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ゆっくりと小説を書こう

小説の書き方やお役立ち本などを紹介するBlogです。「小瀬朧」名義で第9回ビーケーワン怪談大賞をいただきました。twitterでtwnovelや短歌などを発表中。

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投稿日:2024年11月22日(金)

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絵が描けたらどんなにすばらしいだろう

投稿日:2009年01月30日(金)

考えが、浅はかだよね、自分って。あと、想像力が著しく欠如していたのさ。

人生において、絵を描くことなんかもうありえないだろうと思っていたし、必然性もないと考えていた。だから、絵画方面の創作に関してはまったく無関心になっていた。当然、絵が描けないから小説を書こう、というお決まりのパターンを踏襲しているのも事実だ。みんな、考えることは同じだよ。

ところが、だ。

最近、姪と一緒にお絵かきをするのが一つの楽しみになっている。家にはもうスケッチブックやクレヨンや色鉛筆があちこちに散乱している。

スケッチブックは、姪はまだ2歳前なので使い方が豪快で、クレヨンをぐりぐりっと画面いっぱいに引き延ばすとすぐに新しいページをめくる。だから、すぐにいっぱいになってしまう。

クレヨンは、スーパーや百円ショップに行くたびに欲しがるので、ついつい買ってしまう。だって、クレヨンを抱きかかえてさ、かうぅ、かうぅ、って切ない声をだすんだぜ。買わないわけにはいかないのよ。ちなみに、100円ショップで買うクレヨンは妙に堅くて描き心地がサイアクだ。というか、紙に色がつかないこともある。なんだそれ。

そんなわけだから、姪のためにいろいろ絵を描いてあげたくなるのが、普通でしょ。

ぞうさんやくまさんやわんわんやにゃーにゃーやきりんさんやうさぎさんやレッドテールキャットフィッシュ(ホームセンターに売っていて姪のお気に入り)を描いてあげたいじゃない。たとえば、ぞうさんらしきものを私が描くと、ぞうさん、ぞうさん、と凄くうれしそうにしてくれる。もう、たまんねえよ。

ぞうさんはまだいい。長い鼻のような物体を描けば判別してくれる。

しかし、これがイヌとかネコとか、さらにキリンとかカバとかになると、もうギブアップ。描いたことがないから、まったく絵にならない。

いや、努力だってしてるよ。絵本の『わんちゃんねこちゃん 』を見ながらなんとか真似をしてみたりする。でも、さすがにいい年こいたおっさんになると、頭のそういう領域が凝り固まっているせいか、真似をして描くことさえできないのですよ。脳の老化は嫌というほど実感できるから怖い。自覚症状が多すぎて困る。

いつか姪のためにお話を作ってあげたいな、とは思っているが、それといっしょに絵だって描いてあげたい。

自分のなかにわずかに残っている、創作の原動力のような衝動は、ただそれだけだ。同時に、それがあるから、首にロープを巻いても、思いとどまることができているのだ。

とかいいつつ、子どもだまし程度の絵なら、努力でなんとかなると自分に期待している。 すべては姪のためだ。


なんてことをやっているから、小説のほうがおろそかになるんだよ。えへへ。
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マヨネーズたっぷりのたい焼き

投稿日:2009年01月30日(金)

ホームセンターの敷地内に、たい焼きやソフトクリームを売る小さなお店があるんだけど、そこの新メニューが「ハムマヨたい焼き」だったりする。

先日、ホームセンターへ特売品になっている598円の長座布団を買いに行った。その帰り、母親が、何か食べたいねぇ、というから、たい焼きを買うことにしたんだ。母親はそろそろぼけはじめているので、やたらと何かを食べたがる。物忘れもひどい。それでも、ヒキコモリニートである私を養うため、たった700円の時給でパートをしているのだ。というようなことを書くと、その真偽はともかく、やはり真っ赤になって怒る読者がいそうで怖いよね。

それはともかく、たい焼きを買うことにしたんだ。その店の名前は「一口茶屋」という。昔は、地元だけにしかないローカルなお店だと思っていた。しかし、あるとき東京の上野で焼き肉をごちそうしてもらった帰り、街中でこの「一口茶屋」を見つけて驚いたのだ。チェーン店だったのね。

