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ゆっくりと小説を書こう

小説の書き方やお役立ち本などを紹介するBlogです。「小瀬朧」名義で第9回ビーケーワン怪談大賞をいただきました。twitterでtwnovelや短歌などを発表中。

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投稿日:2024年11月23日(土)

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『幽』10号

投稿日:2008年12月14日(日)

予約してあった『幽』10号がbk1から届いた。もう発売されていたんだね。

嘘ついても仕方ないから書くけど、『幽』を読むのも買うのも今回が初めてだ。怪談を書くのに『幽』を読まないってのはまずいだろうというただそれだけの理由だ。というか、純粋に怪談が読みたくて購入している人はいったいどれだけいるのだろう。少なくとも、自分の周りに怪談マニアは皆無だ。めちゃくちゃピンポイントな専門誌かもしれない。

それにしても、怪談とホラーとオカルトはそれぞれまったく別物だということはわかってはいても、じゃあ怪談とはなんぞやとなると、いまだにわからない。いや、書く分には、自分にとっての怪談はこれだ、というのがあるにはあるけどね。それは怪談じゃありません、といわれたらそれまでだ。プロの先生方の作品を読んでも、小説観ならぬ怪談観がみんな違うというのがよくわかる。今のところ、どの作家についていけばいいのか、つまりお手本にすればいいのかわからないのが悩みどころだ。ちなみに「怖さ」だけ考えるなら、プロの作品より、何気ない一般人の体験談なんかのほうがずっと優れている。もちろん、本当にそれが「一般人」の「体験談」なのかはわからないが。


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限界を超えた

投稿日:2008年12月13日(土)

とりあえず、巧拙を論じるのは別として、なんとかまとまった分量の小説を書くことができた。約11000字も書けた。普段、某所に投稿する1200字の怪談ばかり書いているから、えらい進歩だ。ちなみに、怪談ばかり考えていると、頭が「怪談脳」になっているから、普通のジャンルを書くときは微妙におかしくなる。たとえば、明るい文章が書けなくなったりする。いや、自分、もともと暗いけど。

成長とは限界を超えることである、と考えれば、今回は確実に成長したわけだ。しかし、同時に、次の限界が見えてこないと、さらなる成長はないということでもあるのだ。分量だけみるなら、次は50枚の壁か。あるいは100枚か。ただ、それもスラスラそこまで書けるようでは限界ではない。ただの惰性になってしまう。惰性は進歩に結びつかない。

これで、他の小説家志望の方々と同じように、100枚単位の作品が普通に書けるようになったら、その先はきっと内容で苦心することになるだろう。たぶん。いまだに起承転結とか序破急とか、そういうのがわからないし、そもそも小説とはなんぞやという問いに、これといった答えが見つかっていない。

なんていうか、けっきょく、カオスに戻ったかんじかな。



書ける人には書ける

投稿日:2008年12月09日(火)

書けない人には、書けない。

この当たり前すぎるフレーズを反芻していると、やりきれない気分になってくる。小説の書き方とかノウハウとかテクニックとかといっても、書ける人にとってはほとんど意味を成さない。なぜなら、書けるのだから。

書けない人間が抱く淡い幻想は、常に自身の欠落感と同居している。何かが足りない自分をいつも自覚している。自覚しているから、足りないなら補えばいいのだという安直で幼稚な解決策がすぐに思い浮かぶ。そして、その足りない何かを補えたとき、自分は書ける側の人間になれるのだと期待する。まったく、幻想である。

だからといって、私のように諦めているのか開き直っているのか絶望しているのか、曖昧な態度のまま日々を浪費しても、誰も助けてはくれない。こと文章に関しては、文字を並べるという意味においては、誰にでも書けるものであるから、書けないと公言する人間をわざわざ救済する必要などまったくないのだ。替わりはいくらでも、いる。

ところが、そんな達観じみたことを考えながらも、なんだかわからないが自分に対して「書け書け」という声が聞こえてくる。自分の心の奥深くからだ。誇大妄想という言葉がぴったりだとは思うが、ときに本当の「音」になって、鼓膜を振動させているような錯覚にさえ陥る。ああ、強迫観念なんて言葉も合うか。

