忍者ブログ

ゆっくりと小説を書こう

小説の書き方やお役立ち本などを紹介するBlogです。「小瀬朧」名義で第9回ビーケーワン怪談大賞をいただきました。twitterでtwnovelや短歌などを発表中。

[PR]

投稿日:2024年11月23日(土)

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

ダイソーのノート

投稿日:2009年01月28日(水)

100円ショップのダイソーで、文庫本サイズのノートが3冊組で売っていると聞いて、メモ帳に使いたいのでさっそく買ってきた。

ところで、ダイソーに「100円ショップの」ってつけていいのかなあ。昔は100円ショップって呼んでいたけど(100円均一ではない)、今じゃ100円以外の商品が多いよね。ちょっといい商品があると、200円とか300円ってなっているし、1000円なんてのも増えてきた。ダイソーのホームページを見ても、もう100円ショップっていう冠はなくなっているから、普通に「ダイソー」って書けばいいのかな。

で、そのダイソーから買ってきた文庫本サイズの3冊組みノートだけど、開いてみたら、縦書きなんだよ。おら驚いただ。

縦書きのノートなんて、売っていないことはないけど、じっさいに買ったのは初めてかもしれない。

縦ならちゃんとわかるようにしておけよ、と思ったけど、ノートの裏表紙にはしっかり「タテ罫」と書かれているし、表の表紙には縦のラインがデザインされている。

メモってさ、だいたい横書きだよね。というか、縦書きでメモしている人に出会ったことはない。それでも、小説家とか日本語にこだわりがある職業の人とかは、やっぱり縦書きでメモをとるのだろうか。自分は、ふだんエディターで小説を書くときは縦書きにしているけど、メモは横書きだ。この際だから、メモも縦書きにするかな。うーん。

縦書きと横書きって単なる文字方向の問題じゃなくて、文章の質も変わるような気がするんだ。なんていうかな、縦書きのほうが、書いていて気分が引き締まるかんじか。横書きだと阿呆なことも書けるけど、縦書きだと真面目で堅い文章になるような。もちろん、自分の話であって、他の人がどう感じるかはわからないけどね。

もし、縦書きの小さいノートを探している人がいたら、ダイソーにあるよ、という話だったり。ちなみに商品場号は「D-39 ノート No.623」だよ。


PR

メロンパンナちゃんは難しい

投稿日:2009年01月28日(水)

一色のペンで描くとなると、どうにもうまくいかないのだ。

アンパンマンとバイキンマン、カレーパンマンにあかちゃんマン、それとチーズかな、このあたりはなんとか描けるようになった。姪が「あんぱんまん、あーいんあん(バイキンマンのこと)」と区別できているのでOKなのだ。どういうわけか、カレーパンマンはお嫌いなご様子で、カレーパンマンだよー、って描いてあげると、やあだ、やあだ、と不快感をあらわにする。先日はカレーパンマンを描いたら、怒ってクレヨンを投げてしまったので、気をつけねばならないのだ。

アンパンマンに登場するキャラクターを描いていれば姪はご機嫌になってくれる。

ところが、メロンパンナちゃんは難しくていまだにうまく描けない。一応、描いて姪に見てもらっても、なんだかわからないらしく、困っている。

何が難しいかというと、メロンパンナちゃんの顔の模様だ。メロンパンナちゃんはメロンパンだから、顔にひし形の模様が描かれている。一般的なメロンパンって、表面に格子状の溝があるでしょ。縦横に走っている溝というか模様というか。あれが、メロンパンナちゃんの顔にも再現されていて、目の周りがうっすらとひし形に塗られているのだ。

それを同じ太さのペンで表現するのが、私にはできないのだ。

明日も練習する。

ああ、あと、ドキンちゃんも難しいよね。





ずか、ずか、図鑑

投稿日:2009年01月26日(月)

植物図鑑が欲しい。それも学研のポケット図鑑。中身を確かめてから買いたいのに近所の本屋には売っていない。


そんなことを前回書いたが、それは土曜の夜のことだ。そして日曜の朝、さっそく「近所ではない」本屋に出掛けた。ちょっと遠い。長旅になるだろう。


遠くへのお出かけは一人では怖い。だから、ママと一緒に行く。馬券売り場に出掛けるパパを見送ってから、ママをクルマに乗せて出発する。ねえママ、ボク植物図鑑が欲しいの、いい子にするから買ってちょうだい、とおねだりしながらクルマを運転する。大井松田から東名高速に乗り名古屋方面へ向かう。途中、御殿場を過ぎたあたりで、そもそもこんな嘘を書いて何になるのだろうと思いはじめる。それでも、まあいいや、と走り続けるものの、だんだんあほらしくなり、浜松で降りて一般道に入り、浜名湖でうなぎパイを買って帰った。嘘だ。ああ、嘘なのに、うなぎパイが食いたくなってきた。


