大きな区切りとなる。作文と呼ばれるうちは、それを読むのは教師だけだ。作文は、学校教育の習熟具合をみるための、一つのめじるしにすぎない。
これから先は、本当にさまざまな文章と関わることになるのだが、それらには作文とは異なる決定的な共通点がある。
読み手の存在だ。
ビジネス文書、ニュース記事、エッセイ、コラム、小説、詩、手紙等々、必ずそれを読む人がいる。文章を書くということは、すなわち誰かに向けて何かを伝えるという行為であり、何よりも読み手を尊重しなければならない。読み手を尊重するのだから、それぞれの文章の書き方に作法があるのは当然なのだ。
と、ここ数日、文章作法の本を読み直してわかったことだ。
投稿日:2008年10月21日(火)
「感想」と「気持ち」と「意見」の違いって何だろう。投稿日:2008年10月20日(月)
まあ、行くといってもショッピングセンターと書店とBOOKOFFぐらいしかないけどね。竹の子書房
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