そんなときどうするか。

今やっているように、このBlogに向かってキーボードを叩きつければいいのだ。

そうすれば、おさまる。

懐かしい時間

投稿日:2008年12月08日(月)

ここ最近、具合が悪くて保育園で預かってもらえない姪の面倒を見ていた。何億回でもいうが、姪はかわいい。この世に「絶対の真実」があるとすれば、それは私の姪がかわいいということに他ならない。

それはともかく、姪と遊んでいると時間の進み方が遅い。一日が、半日が、1時間が、とても長く感じられる。

これが、もう忘れてしまった子供の頃の時間なのだ。年を取るにつれ、時間の進み方は早くなる。もちろんそれは主観の問題ではあるが、個人が感じる時間について客観性を持ち出す必要はない。当たり前だけど。

最近の、ヒキコモリニートになってからの一日は、子供の頃の1時間ぐらいにしか感じない。朝起きて、ぼーっとしていると、もう夜だ。それを何百回と繰り返していたら、あっという間に中年になっていた。

今日は一日をたっぷりと堪能した。とても長かったが、普段の1週間分ぐらいの密度はあった。絵本を読んで、テレビの子供番組を見て、おやつを食べて、庭で落ち葉を拾って、お昼を食べて、スーパーに出かけて、帰ってきたらまた庭で遊んで、家のなかに入っておやつを食べて、また庭に出て、今度は近所の公園にまでお散歩して、帰ってきたら子供番組を見ながら寝てしまって、やっと夕方になったらママが迎えに来て――。

おいちゃんおいちゃん
だっこだっこ

姪がいる限りは、私は生きていられる。

反抗する夢

投稿日:2008年12月06日(土)

何かに反抗する、抵抗するというパターンの夢が多い。多くは反社会的な行動なので、たとえ夢であってもここでそれを語ると犯罪者予備軍のレッテルを頂戴しかねないのでちゅうちょしてしまう。

当たり障りのない夢だとこうだ。

私は異世界のコミュニティに属している。異世界とはいっても、限りなく現実世界に近いようなのだが、人々が住んでいるのは古代の大型戦争兵器のなかだ。それは船のようでもあるし、飛行機のようでもある。ただ、あまりにも巨大なため、誰もそのなかから外に出ることはできなかった。また、外の世界があるのかも危うげだった。

コミュニティには必ず規律がある。規律を破った者には死が待っている。そのコミュニティでは、規律は命よりも大切だったのだ。毎日誰かが、処刑のためだけのプールに突き落とされ、死んだ。プールには得体の知れない異形が棲んでいた。ようするに、餌とされるのだ。

ある日、私はついに我慢がならなくなった。激昂した。幸いなのか、リーダーはひ弱な奴だった。私はリーダーの首を絞めるとそのまま処刑のプールへ連れて行った。水の底から睨む異形を前に、私はリーダーにこう言った。

「ルールを強要するなら、まずおまえが死ね。おまえが死んで見せろ」

しかし、あまりにも力を込めて首を絞めていたので、リーダーは既に死んでいた。失望した私は死体を異形の目の前に放り込んだ。異形はまずそうにソレを食い散らかした。骨の砕かれる音が、なんとなく心地よいリズムに感じた。

リーダーを殺した私を、仲間が取り囲んだ。男も女も聞き取れないぐらいに何かを喚きながら私を非難している。私は徐々にプールの淵へと押されていった。私を殺すつもりらしい。

私は仲間ではなく、異形に向かって声をかけた。

「おい、おまえはもうそこから出てきてもいいんだぜ」

その瞬間、プールから無数の触手が矢のように伸び、次々に人々を貫いた。




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プロフィール

HN:
小瀬朧
性別:
男性
自己紹介:
創作怪談、twitterの短文小説#twnovel、短歌など。
メールでのご連絡は benzine100@gmail.こむ スパム対策なのでこむをcomにかえてください。 


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