振り出しに戻る。


日曜の朝、さっそくちょっと遠くの本屋へ出掛けることにする。遠いといってもクルマで30分かからないぐらいの場所なので、地元であることにはかわりない。本屋のそばのホームセンターで白髪染めを買いたいというので、母も同行する。普通のドラッグストアやスーパーではだいたい598円とか698円で売られているあるメーカーの白髪染めが、そのホームセンターでは常に498円なのだ。


途中、妹のアパートによって姪におはようの挨拶をすると「いぐ、いぐう、ばーちゃんち、いぐぅ」と私に抱きついてきて離れない。だから、姪も一緒に本屋へ連れて行くことにした。チャイルドシートを妹のクルマから外し、私のクルマに装着し、さあ本屋さんへ向けて出発だ。


ついた。


妹のアパートからその本屋まではすぐだからな。


クルマの時計を見ると朝の9時を過ぎたばかりだ。本屋の入り口を見ると、営業時間朝10時からと書かれている。もう一度クルマの時計を見ると、朝の9時を過ぎたばかりだ。


クルマのなかで姪とアイアイを唄って時間をつぶす。


あーいあい あーいあい あーいあい あーいあい
あああああ うううああうう ああ


アイアイに飽きたら、ぞうさんを唄う。


ぞ~~~~おしゃん ぞ~~~おしゃん 
あああううあ あうあああう


だめだ、とても時間がつぶせる気がしねぇえ。


というわけで、先にホームセンターへ行くことにする。ホームセンターなら、わりと朝早くから営業しているはずだ。そんな気がする。


だーれもいない本屋の駐車場からホームセンターの駐車場へ移動する。看板の営業時間を見ると、開店時間は9時30分と書いてある。ああ、よかった。あと数分待っていればオープンする。それまで、姪といっしょにアイアイを唄って時間をつぶすことにする。


あーいあい 以下略


ところで、アイアイって、なに。歌詞によると、みなみのしまの、しっぽのながい、おさるさんだよー、ということだが、実在するのか? 家に帰ったら調べよう。覚えてないと思うがな。それにしても、私が保育園のころもアイアイを唄っていたのだから、ずいぶん昔の曲なんだなあ。なぜ、アイアイなのだろう。アイアイには何か特別な意味があるのだろうか。たとえば、どこかの国が友好の証として日本にアイアイを贈ってきたというストーリーがあるのだろうか。それもいっしょに調べよう。たぶん、覚えちゃいないと思うがな。


というようなことを考えていたら、ホームセンターが回転した。回ってどうするこの誤変換め。開店した。自動ドアのロックが解除され、ようやくなかに入れるようになった。


一歩店内に入ると、姪がものすごい勢いで私の抱っこをふりほどき、きゃ~~~~っと歓声をあげながら店内を走り出す。どんだけうれしいんだろうと思う。ホームセンターに何を期待しているのだろう。というようなことをうっかり書くと(書いちゃったけど)、子どもの奇声に過剰反応される読者の方々からお叱りをうけそうだ。怖いから誤っておこう。間違ってどうする。謝っておこう。ごめんねごめんねー。


ところが、可哀想なことに、このホームセンターにはおもちゃコーナーがないんだよね。おもちゃといっても、たいていのホームセンターで文房具コーナーに並んで置かれている、しゃぼんだまとか風船とかふきもどしとか、そういう駄菓子屋レベルのものを指しているんだけど、それすらないんだ。姪には一応いってあるよ。ごめんねここにはおもちゃないんだよー、って。でも、通じてないようで、ずっと店内を走り回っているなあ。あれはおもちゃコーナーを探しているのですよ。


姪はなんとか文房具コーナーにたどり着いて、子ども用のネンドやカラフルな絵の具を見て、あれえ、これおもちゃかなあちがうかなあ、という表情をしている。で、姪はたいへん賢い子なので(えっへん)、これはおもちゃじゃない、とすぐに判断してまた走り出す。私はデブで動きが鈍いから、その後ろをはぁはぁいいながら追いかける。幼女を後ろからはぁはぁいいながら追いかけている、980円のボロジャンパーを着て、ぼさぼさ頭の不審人物。それが、おじちゃんだ。おじちゃんはつねに通報される恐怖と戦っているのだよ。


