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ゆっくりと小説を書こう

小説の書き方やお役立ち本などを紹介するBlogです。「小瀬朧」名義で第9回ビーケーワン怪談大賞をいただきました。twitterでtwnovelや短歌などを発表中。

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投稿日:2024年11月22日(金)

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本が崩れて下着に目覚める

投稿日:2009年02月16日(月)

あまりにも部屋が汚いので、数年ぶり(誇張ではない)に掃除機をかけようかと思い、本のタワーを移動させていたら崩れた。崩壊した。ぐちゃぐちゃになった。プチバベルの塔ですか。超うぜぇ。マジうぜぇ。ぐぬぬぬ。

いやさあ、積み重ねられた本って、下の方にいくほどもう役に立たないんだよね。取り出せないんだから。土台にしかなっていない。だから本棚が欲しいのになあ。お金がない。

ところで、その崩れた本の山からこんなものが出てきたよ。

コスチューム描き方図鑑コスチューム描き方図鑑〈2〉インナー篇 
 

マンガやイラストを描く人向けの本だ。

『コスチューム描き方図鑑』と『コスチューム描き方図鑑2 インナー編』の2冊が出てきた。タイトル通り、いろいろなコスチューム、つまりは服装の描き方を解説した本だ。とくに2冊目はインナー編と銘打ってあるように、まるごと一冊下着の描き方に特化しているのでなんだか凄い。

漫画家になるわけでもないのに、なぜこんな本を買ったのか。それは、小説の語彙増強用に、服装や下着の名称とか特徴がわかる本が欲しかったからだ。ぶっちゃけ、えっちな小説用だけど。

だけど、賢明なあなたがお気づきのように、思っていたほど参考にはなっていないのだ。当然でしょうか。当然ですよね。

それでも、基本的な服装と下着の名称がわかるのはありがたい。名称がわからなくても、ふんだんにイラストが掲載されているので、言葉での描写さえできればけっこう役立つかもしれない。もっとも、それだったら通販カタログやWEBサイトの写真でもOKなんだけどね。

面白いことに、『コスチューム描き方図鑑2 インナー編』には「インナーの歴史」という章がある。古代から現代に至るまでの男女の下着が解説されている。だからなんだといわれたら、さあ、と答えるしかないけどね。

しっかし、まあ買っちゃったものは仕方ないけど、かなり遠回りなことしているよね。たぶん、服装と下着については、専門書があるはずだから(あるよね?)、小説用ならそういうのを探せばよかった。










 

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的皪

投稿日:2009年02月14日(土)

芥川龍之介の『芋粥』に「的皪」という言葉が出てきた。
その鞭の下には、的皪として、午後の日を受けた近江の湖が光っている。
(ちくま文庫『芥川龍之介』より)

親切なことに注釈がついていたから、その場で的皪の意味はわかったが、一応、広辞苑も引いてみる。
てきれき【的皪】
白くあざやかに光り輝くさま。
 

的皪とは、白く鮮やかに光り輝いているのか。

でも、なんでこういう意味になるのだろう。漢字を見ただけでは想像がつかなかった。

そこで、漢字辞典を調べようと思ったら、的皪の「皪」の字が収録されていない。大修館書店の漢語林にも角川最新漢和辞典にも載っていない。

ならば、的皪の「的」を調べてみる(というか、先にこっちを調べろと)。大修館書店の漢語林をひいてみる。
【的】テキ まと
(1)まと。(ア)弓矢のまと。「標的」(イ)めあて。標準。「目的」
(2)かなめ。要所。要点。
(3)あきらか。あざやか。はっきりしている。
(4)明らかに。はっきりと。まことに。確かに。「端的」
(以下略)

なるほどね。「的」の字に「あざやか」という意味が含まれていたのか。知らなかった。「的」の熟語を見ると「的皪」があるようだ。
【的歴・的皪・的礰】テキレキ
明らかなさま。鮮明なさま。

あった。なんだ、「的歴」でもいいらしい。「皪」は表外漢字ということだ。

ならば、ついでに「歴」の字もひいてみる。
【歴】レキ
(1)へる。すぎる。わたる。めぐる。「歴戦」
(2)経過してきた事柄。「経歴」「履歴」
(中略)
(9)あきらか。はっきりとしている。「歴然」
(以下略)

