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ゆっくりと小説を書こう

小説の書き方やお役立ち本などを紹介するBlogです。「小瀬朧」名義で第9回ビーケーワン怪談大賞をいただきました。twitterでtwnovelや短歌などを発表中。

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投稿日:2024年11月24日(日)

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都筑道夫『25階の窓』等を購入

投稿日:2008年04月08日(火)

久しぶりにブックオフに行った。買ったまま積んである本はまだ多いが、ブックオフは定期的にチェックしないとなんだか不安になる。あまり頻繁に見ても変わり映えはしないけどね。

今日見つけた本はこちら。

都筑道夫『25階の窓』
スタニスワフ・レム『ソラリスの陽のもとに』
佐藤正午『ビコーズ』
山崎浩一『危険な文章講座』

以上の4冊。

都筑道夫『25階の窓』は短編集で、文章指南本として読んでいる『ミステリイ指南』に感化され、ぜひ氏の短編の魅力を味わいたいと思って購入した。本当はコメント欄でいろいろおすすめしていただいた本を探したのだが、ブックオフにはこれ一冊しかなかったのだ。また後ほど別のブックオフをたずねてみたい。

『ソラリスの陽のもとに』はあらためて俺がいうまでもなくSFの名作で、最近読んだハヤカワの『SF入門』『新・SFハンドブック』のどちらを見ても、「オールタイム・ベスト」の上位に君臨するタイトルだ。とにかく読んでおけということなので購入した。以前、同じブックオフを見たときにはなかったので、たまたま誰かが売ってくれたのだろう。こうやって俺はいつも地味な神様の恩恵を賜っている。ありがとう。

佐藤正午『ビコーズ』は、いつどこで知ったのかさっぱり忘れてしまったのだが、主人公が新人作家という設定の小説なのだ。ただそれだけの理由で探していた。期待する内容とは限らないけど、105円だったら迷う時間が無駄だ。

最後、山崎浩一『危険な文章講座』は、永江朗『<不良>のための文章術』のなかで「参考になる本」として挙げられていた新書だ。小説を書く上で参考になるかまったくわからないがとりあえず購入しておいた。ちなみに、『<不良>のための文章術』はライターとしての文章を書くには非常に勉強になる本だった。小説には直接関係ないけどおすすめ。

では、これから読書タイム、開始。
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文章上達法? のカテゴリを作りました

投稿日:2008年04月08日(火)

小説の書き方とは別に、基本的な文章の書き方についてあまり考えていなかった。ゆとりある俺は当然のこと、文章が苦手だ。毎回このBlogの記事でさえうまく書けなくて泣きたくなる。俺はもっとうまい文章を書きたい。念のため先に書くが、文章力を鍛えたからといって小説が書けるようになるわけではない、それはわかっているつもりだ。だからといって、文章をなおざりにしておくのもよくない。そこでこのカテゴリを作った。

地元で祭りがあった

投稿日:2008年04月07日(月)

毎年4月の第一日曜日は地元の神社で祭りがある。だから地元住人は前日の土曜日から準備に追われる。準備といってものぼりを立てたり、道路沿いに縄を張り紙垂(しで)と提灯をつけて歩くぐらいだ。俺はいまどきの若者なので地域行事には参加したくないのだが、今年は親父が都合悪く、準備に出られないため俺が駆りだされてしまった。純正のひきこもりなので外にでるのは正直つらいが、たまには青空を見るのもいいかなと思った。たまにはね。

SFを俯瞰 『SF入門』

投稿日:2008年04月04日(金)

※はじめに
このBlogは読書すらまともにしていない管理人が小説を書くために右往左往している様子を楽しむところです。たまたま今回はSF。一応断り書きをいれておかないとSFファンだと思われるかもしれないからね。

