忍者ブログ

ゆっくりと小説を書こう

小説の書き方やお役立ち本などを紹介するBlogです。「小瀬朧」名義で第9回ビーケーワン怪談大賞をいただきました。twitterでtwnovelや短歌などを発表中。

[PR]

投稿日:2024年11月23日(土)

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

作文とチランジア

投稿日:2009年01月22日(木)

小説って、作文の進化形じゃないかなあ。
 

小説も作文も嘘のストーリーを書くってところは同じだろう。そりゃ、作文は事実をもとに書くものだといわれそうなのはわかっているけど、ここはひとつ「事実をもとにした嘘」と好意的に解釈して欲しいな。嘘という言葉が気になるのでしたら、虚構と読み替えてください。って、どこかの阿呆が申しております。自分ですが。


で、巧い小説や作文ってのはその嘘のつき方が巧いってことじゃないのかな。作文なら、たとえば遠足について書くとき、本当は楽しくもなんともなかったとしても、原稿用紙にはちゃんと「とてもたのしかったです」というような言葉を並べるよね。さらに嘘くさくならないように、いかにも楽しんでましたとわかるエピソードを捏造したりする、よね? 違うかな。違うか。うーん。


というようなことを午前中考えていた。


考えてはいたけど、じっさいに小説と作文に関連性があるかないかは別として、作文の書き方をまともに教わった記憶がなかったりするので、時間の無駄だった。もちろん、原稿用紙の使い方っていう意味での書き方は小学校の最初に教わってるよ。文章の最初は一マスあけるとか、誰かが話したことばは「 」にいれるとか、ね。ここで気になっている書き方ってのは、何を書くかっていう内容とどう書くかっていう表現のことなんだ。

 

で、何をどう書けばいいのかなんて学校で教わった記憶がまるでないのだ。

 

まずは一応、本棚を探してみる。が、作文に関する本は見あたらない。買った記憶がないのだから見つからないのは当然だ。けれども、最近は年齢のせいもあって、買った記憶のない本がそこらから発掘されるという事実がよくあるから油断ならない。先月末に大掃除をしていたら、積み重ねられた本の山の最下層から『サボテン&チランジア』なる本が出てきて脱力した。タイトル通り、サボテンとチランジア(知ってる?)の育て方を解説したり、ちょっとした図鑑になっていたりする本だ。サラリーマン時代にサボテンや多肉植物にはまっていた時期があるから、そのときに買い込んだなかの一冊だろう。ちなみに、多肉植物でベンケイソウ科の月兎耳(つきとじ)が凄く気に入っていた。可愛いんだよ、月兎耳。肉厚で細長い葉は全体が柔らかい毛で覆われていて、その名の通り、ウサギの耳みたいなんだ。触るとぷっくりふわふわで、エロチックにも思える。月兎耳をなでていると凄く興奮してくる(妙な性癖だな)。ケーヨーホームセンターの園芸コーナーで見て惚れて買った。300円ぐらい。ミニチュアのように小さい鉢に植えられていて可哀想だから、家のプランターに植え替えてみた。すると、最初は5センチぐらいだったのに、すくすく育って10センチぐらいまで伸びた。冬を越せずに枯れちゃったけどな。『サボテン&チランジア』によると、月兎耳はマダガスカル原産だそうだ。枯れちゃった月兎耳の魂はマダガスカルに還っていったのかな。ボクは枯れちゃったら、どこに行くんだろう。

 

で、作文の話だ。

 

去年の11月か12月ごろ、BOOKOFFで作文に関する本を立ち読みした覚えがある。たしかPHP文庫だったと思う。そのときはパラパラとめくって、へえ、作文の書き方かあ、小説とは関係ないよな、でもまったく役に立たないってこともないだろうなあ、どうしようかなあ、やっぱやめとこ、と買わずに棚へ戻してしまったのだ。105円なんだからケチらずに買っておけばよかったのに、今ごろになって思い出しやがる。未練がましいな、自分。

 

まだ売ってるかなあ。

 