つまり、「的」にも「歴」にも、両方に「あきらか」という意味があるんだね。



本棚が欲しいけど

投稿日:2009年02月14日(土)

置く場所もなければ、買うお金もない。

うちの本はほとんどが床の上に積み重ねられている。だから、目的の本をほじくり出すのが大変だ。

今も、ちょっとオ○ニーの歴史について書かれた本を探しているのだが、なかなか見つからない。あるいは、もう古本屋に売ってしまったのか。

お、『あるす・あまとりあ』を発掘した。これ、態位の本だ。

お、『江戸の女たちのトイレ』も出てきた。これ、TOTO出版。

お、割礼の本が二冊出てきた。

あー、金のあるころに買いあさった変態的な本が。












 

人物描写の練習方法?

投稿日:2009年02月13日(金)

小説を書く上で人物の描写は避けて通れない。じっさいに書いてみて、最近ようやくわかったことだ。

描写とは何か、これは前回の記事で扱った。言葉の意味を辞書で調べると、描写とは対象を客観的に表現することであるとわかった。
参考:ゆとしょ! ゆとりある俺の小説ブログ 描写がよくわからない

まあ、言葉の意味がわかったぐらいで即実践できるなら誰も苦労しないよなあ。そうか! 客観的に表現すればよかったのか! これでばりばり書けるぜ! 

ないない。無理無理。

そこで思い出したのが、小説における描写をスケッチに喩える話だ。ここで今度は「スケッチとはなんぞや」という言葉の定義に陥りそうになるのをぐっとこらえる。とりあえず単純に「絵を描く」ということにしておく。だれか美術に詳しい方、スケッチ、デッサン、クロッキーの明確な違いを教えて下さい。Wikiは無しの方向で。なんてね。

とにかく、文章によるスケッチが描写なんだ、とここでは軽く捉えておく。話が進まなくなるよね。(あー、でも「絵」と「スケッチ」の違いってなんだろう)

ある作家がデビュー前に行った小説の練習方法を引用する。
 

 僕がこのころから始めたもう一つの練習法は、小型のノートを持ち歩くことだった。電車に乗り、前に座っている乗客をスケッチした。絵に描くのではなく、文章でスケッチするのである。あるいは公園やデパートの屋上のベンチに座ってノートを開くのでもいい。目にとまった人物を、まず風貌を描写し、次に勝手に彼や彼女がどういう人間であるかを書く。年齢、職業、趣味、家族構成や生い立ちなど、思いついたことを勝手に書いて描写してしまう。後に、僕はこのノートに「あの子はだあれ」というタイトルをつけた。
(井上夢人『おかしな二人―岡嶋二人盛衰記 』より)


コンビで活動していたミステリー作家、岡嶋二人の誕生から解散に至るまでを書いた自伝エッセイからの引用だ。これは、江戸川乱歩賞への初挑戦が第一次予選通過という結果で終わってしまったあとの、本格的に小説の練習を始めたころの話だという。応募したのが昭和52年の第23回江戸川乱歩賞だから、もう30年以上前の話だ。「小型のノート」とあるのは、当然紙のノートだよ。でも、今の時代なら小型のノートPCを使って同じことをする人もいるかもしれないね。

ここでつっこまれるかもしれない。

描写とはなんだという話なのに、引用された文のなかに「描写」という言葉が入っている。これでは堂々巡りではないか、と。

たしかにそうだ。私はそう思った。でも、これは質より量の問題なのだ。

文章によってスケッチした人数は、具体的な数字はわからない。しかし、一人や二人ではないはずだ。つまり、ただ一人の人物を前に、描写とはなんなのだ、と考え続けるのではない。何人もの人物を書くことによって、結果的に、描写とはこういうことなのか、という感覚をつかみ取るのだ。おそらく、そうだと思う。

なぜならば、世の中にはまったく同じ人間は存在しない。みんな違うのだから、文章によるスケッチも同じになるわけがない。書き分けなければならないのだ。「きれいな人」とか「怖そうな人」とかそういう主観的な言葉はすぐに尽きてしまう。その人物が他の人々とどう違うのか、その人物をその人物たらしめている要素を見つけ出して書いていかねばならない。