前回紹介した『新・SFハンドブック』が読書案内の色合いが濃かったのに対し、今回紹介する早川書房『SF入門』(2001)はSFの世界全体を見渡せる内容となっている。目次から抜粋すると「SFの歴史」「SFする精神」「SFの創り方」「SFサブジャンル百科事典」「SFを読もう」というように、これ一冊でSFジャンルの全体像がつかめるのだ。読書が足りないままオトナになってしまったゆとりある俺にとって、こんなに手っ取り早く「便利そう」な本はないだろう(ほんとに役立つかどうかは知らんけど、その気にはなれる)。ちなみにけっこう入手に苦労した。

ざっと目を通してみた。SFというジャンルの柔軟性にまず驚いた。本を読まない人間にありがちだが、自分の知らないジャンルにいいかげんな思い込みをもってしまうことはよくある。俺がそうだ。SFに対して俺がどういうイメージを持っていたかここで書くとファンに殴られそうなので逃げておくが、この本を読んだ限り、SFというのはまさに人間の想像力でどこまでも広がるジャンルだとわかった。何気ない日常から太陽系、銀河系、宇宙、さらには宇宙の外、あるいは過去から未来、人類、非人類、要するに何でもアリなのだ。およそ人間が知覚できる範囲においてSFにならない事象はないのではないかとも思える。それだけ柔軟なジャンルなのだ。

しかし、これは同時に、ありとあらゆるSFのネタが出尽くしているともいえる。俺が夜中唸りながらひねり出したアイデアも、実は自分が知らないだけでもうすでに誰かがやっている可能性のほうが高いのだ。並大抵の想像力では、SFで完全オリジナルな物語を作るなんてのは到底できやしないのではないか。うーん。知らないほうが幸せだったとは今の気分を言い表すのだな。

小説を書くための読書なのに、なんだか小説をあきらめるための読書になりつつあるような。

何かが決定的に違うのだ

投稿日:2008年04月03日(木)

今回はアバウトな話なので読み飛ばしてくだされ。

プロの小説と俺ら素人の文章(あえて小説とはいわない)では決定的な違いがある。ただ、その違いが何なのか言葉にできない。言葉にできないからといって、それが勘違いや思い込みであるとは考えたくない。非常にもどかしい。

とにかく書けとはよく言われる。考える前に手を動かせということだ。隠していたし公開は絶対にしないが、俺は掌編小説を20編ぐらい書いている。実は手を動かしていたのだ。しかし、書けば書くほど、自分の書いた文章の集合体がとても小説と呼べるものではないとわかっていく。俺だって馬鹿じゃない。自分の書いた文章がまるで小説になっていないことぐらいはすぐにわかる。それぐらいの知能と常識は持ち合わせている。だから俺は「小説」の書き方を求めているのだ。言い換えれば、どうすればただの文章の羅列が小説に昇華するのか、その秘密が知りたい。そういうことだ。

もちろん、小説とは何かについて言及している指南本は数多い。むしろ、著者の小説観を語るために書かれている本のほうが多いかもしれない。しかし、小説とは何なのか俺自身が気づかないことには永久に向こう側、創作する側には回れないと思う。あるいは、創作する側どころかスタート地点にすら立てないのかもしれないのだ。とりあえず、俺は苦しい。自分の中でさまざまな考えというか思いというかあるいは無意識というか、動きさえ捉えれない連中が音もなく暴れ狂う。それのせいで、読書していても、こうやってキーボードを打っていてもすべての思考が停止してしまうことが最近多い。PCでいうビジー状態なのか。いったい俺の頭の中の連中は何をやっているのだろう。今のところまだ死にたくはないから、なるべくハッピーな方向で答えを出してくれるとうれしい。また樹海の下見に行くのはいやだよ。

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プロフィール

HN:
小瀬朧
性別:
男性
自己紹介:
創作怪談、twitterの短文小説#twnovel、短歌など。
メールでのご連絡は benzine100@gmail.こむ スパム対策なのでこむをcomにかえてください。 


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