というわけなので、さっそくBOOKOFFへ行こう。一応、ヒキコモリニートという設定にはなっているけど、完全なヒキコモリではないので、たまには外に出る。さて、何を着てお出かけしようか。普段部屋のなかで着ている990円のジャンパーはボロボロすぎて、これで表を歩いたら不審者に間違われそうだ。それに関連するのだが、私の部屋に暖房器具はない。しかも、我が家は徐々に廃屋化してきているため、天井に穴が空いている。そのうえ、軒下にも穴が空いている。外の空気が軒下の穴から天井裏に入り込み、天井から部屋へすーっと流れ込んでくる。とても通風がいい。室温すなわち外気温である。だから、冬場、部屋にいるときはそれなりの防寒対策をしないとならないのだ。あんまり寒くなりすぎると、いよいよ手がかじかんでしまって動かなくなる。キーボードがたたけなくなる。Blogも小説も書けなくなる。仕方なく、コタツのある居間へ逃げ込むというわけだ。

 

それはいいとして、とりあえず今回はお正月に買ったばかりのダウンジャケットを着ていくことにしよう。800円の。

 

ゼロを打ち間違えているわけではない。はっぴゃくえん。近所にある24時間営業のドンキ風のスーパーで800円だったダウンジャケットだ。正真正銘、見事なパチモンです。これを着ていく。貧乏って、ステキ。これでも昔、金が有り余っていたころは一万円もするフリースを平気で買っていたんだぜ。しかも登山用の本格派でブランド品。めちゃくちゃ暖かいやつ。そんな時期が私にもありました。今は貧乏です。ちなみに、今回BOOKOFFで買い物をする資金は、姪の子守のときに妹様から頂いた(返してもらうつもりはないらしいので頂いたということにする)1000円だ。これに50円足せば、105円の本が10冊買える。やべぇ、ワクワクしてきた。

 

BOOKOFFは行動範囲内に2件ある。イニシャルにして地元バレするのは嫌なので、ここはA店とB店としておく。A店は丘の上の住宅街にあって、小規模な店舗ながら自分好みの本が入荷するので気に入っている。入荷といっても古本屋の場合は買い取りで商品を調達するのだから、これは近くに同じ趣味の人が住んでいるということだろう。一方、B店は市街中心部から流通団地へ抜ける大通り沿いにある大型店で、品揃えが充実していて商品の回転も早い。行くたびに新しいアイテムを発見できる。ただ、立地のせいなのか、コミックに比べて文芸関係の古本が絶望的に少ない。

 

さて、A店とB店、どっちに作文の本はあっただろうか。うーん。

 

これが本気で思い出せないのだから、年をとるってのは悲しいね。ちなみに、今この文章は2500字を超えましたが、この先に小説や作文のノウハウについて書く予定はございません。BOOKOFFへ行って帰ってくるだけの文章が延々と続きます。期待された方、すまんね。

 

A店とB店のどちらにあったかは、クルマを運転しながら思い出すことにする。両店への経路は途中までは同じだ。バイパスに出て左右どちらへ進むかの違いである。で、そのバイパスへ出るまでの道のりが長い。果樹園を突っ切る農道をひたすら走るのだ。だから、考える時間はたっぷりある。お目当ての作文の本は、在庫量で考えるならPHP文庫が豊富にあるB店にありそうだ。B店ならまるまる一棚分がPHP文庫だったはず。しかし、自分好みの本であるから、A店で見かけた可能性も高い。文章作法本や小説指南本が見つかるのはいつもA店なのだ。

 

まあ、けっきょくは両方の店に行けばいいだろ、って話になるんだろうけどね。でも、A店とB店はまったく正反対の方角に位置する。我が家から見てA店は北に、B店は南にあるのだ。それに、今日はBOOKOFFをハシゴするつもりはない。作文の本を買うって決まっているからね。できれば一発目で見つけたい。この時点では、A店にあった、と考えている。しかし、だ。私の人生は常に選択ミスの連続だ。自分の判断はだいたいの場合において間違っている。思慮は浅いのに思い込みは激しいという性質の結果だろう。だから、A店にあった、というのは間違いである可能性が非常に高い。よし、ならばB店へ行こう。決定だ。

 

というわけで、B店に向かうことを決めた私はバイパスを左に曲がった。左に曲がるということは、目指す先はA店である。B店? 行かないよ。ほら、自分の判断は間違うからね。B店に行こうと決めたなら、当然、A店へ行くのさ。歪んでいるね、自分。

 

