投稿日:2024年11月21日(木)
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投稿日:2008年12月31日(水)
小説に対する理想や個人の小説観の構築のためではなく、実際に小説を書くという行為において役に立ったのは、シナリオ関係の本がほとんどだ。もちろん、シナリオの書き方を学ぶのではなく、ドラマ(ストーリー)の作り方を学ぶためにである。
最も基本なのは新井一氏のシナリオの基礎技術だ。とはいっても、たいていの方はすでに読んでいると思う。私が知って買っているぐらいだから、本当に有名な本なのだ。購入したのは2005年だが、当時、小説を書くために役立つ本はないか、と人にたずねたとき必ず名前が挙がったのが本書である。
ところが、上記の『シナリオの基礎技術』はまじめすぎて、本当の初心者にとってはいささか難しい。内容も300ページを超えるボリュームなので通読するのも一苦労かもしれない。そこで見つけ出したのが、彩流社から出ている増補版・「懐かしドラマ」が教えてくれるシナリオの書き方 (オフサイド・ブックス) だ。
本書では「お気楽流」と称して、初心者でも簡単にシナリオが最後まで書ける方法を教えてくれる。書名に「懐かしドラマ」と入っているように、国内の有名ドラマを例に挙げて具体的に解説しているのがポイント。ただし、どちらかというと、本書で目指しているのはごく普通のテレビドラマ的なシナリオなので、「今までにないような」という意味でのオリジナリティあるシナリオを書こうとしている人にとっては少々不満を与えるかもしれない。そういう人は、先にあげた『シナリオの基礎技術』でコツコツ学べばいいと思う。手っ取り早くストーリーを組み上げたいなら、本書『「懐かしドラマ」が教えてくれるシナリオの書き方』が一番いい。ただし、本書の場合は原稿用紙の使い方や基本的なシナリオ作法についてはあまり触れていないので、本当にシナリオを書こうとしている人は別の本も必要。
シナリオ関係の本なら他にも良い本がいろいろあるけれども、私自身がそれにふさわしいレベルに到達していないので、今のところ安易な紹介は控えようと思う。
小説で悩むのは「何を書くか」と「どう書くか」の二つだ。その「何を書くか」、つまりどんなストーリーにするかは、シナリオ関係の本で学べる。「どう書くか」とは、どう表現するか、演出するかという問題になるので、これはプロの小説をよく読んで分析するのがいいと思う。
文章の書き方については、また別の記事にするつもりだ。
前述の本は、読んだことはありませんが、シナリオというのは、興味深い媒体だとはつくづく思っててきました。
シナリオを作るというのは、物語を構築する上で、たしかに有益な方法だと思います。私も何本か書いたことがあります。
ふつうに小説を書くよりも、スムーズに物語りが進んでいくような気がします。おそらく、状況説明をする必要がなくなるからだと思いますが、会話が会話で生き生きしてきます。まさに、キャラクターが動き出すのが、指で感じることができます。
そうは言っても、小説を書くのが主なのですから、シナリオは、小説の妹という立ち位置が成り立つかもしれません。双方で、利用しあえばいいと思います。
uenoさんこんにちは。
2008年はいろいろお世話になりました。
おそらくなんですが、私も含めて、小説が書けないという悩みを持っている人はシナリオの勉強をするのがいいのではないかと思いました。巧拙はともかく、私も実際に書けるようになったのは上で挙げた本も含めて、かなりの量のシナリオ関係の本を読んでからですね。
ただ、目的は「小説」なので、ストーリーができてもそれを「小説」として文章で表現するのは、やはり別問題になってしまいますよね。
シナリオの場合は、小説と違って、状況と心境をすべて映像で表さないとならない(ナレーションは別として)。登場人物の会話や小物や動きが重要となる。それに対して、小説の場合は地の文で説明描写できる。
困ったこともありまして、シナリオの勉強をすると、長編的な作品は作れるようになるのですが、短くまとめる必要がある短編やショートショートがうまく書けなくなります。自分だけかもしれませんが、どうも脳の使う部分がかなり違うような気もします。
あとは、メールでも話題になりましたが、「小説の質」についてよくわからなくなります。シナリオ方面からのアプローチばかりしていたからかもしれません。結局、小説とはなんぞや、という話にいきついてしまいますね。
状況説明ということですが、私は、小説の方が、シナリオよりも難しいと思います。映像というのは、まさに映像装置で、場面を撮影するわけですが、何も考えなくても記録されます。
一方、小説の場合は、すべてを言葉で表現しなくてはなりません。しかも拾捨選択というやっかいなハードルが待っています。
例えば、テーブルの上に、種々のアイテムが転がっているとします。コーラの空き缶、手袋etc...。それに、説明が付加されると膨大な文章量になります。
私は、映像を想像してから文章化するのですが、その映像は常に3Dで出現するために、に、四方八方から対象を、表現する必要性から、ストーリー展開以外に、莫大な文章を費やしてしまいます。
その結果、いくら緻密に書いても、書き足りないということがあります。まるで、地平線を目指した結果、新たな地平線を発見するような気がします。
結局、それが小説の難しさなのでしょうか?
uenoさんこんにちは。
小説の場合は、uenoさんが指摘されるように取捨選択というハードルがありますね。仮にその場面を映像にした場合、そこにはありとあらゆる風景から小物までが存在します。ですから、小説を書く場合、映像的なイメージを文章化する作業だとするなら、何を書いて何を書かないかというのは非常に重要ですし頭を悩ませます。
そこで「象徴」という考え方が登場するのではないでしょうか。花村萬月先生に傾倒した考え方になってしまうのですが、小説における描写とは象徴をつかみ取ることだと考えています。同時に、だからこそ、小説は難しいのだとも納得しています。
登場人物の悲しみを表現する場合、単に泣いていることだけを伝えたいなら、映像は役者に泣いてもらえばいいので簡単です。監督と役者の技量にかかっています。ところが、その悲しみの質、人物の内面の動きは、映像で表すのは非常に困難です。ナレーションやモノローグを使うという手もありますが、ださくなります。それが、小説なら、映像にできないものを描写することができます。ただ、自分でもまだ曖昧なのですが、心的描写ができるからといってシナリオより小説が簡単というのは、やはり間違った考え方かもしれません。書いている本人は描写しているつもりでも、読者にそれが伝わっていないならまったく意味がありませんから。
このあたりのことは突き詰めると面白いですね。先ほど「象徴」という考え方を気軽に書いてしまいましたが、当然、自分でもほとんど理解に至っていません。当面の目標です。
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