で、先日、その一口茶屋が「たい焼き五個で500円」というサービスをやっていた。一口茶屋のたい焼は一個120円から140円ぐらいはしたので、これはとてもお得だと思った。三個買うぐらいなら五個買ってしまったほうがいいだろう。母親が一つ、私が一つ、父親が一つ食べて、残りの二つは次の日のお昼ご飯にすればいい。そう考えて、注文した。ちょうどメニューが五種類あるというので、それを全部買ってみた。

そうしたら、そのなかに「ハムマヨたい焼き」なる奇妙な新製品が入っていたわけだ。

語感からして、たい焼きのなかにハムとマヨネーズが入っているだろうことは予想できる。まあ、こんなのは考えるより体験したほうが早い。

さっそく頭からかじりついてみる。私はたい焼きは頭から食べる派なのだ。歯が外側の皮を突き破ると、張りのあるハムの食感があらわれる。同時に、大量のマヨネーズが溢れ出し、口のなかいっぱいに酸味が広がる。たい焼きの皮のほのかな甘み、ハムの旨み、マヨネーズの酸味が混じり合う。

まずくは、ない。

囓り口を見てみると、二枚のハムの間にマヨネーズが充填されているのがわかる。たしかに、これはハムマヨだよな。

しかし、冷静に考えてみると、たい焼きのなかにたっぷりとマヨネーズが入っているのである。いいですか、普通のあんこのかわりにマヨネーズが入っているのですよ。もうたっぷりと。マヨネーズだけだと手抜きに思われるから、じゃあハムも入れておくか、という発想ではないかと勘ぐってしまう。これは、間違いなく、マヨラー向けのたい焼きなのだ。ところで、「マヨラー」という言葉は2009年の今でも通用するのだろうか。うーん。

一口茶屋のたい焼きというと、わたしは「小倉&クリームチーズ」が大好物だ。その名の通り、たい焼きのなかに小倉とクリームチーズが入っているもので、甘みと酸味のバランスが絶妙で大好きなのだ。だけど、この「ハムマヨ」はどうなんだろうなあ。一個食べるだけでかなりの量のマヨネーズを摂取することになるんだぜ。

でも、ハムマヨって言葉はなんか可愛くていいよね。


今度は横だぜ

投稿日:2009年01月29日(木)

前回の雑記にダイソーで買った文庫本サイズのミニノートがタテ罫でずっこけたという話を書いた。タテ罫ってのは、ノートの線が縦に引かれている、縦書きのノートのことだよ。

縦書きでもいいからとりあえず使おうって思ったんだけど、やっぱいやなので、またダイソーに行ってきた。

文房具コーナーに行くと、赤いノートと青いノートが並んで売っている。前回は、赤がいいや、という色の好みだけで選んでしまった。そうしたら、そのノートは縦書きだった。ならば、青のノートは……おお、横書きだ。

なるほど、赤と青で罫線の方向が違っていたのね。って、わかりづらいなあ。

と思ったら、表紙に「THE NOTEBOOK HAVING HORIZONTAL RULED LINE」と書かれてるではないか。念のため、赤い方のノートも見ていると表紙に「vertical ruled」の文字が確認できる。なぜか、前者は大文字、後者は小文字だったりする。もちろん、ノートの裏表紙にはそれぞれ「ヨコ罫」「タテ罫」としっかり日本語で書かれているから、あまり大きな声で文句はいえない。いってるけどね。

まあ、アレだね。ノートは必ずしも横書きとは限らないということだよ。


それはともかく、重要なのはサイズだ。とにかく文庫本サイズのノートが欲しかった。文庫本と同じ大きさなら収納も楽だよね。それに、文庫本サイズってのは、普段の読書でなじみ深い大きさだから、使っていて違和感がない。ほら、開くときに手で持つでしょ、そのときの持ち具合が文庫本と同じだからいい。さらに、視線の移動範囲も文庫本を読むときと同じ。って、なんかすげぇ微妙なポイントばかりだな。

ただ、このあたりのこだわりは、現役の学生や卒業して間もない方にとってはまったく違う話になるだろうね。当然、普通サイズの大学ノートのほうがなじみ深いと思う。

もう一つ、先月末にデスクトップパソコンが壊れて以来、ノートパソコンを使っているのも理由に入る。ミニテーブルの上にノートパソコンを置いているから、ノートを広げるスペースがまったくないのだ。A5サイズのノートでさえ、厳しい。ノートパソコン本体のパッドではなく、マウスを接続して使っているから、机の上にゆとりはもうないのだ。