A店に向かって今度はひたすらバイパスを走る。バイパスといっても、田舎の農村を貫く道路だから、周囲の景色は畑、果樹園、水田、果樹園、水田、民家、水田、果樹園、畑、民家と単調にして長閑だ。しばらくそんな風景が続いたあと、一級河川に架けられた長い橋を渡り、別のバイパスに合流する。数百メートルほど走ったら県道へ下りて、今度は一見すると山道にも見える緩やかな坂を上りはじめる。昔は雑木林以外は何もない山道だったけれども、ここ10年ですっかり開発されて今ではベッドタウン化している。すぐに周りの景色は開けて、拡幅されたばかりの真新しいアスファルトの道にかわる。丘の斜面に沿って階段状に住宅が立ち並ぶ様子は、なんだか遠い街にやってきたような錯覚を引き起こす。その住宅地に隣接した地元企業の大型スーパーを中心に、周辺には次々と店舗がオープンした。BOOKOFFのA店もそのなかのひとつだ。

 

BOOKOFFへ行くぐらいで、ちょっとした旅気分を味わえるのだから、田舎っていいよね。それでも、某テレビ局の「田舎へ泊まろう」(だっけ?)がくるほどは田舎じゃないよ。

 

さて、意気揚々とやってきたはいいが、駐車場に停めたままクルマから降りるのを躊躇っている。いつもそうなのだ。怖気づいてしまう。なぜなら私はヒキコモリだ。とにかく社会と接するのが、怖い。それでなくとも、私の見た目は醜い。相撲取りと間違われても仕方がないぐらいの肉厚、透き通るような白い肌に浮かぶ無精ひげ、ヘアースタイルという言葉とはもはや無縁のぼさぼさ髪。こんな風体の男を見て、人は見た目じゃないよ、と言い切れる人がいたら感嘆に値する。最悪なことに、私は心の内面は見た目以上に醜いのでまったく救われない。

 

と、自虐的になるのも最近じゃ儀式化しちゃってるから問題ない。

 

開店からまだ30分しか経っていないBOOKOFFはさすがに客も少ない。しかし、すでに買取カウンターには山のように古本が積まれている。一山20冊と目算しても、カウンターの上だけで300冊近い。さらに、カウンター下の床では女性店員が息を切らしながら無数の紙袋とダンボールにつめられた古本と格闘している。どうやら開店と同時に大口の買取客が来たようだ。店員はみな買取作業に追われているから私のような不審人物が入店してもまったく気づいていない。これはいいことだ。店員を気にせずじっくりと本を探せる。ほら、BOOKOFFって頻繁に店員が商品補充とか並び替えとかやっているでしょ。立読み客に無言のプレッシャーを与えるのが目的なのかなあ、あれって。

 

そんなことはどうでもいい、今は作文の本だ。

 

PHP文庫が並べられている棚に真っ先に向かう。タイトルは覚えていない。ただ「作文」という文字が入っていたのは間違いない。「作文」の文字につられて手に取ったのだし。って、あった。ありました。

 

『苦手な「作文」がミルミルうまくなる本』向山洋一・編、師尾喜代子・著

 

おお、これだ! 表紙には「「作文」を書くにはコツがある! 達人が伝授する 究極の指導法」と書かれている。裏表紙には105円の値札がしっかり貼られている。よかった。というのも、このA店はよく105円コーナーに通常価格(定価から半額ね)の古本が紛れているのだ。105円コーナーにあるのだから値札の付け忘れかなと思い、店員に尋ねると、すいません間違いです、といって私の手から本を奪い、通常価格のコーナーに押し込んでしまった。まあいいけどさ。

 

ともあれ、目的は達成だ。あとは適当になにか漁って帰ろう。

 

というわけで、今回は6冊買って帰った。おしまい。

 

 

 

 

 

 

 

PR

ワープロのおもいで

投稿日:2009年01月19日(月)

昨年の12月末に、メインで使っていたデスクトップパソコンがぶっ壊れてしまった。サラリーマン時代に使っていたノートパソコンを復活させ、さらにメモリを512MB増設してなんとか実用に耐えられるようになった。とにかくお金がないから、パソコン一台新調するのも至難なんだ。ちなみに増設メモリは送料まで入れて2705円だった。今の自分にとってはとんでもない大金なのだ。
 

