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ゆっくりと小説を書こう

小説の書き方やお役立ち本などを紹介するBlogです。「小瀬朧」名義で第9回ビーケーワン怪談大賞をいただきました。twitterでtwnovelや短歌などを発表中。

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投稿日:2024年11月24日(日)

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中学生用の参考書をまた買った

投稿日:2008年08月15日(金)

遠回りだろうけどおそらくは確実ではないかと考え、中学生用の国語参考書をまた購入してみた。また、というのは前回のBlogにも書いたけど、以前、中学生用の国語の文法の参考書を一冊仕上げているからだ。しかし、文法(たとえば、「かろかっくいいけれ」とか)をいくら勉強したところで、自分が求める基本の国語力はつかないのでないかと思った。

そこで今回購入してみたのは「未来を切り開く学力シリーズ」だ。そのシリーズに『小河式プリント 中学国語基礎編』というものがある。ネットで検索してみるとかなり評判がいい。この本に書かれたやり方によって「描写力」「自己表現力」「論理構成把握力」の3つの能力がつくらしい。とくに「描写力」なんていわれると、これは小説を書くための練習にもなるのではないかと思ってしまう。だから、購入する段階でかなり期待していた。

内容はというと、一般的な参考書のイメージとはまったく違う。この『小河式プリント 中学国語基礎編』では、問題を解いていくのではなく、「転写法」と名づけられた方法で毎日学習していく。

「転写法」とは、用意された短文の音読と書き写しからなる方法だ。ページを開くと、右ページに短文が3つ書かれている。左ページには同じ短文が今度はひらがなで書かれている。まずはその短文を声に出して読む。次に右ページを隠し、左ページのひらがなで書かれた短文を見ながらノートに再現していく。漢字がわからなかったら右ページを見てみる。短文は3回書き写し、同じページを2日続けて学習する。これを2ヶ月間続けるのだ。

やってみるぜ。


ちなみに使われている短文は、当然だけど、中学生レベルなので難しくはない。ここで、簡単、と書かないところが俺の用心深さなんだぜ。



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川端康成『掌の小説』

投稿日:2008年08月13日(水)

<読書>カテゴリーじゃないよ。小説を書くために役立ちそうな本として最近また読み始めている。個人的な話になるけど、この『掌の小説』は非常に思い出深い本でもある。今から15年ぐらい前に代々木にある名前も知らない小さな本屋で買ったのだ。思い出深い、と書いておきながら言葉にしてしまうとただそれだけのエピソードであることに俺自身が驚いているし、あなたはそれ以上に俺の年齢について驚いている。まあ、深く考えないでね。

小説を書く練習としてまず短い作品から書いてみる、という方法を信奉するなら、この『掌の小説』を模倣するといいかもしれない。模倣と言い切ってしまうのは、とにかく書けという体育会系アドバイスに対するあてつけだ。個性とかオリジナリティは模倣の末に生まれるのだという考えを俺は支持したい。何もない状態を何でもできる可能性に充ちていると捉えるのは錯覚だ。少なくとも俺はまったくゼロの状態から何か文章を書くということはできない。意識しているか無意識なのかはともかく、こうやって文章を書くという行為は、ある刺激を受けたことに対する正常な反応だ。とにかく書けというアドバイスに好意的な条件を付け加えるなら、模倣でもいいから、だろう。模倣でもいいからとにかく書け、それが小説を書くための方法なのだ……あれ? もちろん、そんな模倣したものは発表しちゃダメさ。あくまでも練習の話、それはわかってるよ。

また個人的な話になるけど、好きな作品はこれら。
「弱き器」
「士族」
「故郷」
「指環」
なぜか何回も読んでしまう。



 

『学研ニューコース 中学国文法 1~3年』

投稿日:2008年08月12日(火)

中学生用の国語の参考書。これを2年ぐらい前に買って勉強していた。けっこうがんばったぜ。その成果がどれだけ現れているかよくわからないけどね。ちなみに、俺は高卒のおっさんだ。