この井上夢人氏の話ができすぎているなと思ったのは、外見だけではなく「彼や彼女がどういう人間であるか」までも書いている点だ。私のような小説家志望では絶対に思いつかないようなことを、さらりとやっているのだ。小説における描写とは、人物の外見を読者に正確に伝えることではない。どんな人間なのかを読者に伝えるのである。(と、小説の書き方の本には書いてあるよね)

今、小説家志望で、こういう人物スケッチをやっている人っているのだろうか。

私はヒキコモリニートなので、無理です。

 

描写がよくわからない

投稿日:2009年02月11日(水)

作文も小説も描写が大切。

これは最近覚えたことだ。作文の書き方の本にも、小説作法の本にも、プロ作家の経験談にも、必ず「描写が大切」と書かれている。しかし、肝心の「描写」とはいったいなんなのかよくわからない。

言葉の意味をはっきりさせてみる。広辞苑ではこう解説されている。

びょうしゃ【描写】
書き写すこと。特に文芸・絵画・音楽など芸術的制作において、物の形体や事柄・感情などを客観的に表現すること。「心理―」

怖ろしく難解なことをさらりと説明している。

この解説のなかでもっとも大切なのは「客観的に表現する」の部分だ。いじわるな読み方をすれば、主観的に表現されたものは描写ではないのか、と思ってしまう。

さあて、難しい。どうにもこうにも難しい。

まず、客観とは何か、主観とは何か。この二つの語が理解できないと、「客観的に表現する」の意味もわからない。困ったことに、なまじ小学生ぐらいで「客観的」なんて言葉と頻繁に接するものだから、わかったつもりになってしまっている。

客観的を広辞苑でひいてみる。
きゃっかんてき【客観的】
特定の個人的主観の考えや評価から独立して、普遍性をもっていること。「―な態度」「―に述べる」

顔がひきつりそうになる。「普遍性」とは何か、正確に理解できている自信はない。これも広辞苑でひく。
ふへんせい【普遍性】
(1)すべてのものに通ずる性質。
(2)すべての場合にあてはまる可能性。一般性

このあたりで妥協しないとキリがないか。

とにかく「客観的に表現する」というのは途轍もなく難しいのだ。

作文にしても小説にしても、それを書いているのは自分自身である。特定の個人というやつだ。その自分自身の、ある対象を見たときの考え方や感じ方が「主観」だ。

だから、何かについて書くとき、自分の考えたことや感じたことをそのまま言葉にして並べたのでは「描写」にはならないということになる。

具体的に例をあげるなら、遠足の作文で「とても楽しかった」とか「うれしかった」とだけ書くのは、描写ではない。これは言葉の置き換えの問題ではないから、いくら語彙を増やして、「とても愉快だった」とか「このうえない喜びが沸き上がってきた」とか書き換えてもダメなのである。

これが、小説となるともっと難しい。

なんせ、小説は自分の頭のなかで創り出す虚構なのだ。こってこての主観の塊だ。描写するためには、その主観の塊を容赦なく解体して、誰にでもわかるように再構築しなければならない。それが、「描写」というやつではないか、と最近考えている。

例を書いてみた。
錦鯉太郎は日本史が苦手だ。彼はテストの点が悪くていらいらしていた。

これは、描写じゃないと思う。説明ってやつかな。

別の書き方をしてみる。
錦鯉太郎は学生鞄のなかから、一枚の紙切れを取り出した。日本史の答案用紙だ。右上には29という数字が赤ペンで殴り書きされている。しばらく眺めてから、彼は答案用紙をくしゃくしゃに丸めた。

これは描写だろうか。冗長な説明だろうか。よくわからない。わからないけれども、描写しろと言われたら、上のように書くのが今の自分の限界だ。


ぜんぜん関係ないけど、高校時代、あまりにも日本史が苦手だったので、あるとき鉛筆を転がして回答を選んでみたら、普段よりも点数が高かったという思い出がある。「運>知識」かよ。


話がそれた。というか、そらした。

とりあえず、描写についてはまだまだ勉強しないとならないな。ただ、今回はあくまでも文章として考えたけど、描写は「絵」に喩えられることもよくある(言葉によるスケッチ等)から、次はそっちを考えてみる。




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