金がない、という意味合いのことを人前でいうのは一般常識として間違っている。金に関する話題は基本タブーだ。金ってのはあってもなくても変な奴が近寄ってくるから怖ろしい。金があればたかられ、金がないと金貸しやら怪しい商売の勧誘やらが寄ってくる。だからといって、金に興味がない素振りをしていれば、寄付や慈善活動を強要されたりするからまた困る。近所にいるんだよ、そういうのが好きなお宅が。なぜか私を善意の塊だと勘違いしている人が本気でいるから不思議だ。なんで自分の生活すら危うい私が、東南アジアの学校にいけない子どもたちのために金を出さないとならないんだよ。人の家のなけなしの財産を削りとるよりさきに、あんたんとこのその無駄に広い土地と家を売り払って金にしなさい。ほんとにもう。私はたとえ金持ちになっても赤の他人のためには絶対使わないぞ。もちろん、その行為によって自分の名が売れるなら内心笑いながら喜んで金を出しますけど。まあ、そういう寄付だとかは金を出し惜しまないお人好しにたかればいいんです。金を出すことに喜びを感じる方々がじっさいにいるのですから。彼らからかき集めるのが一番です。あ、なんだ、私も同類か。(ちと、あざといか)


話がそれてるそれてる。


とにかく、仕方なくノートパソコンを使っているわけだが、こいつのキーボードをパコパコ打っているとなんだかひどく懐かしい気分になってくる。なんで懐かしいのかなあ、とその成分を分析してみたが、最初はたんにサラリーマン時代に使っていたノートパソコンだからだろうと思っていた。でも違う。懐かしさの質が違う。そんなたかだか5年ぐらい前のことで懐かしがるわけがない。


で、昨日の夜、布団のなかで唐突に思い出した。それがタイトルでばれてるけど、ワープロなんだ。


ワープロって書くと、今じゃ一太郎とかWordといったパソコン用ソフトが連想されるはずだ。でも、昔、1990年代にはまだワープロ専用機があった。キーボードと画面と印刷機が一体になった、ワープロ専用の機械。何だか自分、ひどく間抜けなこと書いている気がするけれども、今年はもう2009年だぜ。今、10歳前後の人はワープロ専用機のことを知らないかもしれない。存在は知っていても、触ったことはさすがにないだろう、と年寄りじみたことで優越感を得たりするわけだ。これっぽっちも優越していないのにな。


早い話が、ノートパソコンで文章を書いていると、むかーしに買ったワープロ専用機を思い出すのよ。形がさ、似ているといえば似ているでしょ。ノートパソコンとワープロ専用機は。本体をパカって開くと画面とキーボードが現れる、ってとこが。ただそれだけのことだけど。


ただそれだけのことなのに、じゃあそのむかーしに買ったワープロってどんなやつだったかなと考え出したらとまらなくなった。気になって仕方がない。実は今書いているこのBlog、内容が現在進行形だ。ネットで昔のワープロ専用機のことをあれこれ検索している。


買ったのはいつだったかなあ。高校を卒業した年だったような気がする。1992年前後だろうな。いつ卒業したのかもうあやふやだぜ。


買った、とか書いているけど本当は、買ってもらった、だな。両親におねだりして買ってもらった。当時、高校を卒業した自分は進学もせず就職もせずぷらぷらしていた。今ならニートっていう便利な言葉があるから説明が楽だけど、昔は理解されなかった。プー太郎なんて言葉はもっと昔からあるけれども、ニュアンスは違ったのかな。とにかく、高校を卒業したばかりの人間がぷらぷらしているのは異常だったわけだ。


そこで、ワープロにつながる。どうつながるかって、当時の自分の思考回路がアレだったとしか言えないのだが、ワープロが使えれば何か仕事になると本気で考えた。というより、ワープロが使えなければダメだろうと思い込んだ。何が具体的にダメなのか考えていないところが馬鹿の馬鹿たるところなんだけど、本人はいたって真剣だ。さっそく、パパとママに、おねがいボクいい子にするからワープロ買って、とお願いした。


両親もまた馬鹿でさ。どういうおねだりの仕方だったか忘れたけれども、わりとあっさり買ってもらえることになった。たぶん、息子の将来を心配しすぎて頭がおかしくなっていたんだと思う。ワープロがあればなんとかなる、ってのを真に受けたんだろうなあ。かーちゃん、ごめん。とーちゃんは……別にいい。今でもギャンブル狂だから。


で、さっそく次の日曜日にコジマに行った。ちょうど地元に一件目がオープンしたばかりだったと思う。あーゆー大型電器店のチェーンなんて概念が当時の田舎にはなかったから物珍しかったな。電器屋といえば町の小さな電器屋か、スーパーの片隅にあった電化製品のコーナーぐらいだったから。コジマってなんだ、やっぱ小島さんが経営しているのか、どこの小島さんだい、よくこんな大きな店を作ったなあ、たいしたもんだ、と長閑な会話が繰り返されたとか。


