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ゆっくりと小説を書こう

小説の書き方やお役立ち本などを紹介するBlogです。「小瀬朧」名義で第9回ビーケーワン怪談大賞をいただきました。twitterでtwnovelや短歌などを発表中。

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投稿日:2024年11月23日(土)

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道路を照らすオレンジの灯り

投稿日:2008年09月21日(日)

あれの名前はなんだろう、とずっと昔から思っていた。トンネルの灯りもたぶん同じだよね。オレンジ色の道路照明灯、あれがとても好きだ。

なんとなく今日調べてみたら、見つかるもんなんだね、すぐにわかった。あれはナトリウムランプというらしい。ナトリウムランプの、オレンジ色の灯り。

ナトリウムランプ!

なんてステキな名前なんだろう。俺はうれしくなった。ナトリウムの光が夜の道路を照らしている。ナトリウムランプはゲルマニウムラジオにも通じる幻想的な言葉の響きだと思う。ついでにいうと、ハロゲンランプという響きも好きだ。キセノンランプもそうだ。キセノンヘッドライトというほうが身近かな。クルマのヘッドライトに使うやつ。他にもあるだろうな。暇なとき調べよう。

今まで名前がわからなかったモノが、名前を知ることで今までより明確に自分の支配下における。しかし、名前を知る前までの、言葉にできなくてぼんやりと頭に思い浮かべていたあのオレンジ色の灯りはもう戻ってきそうにもない。俺の頭の中を充たしていたオレンジ色の灯りは、ナトリウムランプという音の響きに置き換わってしまったのだ。

ちと感傷がすぎるか。

 

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BOOKOFFと消しゴム

投稿日:2008年09月21日(日)

BOOKOFFのヘビーユーザー(?)に消しゴムは欠かせない。

ヘビーというほど大量に買い込んでいるわけではないけれども、わりと頻繁にBOOKOFFを利用しているつもりだ。とにかく105円で本が買えるのはありがたい。しかもBOOKOFFのシステムなら本の価値に関係なく一定のルールで105円になるのだから掘り出し物が見つかることも多い。

ところが、なぜか俺の行くBOOKOFF(2店舗あるけど)でそういう本を買うと凄まじい量の書き込みや線引きがされていることが多い。先に書いておくと、俺は書き込みされた古書でもかまわない。売るなとは言わない。書き込みされているぐらいで貴重な本が買い取り不可、結果として廃棄されるのではもったいない。かといって、他人の書き込みが気にならないのではない。せめて50円ぐらいにしてくれないかな。

最近買った本も、そのほとんどに鉛筆で線引きがされていた。ジャンル的に同じ本なので、たぶん同一人物がまとめて売ったのだと思う。フリーハンドで引かれた線の脱力具合が同じに見える。ぐにゃーっと、だらしねぇ。それとは別に、定規を使ってまっすぐに線を引いてある本もあるから、なんだろう、このBOOKOFFの近所には線引きが好きな人が多いのだろうか。

とはいいつつも、岩波のショーペンハウエルのある一冊を見つけて、何気なく中を見たら尋常じゃない量の書き込みがそれこそもうびっしりとされており、タイトル的にも何かやばい気配を感じてしまって買えなかった。あれはやばい(『~について』シリーズで暗そうなタイトルのアレ)。アレにあれだけ書き込みをした元の持ち主はその後どうなったのだろう。何を学んだのだろうか。

そんなわけで、今も消しゴムを傍らに置きつつ読書している。

『マンガ老荘の思想』

投稿日:2008年09月20日(土)

老子と荘子の思想をわかりやすくマンガ化したものだ。描いているのは台湾出身の漫画家、蔡志忠(さいしちゅう)氏。俺が持っているのは講談社+α文庫版なんだが、奥付を見るともう10年以上前に買った本だとわかる。BOOKOFFに売らずに残してあった本のうちの一冊だ。

ものすごい偏見だけどさ、中国思想っておっさんが好きそうだよね。俺自身、おっさんになってからまたこの本を発掘して読んで、うーんなるほどとうなってみたりしているのだから、人のことはいえない。ただね、娯楽として読むにはいいけれども、自分の人生と照らし合わせちゃったりして、反省したり何かを悟ったふうに思ったりするのは、嫌だ。精神年齢が低いと言われようが、俺は俺自身に屈したくない。自分は最期まで自分の支配者でありたいと思う。とはいいつつも、老荘思想って面白いんだよね。はまってしまう。

 

クスリの力でわけわからない

投稿日:2008年09月20日(土)

昨日の夜、ついにクスリを飲んでしまった。風邪薬だけど。

強烈な眠気と覚醒感が入り交じった妙な感覚におそわれて、Blogにはわけのわからないことを書き殴っているし、布団に入ってからも寝ているのか寝ていないのかわからない状態が長く続いた。風邪をひくといつもこうなる。やはり身体と心は密接に関連し合っているようだ。身体と心を単純にわけることはできそうもない。身体を失って心だけが残っているという状態は現実には無理なのかも知れない。むう。

とにかく書くということの大切さがわかってきた

投稿日:2008年09月20日(土)

物書き連中はとにかく他人と違うことを書こうと必死だ。他人と同じことしか書けないのでは存在する価値がない。これについては、感情的には反発したいけれども、他人事だと考えれば「当然じゃん」と思う。

純朴な考え方をするなら、まったく同じ人間なんていないのだから100人いれば100通りのものの見方があるはずだ、ともいえる。ところが実際はそうではない。不思議と多数と少数にわかれてしまう。物書き連中はそれをよくわかっているから、自分自身が多数側、つまりありきたりで陳腐とされる側にならないように細心の注意を払う。

多数と書いたが単純に数字の話ではない。ある事についての多数というのは「同意」「反対」の両方だ。少数というのはそのどちらにも属さない、かといって中立でもない別の何かだ。

これはネットにおける、ある出来事に対する反応を見ているとよくわかる。仮に「同意」が多くいたとする。うかつな物書きはここで安易に「反対」側の意見を書いたりするのだが、実はそれも多数であることにかわりないのだ。同じ地平に立っている、と言えばいいのかな。向いている方向が違うだけで、全体としてプラスマイナスで一つにまとまってしまう、そんなイメージか。

ここで、プロの物書きだったら、まったく別の何かを示すと思う。さっきから「何か」と書いているのは、それが素人の俺らには目にするまでは想像もできないからだ。ありきたりでもひねくれものでもない、より高次の何かだ。

ただ、自分で書いておきながら、この自分の考えは全力で否定したい。別に分裂しているわけじゃあない。否定するために書いたというのに近い。書いたことによって、自分自身の陳腐さがよくわかる。

そしてこれは小説でも同じだと思う。自分の頭のなかで大事にかわいがっているものを、外の世界に放り出すのだ。放り出すためには、とにかく書くのだな。日の光にさらされて、輝くのか腐るのか。それを見ろということか。なんとなくわかってきた。


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プロフィール

HN:
小瀬朧
性別:
男性
自己紹介:
創作怪談、twitterの短文小説#twnovel、短歌など。
メールでのご連絡は benzine100@gmail.こむ スパム対策なのでこむをcomにかえてください。 


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