姪はスポーツコーナーでサッカーボールを抱えている。私の姿を見つけると、かうぅ、かうぅ、と切ない声を出してすり寄ってくる。サッカーボールが欲しいらしい。どれ、おじちゃんにみせてごらん、というと、やあだ、と拒否される。渡したらまた棚に戻されてしまうことを学習したということだ。さすが、私の姪は賢い。姪がこの賢さということは、仮に私に子どもができた場合、想像がつかない。カミの子が生まれるかもしれない。新しい宗教が誕生する可能性もあるな。


と思ったら、サッカーボールは床に放り投げて、別のボールを抱っこしている。かうぅ、かうぅ、と切ない声を出してすり寄ってくる。バスケットボールが欲しいらしい。どれ、おじちゃんに(中略)新しい宗教が誕生する可能性もあるな。


最終的に、姪には398円で用途不明のカラーボールで手を打ってもらった。ボールが家にどんどん増えていく。


レジに並んで498円の母の白髪染めと398円の姪のカラーボールを購入。さて、買うものも買ったからお家に帰って姪と遊ぼう。


買ってねえよ。肝心の植物図鑑を買ってねえよ。


というわけで、時計を見ると10時を過ぎていたので本来の目的である本屋へ行く。本屋に入ると、姪がきゃ~~~~と歓声をあげながら走り回る。怖いよね。本好きの人ってさ、こういうことを冗談でも書くと、本気で怒りそうでさあ。だから断り書きをしておこう。この物語はフィクションです。都合の悪い部分は、実在の私および姪とは関係ありません。


とかなんとかいっているうちに、学研のポケット図鑑『植物』を無事発見。なかを確認してみると、植物のことがたくさん書いてあった。これでいい。


買って帰った。おしまい。






 




ず、ず、図鑑

投稿日:2009年01月25日(日)

風呂上がりにペットボトルのウーロン茶を飲んでいたら、植物図鑑が欲しくなった。ウーロン茶と植物図鑑の関連性はわからない。

我が家には植物図鑑が一冊もないのだ。これは、困る。

先日の雑記で『サボテン&チランジア』という本を紹介したが、あのあと部屋のなかを調べたら、トータルで五冊のサボテン関連の本が出てきた。どれも、サボテンと多肉植物専門の本だ。普通の植物の本は一冊もなかった。このままではサボテン小説しか書けないではないか!

だから、植物図鑑が欲しい。

じつは、前々から欲しいなと思っている図鑑が一冊あって、それは学研のポケット図鑑の『植物』なんだけど、これが近所の本屋には売っていないのだ。値段も千円ちょっととお手頃なので、買うならこの一冊だろとは決めているが、とりあえず中身を見てからレジに持っていきたいじゃないか。万が一、期待する内容でなかったらがっかりしてしまうよね。

なぜ図鑑かというと、植物の名前を知りたいからだ。それと、咲く時期や地域かな。

もちろん、それらは小説のなかで使う語彙の補充としてなんだけど、別にマイナーな花や、マニアックな学名を登場させたいわけではない。ごく基本的な、誰もが聞けば「ああ、それ知っているよ」という花や草木の名前を確実なものにしたいだけだ。パンジーとかヒヤシンスとかシクラメンとかそういうレベルの話だったりする。ようは、名前と実物のイメージを一致させたいということでもある。なんせ、うちは長閑な農村地帯なので、たいていの植物は身近にあるのですよ。だから、思い浮かべることはできても、それの名前が出てこないから、文章に書き表すことができない。これは植物に限ったことじゃないけどね。

みんな大人になるにつれ忘れていっちゃうけど、小中学生ぐらいのときは、意外に身の回りの植物の名前を知っているものですよ。だから、なにも特別なことがしたいんじゃない。ただ、失われた記憶を取り戻したいだけなんだ(かっこつけやがって)。

それと、だ。ここからが大事。

姪だ。姪なんですよ。私には大切な姪がいる。姪はだんだん言葉が話せるようになってきて、ものの名前も覚えはじめている。今はアンパンマン、ワンワン(そういうキャラ)、うーたん(そういうキャラ)、ボール(丸いもの全般)ぐらいだが、これからは早いぞ。そのうち、「おいちゃん、これなあに」と聞いてくるのは確実だ。さらに、私の姪は外で遊ぶのが大好きだ。それだけ植物と接する機会は多い。つまりは、そういうことだ。

最終目標は、子どものどんな質問にも、たとえば「空はなぜ青いの」「ポストはなぜ赤いの」「赤ちゃんはどこからやってくるの」といったものに、答えられるようにすることだ!