文庫本サイズも本当はきついけど、これぐらいの大きさなら手の上で書けるから大丈夫。


一応、そのノートの型番というか商品番号は「D-39 ノート No.622」です。3冊入って105円だからけっこう安いよね。

サバンナのウォータークーラー

投稿日:2009年01月29日(木)

1月28日の爆笑レッドカーペットで、サバンナのネタに「ウォータークーラー」って言葉が出てきた。

その「ウォータークーラー」って、なんずらか。わがんね。

ネタの内容から、水を飲むためのものらしいのはわかったし、たぶんアレだろうなあという実物のイメージもわいた。アレでしょ、病院とかホールとかの廊下に置いてあって、縦長の箱形で、足下のペダルを踏むと上部から水がぴゅーっと出てくる、っていうアレだよね。


アレって「ウォータークーラー」って名前だったのね。初めて知った。ウォータークーラーかあ。ウォータークーラー、ウォータークーラー、覚えた。

昔、病院で、小児科へ続く廊下の途中に置いてあって、お母さんに抱っこされて飲んだ記憶がある。まっずい水が出てきたなあという思い出があるけどね。しかも、トイレの横に置いてあるから、なんだか余計にまずく感じたよ。そのせいか、今に至るまで、ウォータークーラー(さっそくこの言葉使ったぞ)を見かけてもあまり飲みたいとは思わなかった。

そういや、中学生のとき、校内合唱コンクールで地元のホールに行ったら、サバンナのネタみたいに、男子がウォータークーラーに群がって取り合いしていたなあ。


水なんか水道からいくらでも出るジャン。


と、うっかり書いてしまうのが田舎者の証拠だな。いや、いまだに本当かどうか疑っているんだけど、東京とかの都会(都会って言葉、使うのが恥ずかしいよね)じゃ水道水をそのまま飲まないんだって? というか、飲めない?

ちなみに、地元の水道水は「○○のおいしい水」として売り出されても不思議ではない、それなりの水源から来ている。だから、普通に飲める。それもあって、スーパーやコンビニでペットボトルに入った「水」が売られているのを見て、田舎のおばちゃん達が、誰がこんなもの買うんだべな、とささやき合っていたのは事実だ。

おまえ東京に行ったことがないのかよ、と馬鹿にされそうだけど、そもそも水を飲もうと思わないから、東京で喉が渇いたら自動販売機や喫茶店のお世話になっていた。

だからだろうなあ。「ウォータークーラー」って言葉を知らなかったのは。うーん。

てことは、たとえば小説のなかで、水道水を直接飲むシーンなんか書いたら、こいつアホかと思われてしまうのだろうか。うーん。

そういえば、友人が東京に住んでいたころ、ペットボトルの水を使ってご飯を炊いていた。不思議なことをするなあ、と思った。でも、それが常識だったのか。

まあ、アレだ。どこか田舎に行って地元の人と話をする機会があったら、「ここは水がとてもおいしいですね」とでも褒めておけばいいよ。地元住民はご機嫌になる。その場で大根の一本でもくれるかもしれないよ。











ポンポンとボンボン

投稿日:2009年01月29日(木)

服や帽子の飾りで、ふさふさした丸い玉のようなもの、それって「ボンボン」っていうよね。

最近の流行なのか、テレビを見ていると耳あての先にその「ボンボン」が垂れ下がったニットキャップを身につけた芸能人が結構多いのに気づく。個人的に、あれが可愛くて凄く好きなんだ。

先日、ベビー用品の西松屋に行ったら、幼児用のボンボン耳あて付きニットキャップが売っていて、これを姪に被ってもらったらどんなに可愛いだろうと思った。しかし、姪はお帽子が好きではないので、ぜんぜん被ってくれなかった。

それでも、家に帰ってから、未練がましくネットでボンボン付きのニットキャップをいろいろ調べていたら、どうにもなんだか様子がおかしいことに気づいた。

あまりヒットしないのだ。

もしかしたら「ボンボン」と呼んでいるあの玉のような飾りの名前を間違っているのかと思って、家にあるファッション用語の辞典を調べてみたら、「ボンボン」なんて言葉はどこにも載っていない。

あれやべぇ、「ボンボン」ってのはもしかして方言か、と思って、今度は広辞苑を引いてみると、こう出ている。


ボンボン 【bonbon オランダ】
キャンディーの一。外側を頭製品で包んだ中にウィスキー・リキュールなどを入れた一口大のもの。さらにチョコレートでおおったものもある。「ウィスキー・―」


まったくファッション関係ないじゃん。あれえ?