これはばくぜんと小説を書いてみたいなあと思っていた頃(2006年ぐらいかな)に、自分自身の日本語力のなさを痛感して、冗談ともかくまずは中学生レベルからやり直そうぜと買った参考書だ。すげぇ難しい、と本気でかんじたぐらいだから、当時の俺の日本語レベルってかなりやばかったのだ。今でもやばいぜ、って書くとただの嫌味になるけどな。それと、日本語力がやばいのは俺だけじゃないはずだ! (どうでもいいけど、<日本語力>って言葉、バカみたいだよね)

とはいいつつ、今の時点で冷静に考えてみると、文法なんか勉強したって役に立たないよなあと思う。役に立っているのかな。てにをはは今でもおかしいし、文はねじれまくっているし、うーん。これはあれか、省エネルギーなあの一言で済ませられるかもしれない。

無駄な努力でした、と。

あ、そうでもないや。ら抜き言葉についてはすごく勉強になった。「ら」がなくてもいい動詞は可能動詞っていって、可能動詞になれるのは五段活用の動詞だけで、五段活用の動詞かどうかを見分けるには「ない」をつけてみればいいとか、これってすごいと思う。もちろん、中学時代に習っているはずなんだけどな! 勉強って大事だね。





書いては消し書いては消し

投稿日:2008年08月11日(月)

Blogのことなんだけどね。

うちのこのBlog、あまり更新していないようだけど、公開しないでそのまま消してしまった記事のほうが多い。昨日もたっぷり一時間ぐらいかけて長文を書いたんだけど、公開できなかった。なんでかっていうと、書いた文章があまりにも暗くて陰惨で不快だったから。

あくまでも<日記>という立場を選んでいるBlogだから、個人的なことを書くのはまあいいと思う(読者がどう思うかとは別次元の話)。だけど、自分の書いた恨み辛み妬みの文章が万が一でも他の人によからぬ影響を与えちゃまずいんじゃないかと思う。このBlogを読んで最終的な自己否定をする決心がつきました、なんて感謝の言葉を彼岸から贈ってこられても困るよね。文章の、他者に与える影響を予測できないとわかっているのなら、やっぱり隠すべきことは隠さないとダメだと思う。ようするに、現実世界の俺の境遇を、羞恥心の欠如したリアリティをもって皆様にご報告する必要はないってことだ。

『消費社会の神話と構造』購入

投稿日:2008年08月09日(土)

ネット古書店の通販で購入。ジャン・ボードリヤールの本。今から読む。

以前から漠然と考えていた、というかうすうす誰もが気づいている現代社会における<消費>の意味について、自分のなかで思考に根拠と方向性を持たせたくていろいろと本を探していた。経緯は面倒なので書かないけど、ボードリヤールに行き着いた。もちろん、現代思想について何ら基礎知識を持たないから、ある種の楽観的な思惑もあるけれど、たぶん自分が期待している内容の本だとは思う(それこそが無知特有の楽観的な考え方なんだけどな)。

とにかく、今の社会は何から何まで消費することで成り立っている。だが、需要と供給の関係とか、その商品が必要だから買うとか、そういう単純なやり取りではなくなっている。俺たちの生活のなかに消費があるのではなく、消費する社会のなかに俺たちの生活が組み込まれている、らしい。娯楽はともかく健康維持や学力増強、自己実現に社会的信頼にいたるまで、すべてが消費の対象なのだ。

読んだところで現実のなにが変わるわけでもないけど、社会の見方をちょっと変えることができるかもしれない。そしてそれは小説を書く上でも、おそらく役に立つのではないかなあ、と考えてたりするわけ。

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プロフィール

HN:
小瀬朧
性別:
男性
自己紹介:
創作怪談、twitterの短文小説#twnovel、短歌など。
メールでのご連絡は benzine100@gmail.こむ スパム対策なのでこむをcomにかえてください。 


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