で、買った。


あっけない。そもそもワープロ専用機の知識なんかこれっぽっちもないわけだし、当時はインターネットなんてなかった(おっと、一般家庭にって意味ですぜ)から電器屋に並んでいる商品そのものと店員の説明が情報のすべてだった。といっても、店員がどんなに親切丁寧に説明しようが、わけわからない。キーボードを叩けば画面に文字が現れてそれを紙に印刷できる。その一連の動作に、機種によっていったいどんな差があるんだ。同じだろ。だから選択の基準は金額だけになる。知識がないから、ワープロって名前がついていればみんな同じだろうと考えるのも当然で、あるのは金額の問題だけ、とにかくコジマで一番安いのを買ったんだと思う。ローンで。


で、その肝心の機種名がもうわからない。


それをこのBlogを書きながら調べているのだけれども、そろそろギブアップかなあ。メーカーはカシオだった。これは覚えている。型番にJWとあったような気がして調べてみるも、カシオにJWはない。JWは東芝らしい。じゃあHWだったかなとヤホー(ナイツっぽく)の検索窓に叩き込んでみるとそれなりにヒットする。おそらく、HWの9000番台じゃないかなあ。これじゃありませんか? と仮に教えてもらったとしても、外見では判断できないぐらい記憶が曖昧なので、追究するのも時間の無駄かな。


とにかく、カシオのHWの9000番台(たぶんな)を買ってもらったのだ。


今は電化製品のほとんどは無難なダンボール箱に入っているけど、このカシオのHWの9000番台(たぶんな)はちゃんとデザインされたかっこいいパッケージで、やたらとデカイ。箱の正面には黒地に白文字の商品名がスタイリッシュな書体で印刷され商品写真が配置されている。側面や背面にはいかにこのワープロが優れていて万能であるかという説明がことこまかに書かれている。外国人っぽい知的なビジネスマンが真っ白いオフィスでワープロに向かっているイメージ写真付きでね。ああ、やべえなあ、こんなすげぇの持ち帰るのってなんか嫌味じゃね? 我が家ってとてもクールなんですよってさ、思われないかな。えへへ、えへへ、えへへへへ。という気分がパパンのクルマに積み込むまで続いた。


さて、ワープロが我が家にやってきた。大げさなパッケージを開けるとまずは電話帳並の説明書が何冊も出てくる。とかいいつつ、田舎の電話帳は実はけっこう薄い。ジャンプやマガジンより薄いかも。人口が少ないからね。だから田舎の電話帳並の説明書、としておこう。初めて東京に行ったとき、高田馬場で公衆電話に入って備え付けの電話帳の分厚さに驚いたという記憶があったりなかったりする。曖昧なのだ。高田馬場じゃなくて秋葉原、いや池袋、うーん渋谷だったかもしれない。電話帳も分厚かったのではなく、何冊もあって驚いたのかもしれない。覚えてないなあ。そもそも、なんで公衆電話だろ。って、まだケータイがなかった(おっと、一般人にですぜ)ころだからか。あー、たしか、雑誌で見た店に行ってみたくなったけど場所がわからなくて、電話帳で住所を調べようと思ったんだ。そうだ、そうだ。だったら、東京なんだから、そのへんにぷらぷらしているおまわりさん(他意はありません)に訊けば早いのに、まったく田舎者だね。と書いている間に思い出した。行きたかったのがえっちっぽいお店だから訊くに訊けなかったんだ。そうだべ。ところで、「いぬのおまわりさん」って秀逸だよね。いろいろ。


何の話だよ。ワープロか。


とにかく、最初は説明書の多さに圧倒されたわけよ。断念はしない。むしろ、これだけの説明書が必要なモノを、これからオレは(我が子は)使いこなすのか、と家族みんなで優越感を得ていたのかもしれない。何も優越してないってのに。そして、いよいよワープロ本体を取り出した。


テーブルの上にワープロが鎮座しております。で、どうするの? ワープロが目の前にあるけど、どうするわけ? あれあれ、ワープロ買ったけど状況は何も進展しないぞ。これがどう仕事に結びつくんだ。何をしたらいいねん。どうするの、どうするの。ワープロ専用機だからゲームなんかできないよ。