勉強は嫌いだけど、それが大事な姪のためならまったく苦にならないはずだ。


だけどね、ここでちょっと待ったをかけないとならない。


質問をされてそれにすぐに答えてあげる。それって、その子のためになるかな? 先に言っておくけど、これはネットでよく言われる「自分で調べろ」という簡単な話じゃない。

あなたが何かに疑問をもったとき、インターネットのヤホー(ナイツっぽく)の検索窓に単語を打ち込む。答えが見つかる。ああ、そうなのかと満足する。それで、何か身につきましたか。

今に至るまで、毎日がそういう検索の連続だったけど、私は今の自分が昔に比べてどんどん馬鹿になっていく気がするが、錯覚かなあ。

頭の善し悪しってのは、何かを知っているか知らないかという単純な話じゃないと思うんだ。

じゃあ何なんだよ、といわれたら、わかったらこんなとこにいねーよ、と答えるしかないんだけどね。



まあ、深く考えてもダメだな。

こんなことを考えていても、現実に姪から「おいちゃんこれなあに」と聞かれて「それはおじちゃんが知りたいぐらいです」と答えられるわけないべな。ねえ。

また作文の話

投稿日:2009年01月23日(金)

今回は覚え書き程度に、短く書き残す。

作文の書き方のなかに、小説の書き方のヒントもあるのではないかと思って本を読んだりネットを検索したりしていた。

結論からいうと、作文の書き方を勉強するのもかなり役立つ。

ただし、ただしだ。

あくまでも、小学校時代にまともな作文教育を受けていない小説家志望の人には有効ではないかということ。自分がそうなんだけど。

とくに、作文の書き方といえば「思った通りに書きましょう」とか「自分の気持ちを素直に書きましょう」というような記憶しかない人は、今すぐ作文の書き方を勉強したほうがいい。

どうやら、ある年代の人々は、ものすごくテキトーというかイイカゲンな教えられ方をしているのだ。ちょっと気づくのが遅すぎた。


ここ最近(といってもかなり幅がありそうだけど)の作文教育は、とにかく描写、描写、描写、描写が大事だと教えているらしい。描写、描写、小説家志望が最も気にしているのも描写でしょう。同じジャン。


ということは、自分が小学生時代に受けたテキトーでイイカゲンな作文教育による先入観があるから、いざ小説を書こうとしても躊躇してしまうということだ。何を書いたらいいかわかんないんだもん。というのも、自分の先入観としては、作文とは自分の気持ちや感想を書くことだと思っているからだ。物事を自分で「解釈」する作業ともいえる。そうなると、小説も、あるテーマや出来事を自分で「解釈」して書くものだと考えちゃうわけだから、そんなもん書けるわけないよな。

で、この「作文は解釈」という思い込みが大間違いだったのだ。

本やネットで調べた断片の情報を統合してみると、最近の作文教育では、自分の気持ちや感想よりも、とにかく描写をしなさい、ということなのだ。「楽しかったです」とか「悲しかったです」などと直接書くのではなく、そう感じた場面を丁寧に描写するのが、今風の作文の書き方の基本らしい。

これ、本気で頭をガツンとやられた気分でございます。マジで。

そりゃそうだよなあ。自分の気持ちだけで、原稿用紙一枚とか二枚を埋めるなんて、無茶だもんなあ。作文の宿題がでるたびに泣きながら書いた記憶があるよ。むうう。


うーん、自分の小学生時代に「作文は描写」という教育をちゃんと受けていれば、人生変わったかもしれんね。


とんでもない回り道をして、やっと「小説は描写」という言葉が頭にすっと入ってきた。やっとわかったよ、なんでみんな描写、描写、描写と描写にこだわるのかが。




ところで、みなさんはどんな作文教育を受けてきたんでしょ。

twitter

facebook

レコメンド

人気記事

ブログランキング

にほんブログ村 小説ブログ 小説家志望へ

★ブログランキングに参加しています。

カレンダー

10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

プロフィール

HN:
小瀬朧
性別:
男性
自己紹介:
創作怪談、twitterの短文小説#twnovel、短歌など。
メールでのご連絡は benzine100@gmail.こむ スパム対策なのでこむをcomにかえてください。 


バーコード

ブログ内検索

あわせて

あわせて読みたいブログパーツ

アクセス解析

忍者アナライズ

お知らせ