投稿日:2024年11月24日(日)
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投稿日:2008年09月01日(月)
五十代という若さで亡くなった叔父は生前俺にこんなことを問うたことがある。
「おまえは何のために生きているんだ」
まだ十歳だった俺は問いの意味もわからず困惑するしかなかった。生きるという行為そのものの目的を問われて即答できる十歳がいるだろうか。いるわけがない。俺は子どもらしく首を傾げ、愛想笑いを返した。しかし、ちょうど自我に目覚める年頃だった俺の心の奥深くに叔父の言葉は食い込み、そのまま根を下ろしてしまった。だから今でも鮮明に覚えているのだ。
中学生になり知恵をつけた俺は、叔父の問いが実はごくありふれたものであることに気づけた。そして、どこかで目にした言葉を、中学生にありがちなことだけれども、さも自分が思いついた言葉であるかのように口にするようになった。
「生きる目的を探すために生きるんだよ」
かわいい馬鹿の誕生である。
高校生になると色気が出てくる。物事を斜めから見て楽しむようにもなる。だから、俺は叔父のあの問いはたまたまドラマか何かで耳にした言葉を、戯れで十歳の子どもに投げつけただけなのだと考えるようになった。俺の困る顔を見たかっただけだ。叔父にだって答えはわからない。真剣に考えたら負けだったのだ。そう決めつけていた。
高校を卒業して、それがフリーターだとしても、社会人として振る舞うことを強制させられるようになると、叔父の問いはまた別の響きをもって思い出されるようになった。おそらく叔父の言葉の裏には、何の苦労もなく生きていられた子ども時代への郷愁のようなものがあったのではないか。あのとき叔父は俺に問うていたのではない。俺の姿に、自分自身の子ども時代を投影していたのだ。そう解釈するようになった。そして、これが真実なのだと、錯覚し続けていた。叔父が死ぬまで。
叔父が亡くなったのはそれから数年後だった。癌、というには単純すぎるが、それに近い、きわめて珍しい病気だったらしい。治療法もわからず、病巣が転移するたびに手術で取り除くしかなかった。この病気については、長いこと家族のあいだだけの秘密にしてきたという。余命も宣告されていたので、叔父の死は家族にとっては予定されていたものだった。最後の夏、家族で旅行したという。叔父の遺影はそのときに撮られたものだった。葬式の席で、集まった親戚を前に、残された長男が淡々と説明した。
そして、俺は叔父が死に至るまでの経緯のなかで、恐ろしいことに気づいてしまった。それはないだろうと本気で思った。いくらなんでも、それは、ない。
叔父が発病した時期は、ちょうど俺が十歳のときにあたる。俺は、本当に最期まで、叔父の問いの真意がわからなかったのだ。
「おまえは何のために生きているんだ」
何のため、なんだろう、ね。
投稿日:2008年08月31日(日)
某所の2000字のやつ、迷ったけど、さっき送った。魂を込めて書いた。俺はいつだって本気だ。投稿日:2008年08月31日(日)
全国的なのかな。今日は防災訓練、やってない?投稿日:2008年08月30日(土)
BOOKOFFへ今日も行ってきた。ちょっとふんぱつして、105円でない本を買ってしまった。投稿日:2008年08月29日(金)
新潮文庫版の『一千一秒物語』を読んでいる途中なのだが、とても面白い。稲垣足穂に辿り着いた経緯はひどく単純で、私淑する花村萬月先生の作品に何度かその名前が登場したからだ。ところで、私淑って言葉はつい最近覚えた言葉なんだけど、使い方あってるかなあ。高校生用の参考書に載っていた言葉だけど、俺はぜんぜん知らなかった。話がそれた。竹の子書房
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