家族の名前を打ち込んでみた。印刷してみた。わー、すごい。


ご家庭で活字が印刷できるなんて、当時はびっくりだったんですよ。本気で。パソコンはすでに家にあったけれども、プリンターはなかった。プリンターは、あなた、昔は贅沢品だったんですよ。持っている人は少数だった。パソコン本体を買ってもらうことじたいが奇跡じみているのに、さらにプリンターなんぞというものを買ってもらうにはカミの存在を信じないとならない。いや、それ以前に、プリンターなんか必要なかった。プリンター? なにするのそれ。エロいのに関係ある? ない? じゃあいらない。そういや、同級生でやたらパソコン環境が充実している奴が一人いたなあ。小学校のときからパソコンを持っていて、プリンターだって当然のようにある(ドットプリンターだけど)。それが、冒頭に書いた寄付や慈善活動を近所に強要するお金持ちの家の子だったりする。


さあ、家族全員の名前がインクリボンで印刷されて出てきた。で、次は。さあ、次はどうする。どうするのか言ってみろ、自分。


ワープロは部屋の隅に置かれた。

 



と、ここでおしまいになるはずだったのに、どういうわけか、ムラムラした。パピーとマミーがいないとき、部屋の隅でぼけっつらをしていたワープロを自分の部屋に移動させた。そして、エロい文章を打ち込みはじめた。


おそらくなんだけど、ワープロ専用機にしてもワープロソフトにしても、文章が入力できるモノを手に入れると何か書きたくなるのが人間の性ではないだろうか。自分のパソコンがすでにあるとはいっても、MS-DOSの時代だし、一太郎もなにも持っていなかったから文章作成には縁がない。パソコンは基本的にエロゲー専用機だというのが常識だったし、タイピングにも慣れていないから文章なんか紙に手で書いた方が百倍速いぜと豪語していたころだ。それでも、なぜかムラムラっときて文章を打ち込みたくなったのだ。


小さい「っ」はどうやって出すんだよ、とか言いつつ、ワープロでひたすらエロい文章を書いていった。エロい文章といっても、小説ではない。本当にエロいシーンだけを書き殴った文章だ。しかもたいした量ではない。現時点で、今書いているこの文章は4800字を超えているが、昔書いたそのエロい文章は印刷してもA4用紙いっぱいになるかならないかぐらいのものだった。


何を書いたっけかなあ。あの頃好きだった「ママは小学4年生」というアニメをもとにしたやつだったと思う。知ってますか? ママヨン(当時はこう略した)。小学4年生の女の子が主人公で、ある日突然、未来から自分の赤ちゃんがタイムスリップしてくるというSFまじりのハートフルストーリー。岩崎宏美がテーマソングを唄っていて、オープニングが『愛を+ワン』だったかな。エンディングの『この愛を未来へ』が好きで好きで、CDまで買った。モーツァルトのK.545をもとにしたメロディが今でも心(耳か?)に残っているよ。白いカーテンが揺れる窓辺でみらいちゃん(赤ちゃんの名前ね)を抱っこしているなつみ(主人公ね)の姿はアニメのエンディングでも最高の部類に入るよ。だから、当然、姪が生まれたときは、妹のアパートの窓辺でそれを再現して悦に入っていたのだ。ちゃんと『この愛を未来へ』を口ずさみながらね。


そして、今、唐突に自己嫌悪に陥っている。それぐらい好きなアニメで、当時の自分はエロい文章書いていたんだぜ。最低だ、最低。文章を書くってのは封印されていた記憶も容赦なく掘り起こしてしまうんだな! ひとつ勉強になった。


とかいいつつ、今じゃもっとえげつないモン書けるぜ、げへへへ、と茶化してしまうところがオヤジだよね。


 

かき終わると放心する

投稿日:2009年01月18日(日)

たぶん、自分にとって文章を書くこととオナニーすることは機能的に同じなんだと思う。

オナニーといっても、読者の存在を忘れた自己満足な文章をからかうアレではない。おちんちんをこすって気持ちよくなるおなじみのオナニーのことだ。

昨日だったかな、リレー小説を書き上げた。それはただ5000字程度のものだけど、書いた本人(自分だけどな)がかなり興奮している。そして、今に至るまで放心状態が続いている。はっきりいっちゃうけど、文章を書くのは最高に気持ちいい。上手い下手なんか関係ない。それが400字であろうが800字であろうが1200字であろうが2000字であろうが、書いている間は楽しくて仕方ない。いや、楽しい、なんて感情をいちいち確認しているひまもない。書き終わって時計を見ると、時間が2時間も3時間も過ぎている。時計が壊れたのだと本気で思う。いつもそんなかんじだ。

さらに自分がとんでもなく阿呆で馬鹿だと思うのは、その後、自分が書いた文章を何度も何度も読んでうっとりするときだ。えへへ、ボクすごいのが書けちゃったです、とかなり気色悪いけど。これは自分だけの性癖(辞書的な意味でね)ではないと思いたい。創作する人は皆、このうっとりする時間があると勝手に決めつける。とにかく、書いて興奮、読んで興奮という二度の楽しみが味わえるわけだ。だから、みんな書くんでしょ?

