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ゆっくりと小説を書こう

小説の書き方やお役立ち本などを紹介するBlogです。「小瀬朧」名義で第9回ビーケーワン怪談大賞をいただきました。twitterでtwnovelや短歌などを発表中。

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投稿日:2024年11月23日(土)

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ラジオ、買った

投稿日:2008年11月18日(火)

105円のラジオをやっと見つけた。

AMしか聞けないけれどうれしい。
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幼児には見えるのだろうか

投稿日:2008年11月16日(日)

一歳半を過ぎた姪。

昔から、赤ちゃんや幼児には大人には見えないものが見えるとよくいわれる。生まれる直前までカミサマの側にいたからだという。

そういう話は抜きにしても、大人と違って脳のフィルターがまだ働いていないから、おそらく本当にありのままの世界を見ているのだろう。

そんなありのままの世界の一つ、私の部屋は姪にとって「おっかい」らしい。おっかい、すなわち怖いということだ。姪の酷く怯える姿を見ると、自分まで薄ら寒くなってくる。けれども、私にはもう何も見えない。しがみついてくる姪に「大丈夫だよ」というしかない。

現代進行形の話だから、オチはまだない。

紙の辞書が欲しい

投稿日:2008年11月15日(土)

国語辞書は、電子辞書に搭載されている広辞苑しかない。

電子辞書は目的の言葉をひくには確かに便利なのだが、「辞書を読む」という行為には弱い。新しい言葉との出会いがほとんどない。

家のどこかに国語辞書がないかと探してみた。小学生用の国語辞書が出てきた。ずいぶんと古い。表紙に「昭和○年度 卒園記念 ○○保育所」と箔押しされている。保育所なのに卒園なのかと思ってしまったが、それにしてもあまりに古いので驚いた。よく残っていたなあ。

とりあえず読んでみることにした。

くしゃみが止まらない。

ものすごく、ほこりっぽい。

悩みの正体は情けない

投稿日:2008年11月15日(土)

小説が書けないとかいっているが、その悩みの正体は実に情けない。

自虐的であるそぶりをみせながら自分の内面を真に晒そうとしないあざとさがある。単純な話なのだ。悩みの正体は、たんに面倒臭いという怠惰な精神だ。

書き方もわかっている。練習方法もわかっている。テクニックやノウハウも知っている。けれども、それをやるのが面倒でたまらない。

暗いところにあるあやふやであいまいなモノを引きずり出してみれば、なんともお粗末な姿だった。

文章が書けなくなる3つの理由

投稿日:2008年11月13日(木)

ここ最近、まったく何も書けなかった。書けないのには理由がある。自分が書けなくなった理由をとりあえず3つにまとめてみた。

1. 他人の目を気にしすぎる
2. 文章作法やノウハウ、テクニックやプロのアドバイスを本気にしすぎる
3. 焦りすぎる

それぞれについて説明してみる。

1. 他人の目を気にしすぎる

バカにされたくない、けなされたくない、つまりは最初から完成度の高いものを書こうとするから書けなくなる。これは小説に限らず、コラムやエッセイ、Blogの日記といったちょっとした文章でもそうだ。自分自身がそうなのだが、そもそも何か文章を書こうという人間は自尊心が高い。自己顕示欲が強いともいえる。あるいは何かを見つけたら黙っていられない、知識の開陳が大好きなタイプもそうだろう。謙遜という自慢行為に浸ったりもする人もいる。昔の人はいいました、「卑下も自慢の中」と。なんにせよ、自分のなかの思わくを文章にして発散したいのだ。

ところが、ある程度までは無闇矢鱈になんでも書けるのだが、ある日突然覚めてしまう。書くという行為は、言葉を文字にするという単純作業ではなく、思考の一部だ。だから、書けば書くほど、悧巧になっていく。文章の善し悪しが分かりはじめる。そして、自分の書いている文章の馬鹿さ加減に気づいてしまうのだ。そうなると、もう書けない。もともと自尊心の高さが文章を書かせていたのだから、自分自身を傷つけるだけの行為を続けることなどできるはずがないのだ。


2. 文章作法やノウハウ、テクニックやプロのアドバイスを本気にしすぎる

「巧い文章の書き方はないが、拙い文章には共通点がある」
多くの文章作法本が常識のように掲げている考え方なのだが、これを本気にすると何も書けなくなる。あれもダメ、これもダメ、それは陳腐でありきたり。言葉の誤用はもってのほか。起承転結や序破急といった文章の構成をしっかりしないとダメ。テーマ、モチーフ、伏線、オチ。

そんなもの気にしていたら、何も書けない。身動きがとれない。

書き方以外にもある。たとえば「本をたくさん読め」がそうだ。世の中には読むべき本が大量にある。しかし、興味もなく、面白くもない本を読むのは苦痛だ。でも読まねばならない。読書が精神的な修業の一環となる。そうなると、もう文章なんか書かなくてもいいやと思うようになってしまう。あほらしくなるのだ。


3. 焦りすぎる

努力は必ず報われる、というのはなかなか拭い去れない幻想の一つだ。現実には、努力が報われない人間のほうがはるかに多い。これは単純に数字の問題だ。自分が報われない側の人間だと気づいたとき、焦る。しかし、焦ったところで何ら自分の能力がアップするわけでもない。結果、挫折する。勝手に焦って、勝手に諦める。かといって、諦めなければ諦めないで、苦痛の日々が延々と続いてしまう。自分はなんのために文章を書いているのだろうか。苦しむためなのか。苦しむためなんだろうなあ。そして、精神がボロボロになっていく。それでも諦めないで続ければ、あるいは報われる日がくるかもしれないが、たいていはロープを首に巻き付けて終わりだ。幸い、自分は巻き付けただけで、絞めずに終わったので、今生きているが。死ぬぐらいだったら文章なんか書かない方がいい、と思うようになるのは、別に不思議じゃないと思う。




とりあえず理由だけ挙げてみたが、自分はとくにこれから何をするつもりもない。書きたかったら、書く。書きたくなかったら、書かない。これでいい。

命は大切だ。


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プロフィール

HN:
小瀬朧
性別:
男性
自己紹介:
創作怪談、twitterの短文小説#twnovel、短歌など。
メールでのご連絡は benzine100@gmail.こむ スパム対策なのでこむをcomにかえてください。 


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