だけど、ネットで「ボンボン」を検索すると、それなりに期待したものがヒットする。おかしいな。あの玉のような飾りには「ボンボン」以外の呼び名があるのだろうか。

これが、本当に、結構悩んだ。

そして、ふと思って広辞苑を引き直してみた。


ポンポン【pompon フランス】
(1)帽子や洋服などにつけて飾りとする、毛糸や羽毛で作った丸い玉。
(2)応援用にチア・ガールが打ち振る、毛のふさふさした飾り物。


あー、なるほどね。

ようするに、自分はこう間違えていたわけだ。


×ボンボン(b)

○ポンポン(p)


うーん。でも、たしかにうちの周辺ではbの子音の「ボンボン」って呼んでいたけどなあ。小学校のときのマーチングバンドでも「ボンボン」って呼んでいたよ。ちなみに「ボンボン」は、太鼓やトランペットといった目立つ役になれなかった、その他大勢の子がやる役だったから、みじめなかんじがしたよ。なんてことをうっかり書くと、小学校時代にそういう思い出があるあなたが、真っ赤になって怒るかもしれないから、文章を書くのって怖いよね。当然、最初はみんな太鼓やトランペットをやりたい。でも、くじ引きであぶれちゃってしぶしぶボンボンになってしまう。可哀想なのは子どもだけじゃなくて、親もだよね。うちの息子はトランペットなんですよ、と自慢する親の横で、ボンボンの子の親がつまらなそうに話を聞いている。そして、そんなトランペットかボンボンかで子どもの価値は決まらない、とちょっとした悟りにも近い負け惜しみを胸のうちで呟いたりするのだ。でも、もっと可哀想なのは、せっかくトランペットになれても、音楽の資質がないために、いつまでたっても指使いが覚えられなかったり、音を出すことができなかったりで、脱落してしまう子だ。その他大勢のボンボン行き、さようなら。

人生、だよね。

ところが、もっと可哀想な子は他にもいる。あ、この話、まだ続くぜ。運良く、トランペットになれた子は、その後が悲惨だったりする。小学校のマーチングバンドごときの、くじ運だけの、たまたま音がだせて指使いも覚えられたぐらいの、その程度のことでちょっと自分を勘違いしてしまう子がそうだ。その子は中学生になって、小学校時代にトランペットをやったという華々しい記憶だけを頼りに、吹奏楽部に入ってしまう。くじ運の良さと音楽センスの間に何ら関連性はないのに、だ。吹奏楽部の先輩も顧問も、そんな本質を知るわけがないから、経験者大歓迎とばかりにその子をちやほやする。

ところがだ。

もともとその子には音楽の資質がなかった場合はどうなるだろう。いくら練習しても、まったく巧くならない。小学校のマーチングバンドではとにかく大きな音をだせば褒められたのに、吹奏楽部ではそれが通用しない。楽譜の読み方だって知らないし(マーチングバンドでは楽譜じゃなくて指番号を書いた紙だった)、リズム感もなければ、微妙な音の狂いを聞き分ける耳もない。本人はがんばっているつもりなのに、テンポが遅れているとかピッチがずれているとかと怒られっぱなし。さらに悲惨なことに、中学生は「努力」という言葉を一番信奉している時期でもあるから、とにかくがんばればなんとかなるんじゃないかと、本気で信じている。不幸なのは、吹奏楽部には「ボンボン」という受け入れ先が存在しないことだ。辞めない限りは、ずっとトランペットだ。そして、顧問からは見放され、同級生からは同情の目で見られ、下級生からはダメな先輩と嘲笑されながら、三年間を過ごすのだ。同じとき、小学校時代にボンボンの屈辱を味わったその他大勢の子たちは、音楽なんてものに手を出そうとはまったく考えず、明るく楽しい中学校生活を送っていたりする。

誰のことかは、知らんけどな。


それはともかく、今も「ボンボン(bonbon)」と連呼してしまったけど、これからはちゃんと「ポンポン(pompon)」としようかなっと。


ただ、それだけの話。


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小瀬朧
性別:
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自己紹介:
創作怪談、twitterの短文小説#twnovel、短歌など。
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