ところが、興奮はだんだん醒めていくもので、少しずつ自分が恥ずかしくなっていく。何やってんだろう自分、と思うようになる。こんなの人に見せられないよな、とBlogの場合は公開せずにそのままブラウザを閉じてしまう。エディターで書いた小説の場合は、さすがにファイルを消すのも忍びないのでどこか適当なフォルダに放り込んで見なかったことにする。リレー小説は、酒の力を借りてメール送信する。で、その後しばらく放心するわけだ。

オナニーも同じだよね。かきたくてかきたくてたまらなくて、かいている最中は最高に興奮して、出すもの出したら急に冷静になってしまう。ここまで書いておいてあれだけど、別にだじゃれってわけじゃないべな。

で、とりあえず考えるよね。次からはちゃんとか(書?)こう、こんな自己満足に浸っていちゃダメだ、とか。

しかし、時間がたつとたまってくるんだよね(どの漢字をあてるのがいいかわからないや)。またムラムラしてくるんだよね。

何書いてるんだよ俺。

今日は公開して、寝る。

メモリ増設完了

投稿日:2009年01月14日(水)

12月末にデスクトップパソコンが逝ってしまい、サラリーマン時代に使っていたノートパソコンへ急遽移行した。なんとか以前と同じ作業はできるものの、デスクトップと比べるといちいち動作が重い。理由はメモリ不足にある。2003年に購入したこのノートパソコンには、メモリが256MBしか積まれていないのだ。

そこでメモリの増設を検討した。説明書を見ると512MBまで増設できるメモリスロットがあるとわかった。だったら早速購入しようと思ったのだが、とにかく今は金がない。いくらメモリの価格が昔に比べて安くなったとはいえ、一万円近くするものは簡単には買えない。

一度は諦めたものの、未練がましくネットを検索しているとある周辺機器メーカーの直販ストアでアウトレット品を見つけた。512MBでありながら2180円という突出した安さだ。送料を入れても3000円しない。

ちなみにここ。
株式会社アドテック

ただ、いくら安くても自分のノートパソコンに適合しなければまったく意味がない。が、慎重に調べてみると問題なく使えそうなのだ。運良く手元には、妹からもらった姪の子守代がある。ちょうど、買える。念のため、姪の子守代というのは、私があまりにもお金をもっていないので、万が一なにかあったら困るということで妹が貸してくれたお金だ。身内の子守なのにおまえは金銭を要求するのか、と怒らないでほしい。ちなみに、姪は最近スーパーボールが本当に好きだ。書くの二回目だが。

とかなんとか書いている間に宅急便がメモリを届けに来た。今日の昼過ぎのことだ。早速作業に取りかかる。

作業といっても、ネジを一本外して本体を開くだけだ。その外すネジの場所も、本体裏側に最初から矢印で示されているから間違えようがない。ネジをはずしたらキーボードの上部にあるパネルを軽くスライドさせて本体から取り外す。すると、キーボードがめくれ上がるようになり、その下から増設メモリ用のパネルが現れる。パネルを開いて、スロットの突起と増設メモリの切りかけを合わせ、20度の角度で挿入する。メモリの端子がスロットの奥まで挿入されたら本体側に押し倒す。あとはキーボードとパネルを元に戻し、本体裏側のネジを一本締めるだけで完了だ。

あれあれ、5分もかからなかった。ノートパソコンのメモリ増設は初めてだったけど、予想以上に簡単だった。失敗のしようがない。だけど、私はちっぽけな人間なので、これぐらいのことでも得意げになれる。

今の気持ちは? 
幸せです。

たった512MBの増設だけど、もの凄く快適なノートパソコンになった。わかっちゃいたけど、メモリ増設の威力はすぐに実感できて楽しくなるよね。



※買ったのはこれ。

恐怖映像が怖くて眠れなかった

投稿日:2009年01月14日(水)

TBSでやっていた恐怖映像の番組を録画した。

寝る前にちょっとだけ見ようと思って再生した。そうしたら、ランキングの50位と49位を見ただけで、もう怖すぎて見ていられない。そこでストップして布団に入った。

布団に入ったのはいいけれども、眠れない。なんせ、自分は幻覚・幻聴・金縛り・悪夢の常習者なので、寝たら最後、怖ろしい目にあうだろうことはわかりきっているからだ。とかいいつつ、じつはすぐ寝た。オカルト体質であっても、睡魔には勝てない。けっきょく、なんだかはっきりしないけれども、朝までうなされた。でも、それっていつもとかわりないかも。

ところで、普段は怪談ネタばかり考えている自分なのに、どうしても映像関連の恐怖モノだけは怖くてたまらない。文章で書かれた恐怖モノで怖くなるってことは最近の自分にはありえないけど、これが映像になるとどんなに陳腐なネタであっても恐怖を感じてしまう。なぜだろう。

ここで誤解のないように書いておくけど、自分はオカルトやら神秘主義(早い話が○教関係)に傾倒はしていない。普段怪談を書いているのは、あくまでもエンターテインメントの一つであって、小説の一ジャンルに手を出しているだけでもある。だから他人の書いた作品や、実話とか体験談と称された<フィクション>を読んで、それが現実の出来事だと考えることはまずない。「これは本当にあった話なんだけどね」という部分からすでに嘘が始まっているのだ。(エンタメとしての)嘘だとわかっているから、文章モノで怖くなることはない。

それでも、映像モノになると、いくら「こんなの嘘だよ」と頭ではわかっていても、心の部分が無条件に恐怖を感じてしまうのだ。だいたい、テレビで放送されるネタというのは有名なものが多く、その手のマニアなら裏話や真相も含めて知っているモノばかりだろう。間違っても、それが「本当の映像」だと思って怖がることはないはずだ。自分も当然そのつもりだ。

しかし、どんなにわかってはいても、恐怖映像を見ると怖くて怖くてしかたがない。ホント、なぜだろう。映像の力ってすごいよね、という言葉で片付けていいのかな。

「冷蔵庫のなかから青ざめた赤ちゃんの顔がじぃっとこちらを見ていた。」
「誰もいないはずの廃病院の窓から少女らしき人影がすっと這入りこんできた」

こうやって文章で書いてもぜんぜん怖くはない。シチュエーションとしてもありきたりだ。

でも、この映像が今でも脳裏に焼きついている。脳裏に焼きつくとはよくいったもので、嫌なはずなのに忘れることができず、ありありと思い出せてしまう。思い出そうとしなくても、常に脳内のどこかにイメージとして漂い続けている。話それるけど、この無駄な映像記憶の能力を他のことにいかせたら凄いよね。

ここで「論より証拠」という諺が頭にうかんでしまった。そんな単純な言葉でいいのかと思ってしまうが、人の心に恐怖を想起させるのも、「論」より「証拠」なんだろうね。文章は「論」で映像は「証拠」になるのかな。「だってじっさいに映ってるじゃないか!」ということか。

念のため「いや、文章のほうがイメージが湧くから怖いだろう」という人も想定してみる。そういう人だって当然いるだろうし、そちらのほうが知的だ。ただ、文章というものは作者と読者の信頼関係によって成り立っているので、私のように「文章とは嘘である」と信じ切っている人間にとっては、文章で無条件に恐怖を感じるというのは難しいのだ。ちなみに、それを逆手にとって「これは嘘なんだけどね」という話のなかに、勝手に真実を見いだしてもらおうという算段もあるかもね。

と、だらだらと書いたおかげで、ようやく昨日の恐怖映像の恐怖を克服できそうになってきた。

これから懲りずに残りの48位から先を見ることにしよう。




twitter

facebook

レコメンド

人気記事

ブログランキング

にほんブログ村 小説ブログ 小説家志望へ

★ブログランキングに参加しています。

カレンダー

10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

プロフィール

HN:
小瀬朧
性別:
男性
自己紹介:
創作怪談、twitterの短文小説#twnovel、短歌など。
メールでのご連絡は benzine100@gmail.こむ スパム対策なのでこむをcomにかえてください。 


バーコード

ブログ内検索

あわせて

あわせて読みたいブログパーツ

アクセス解析

忍者アナライズ

お知らせ