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ゆっくりと小説を書こう

小説の書き方やお役立ち本などを紹介するBlogです。「小瀬朧」名義で第9回ビーケーワン怪談大賞をいただきました。twitterでtwnovelや短歌などを発表中。

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投稿日:2024年11月24日(日)

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読みたい本があっても金がない

投稿日:2008年09月04日(木)

図書館は行かない。なぜなら俺はヒキコモリだから。ヒキコモリの矜持ってやつか。それは矜持とは言わない。漢字変換だと矜持が初めに出てくるけれど、字面としては矜恃のほうがそれっぽいよね。そう、つい最近この矜恃って言葉を覚えたので使いたくてたまらない。矜恃の「恃」って、自ら恃む所頗る厚く、の「恃」なのかな。違うか。よくわからん。ここまでつかみ。

それはともかく、俺は本を読むのが遅い。なぜなら、本を読み始めるとすぐに寝てしまうから一日に数ページ読むのがやっとだからだ。もちろん、眠くなる本のほうが悪い。俺は悪くない。ふん。ちなみに「俺は」「わたしは」と自分を主語にした文章の連発は普通嫌われる、というか相手にされない。わかってますぜ、ダンナ。

さっきAmazonで、とりあえず欲しい本をすべてカートに入れてみたら一万円以上になって困った。一万だぜ、一万。普通に会社勤めしていたときだったら、鼻くそほじりながら購入決定ボタンを押していた金額で、俺は今すごく悩んでいるんだぜ。みじめだ、みじめ。貧乏はみじめだ。いや、この社会は貧乏であることがもっとも重い罪だったりもする。金がない人間は生きることを許されない。直接は殺さないが、命を削られる。実感だ。生きたかったら、まず金を稼げ。俺の稼ぐ金は微々たるものだから、その微々たる金額のさらに微々たる一部はせいぜい阿呆どものケツについたクソを吹く紙代ぐらいにしかなっていないだろうけどな。おい、おまえさっきから思いつきで書いているだろ、もっと考えてから書け。あ、俺か。へいへい、怨念、怨念。

ところでさ、土下座したことある?

俺、あるよ。某超有名企業の応接室でさ。



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ニク券

投稿日:2008年09月03日(水)

なんだこれ。

牛丼のすき家でくれた。キン肉マンのイラスト入りの券で、これを出せば牛丼が60円引きになるんだと。へー。くじにもなっていたけど、ハズレた。頭くる。でも牛丼すきだから、怒ってすき家にもう行かないとは言わない。ささいなことよ。次ハズレたらブチきれる。


思いやり

投稿日:2008年09月03日(水)

昨日かな。深夜番組で人間の睡眠についての特集をやっていた。百識王っていう番組だったような。そのなかで、嫌なことがあっても一晩寝るとすっきりするのは、睡眠中に、ストレスとなる情報を記憶に定着させないからだというようなうんちくがあった(と思う)。違ったかな。都合の悪いことは覚えないよってことか。なるほど確かに、寝る前にあれほど死にたい死にたいと思っても朝起きるとそんな気持ちは消えてしまっているという、アレか。目が覚めて、ごめんなさい。

これって、もしかしたら、本人にとっては重要な情報のつもりでも脳がそれをストレスだと判断した場合はやっぱり記憶に定着しないってことになるのかな。たとえば、勉強か。勉強が嫌で嫌で堪らなくてストレスにかんじるなら、一晩寝たらすっきり、つまりきれいさっぱり忘れてしまうのだろうか。こりゃ困るね。

どうなんだろう。

俺が馬鹿なのは、実は脳の俺自身に対する思いやりだったのか。そうなのか、どうなんだよ、答えろよ、俺。知らん。知れ。





難しいのを読んでると

投稿日:2008年09月03日(水)

めちゃくちゃ難しい本を読んだあとって、他の本がかんたんに見えるようになるね。最近気がついた。もちろん、かんたんに見える、つまり錯覚であって理解力が増しているわけではないと思う。

難しい本といっても、俺は2種類あると考えている。ひとつは出てくる単語がいちいち難しいもの。ただ、これは辞書を引きさえすれば意外とすんなり読めたりすることにも気づいた。ようはただ小難しい言い方をしているだけであって、言葉の意味さえわかればなんでもないというものだ。はったりだね。内容の浅さを言葉の難しさでごまかしているような本がけっこうあると思う。いや、そんなにないか。どっちだ。最近、そういうので腹が立った本があるけど、忘れちゃった。

もうひとつの難しい本っていうのは、思想系の本に多いけど、ひとつひとつの言葉はかんたんなのに書いてあることがさっぱりわからないというもの。ある文章を構成している単語それぞれの意味はわかるのに、全体として意味がわからないことがある、よね。俺だけじゃないと思う。抽象度の高い文章ってやつか。よくわからないけど。まあ、眠れないときに読むとすぐに眠くなるからありがたい。俺の心の奥深い部分は、俺自身というモノをよくわかってらっしゃるようで、理解できない無駄な情報が流れ込んできたときすぐに脳をシャットダウンしてくれる。

いや、なんていうか、気がついたら朝で、電気もつけっぱなしで、なんか本を抱えてまま寝てて、まったく記憶になくて、そゆこと。ほんと、一瞬で寝たらしい。

むしのこえ

投稿日:2008年09月02日(火)

夜、便所でぼおっとしていると虫の鳴く声が聞こえてくる。

これは別に珍しいことでもないし、田舎自慢したいわけでもない。秋が近づいているんだなあという季節感にひたりたいわけでもない。夏の間だって虫は鳴いているからね。

俺が気になったのは、その鳴き声の主の名前がわからないことだ。毎日毎日、悶々と小説のことばかり考えていると、語彙への盲目的な信仰心が手に負えないぐらいに肥大し、日常のあらゆる場面で目に映るものに対してこれはなんていう名前だろうと悩むようになる。名前がわからないとそれを書くことができないじゃないか。もちろん、逆にそのものの名称を書いたところで、それが描写にならないことも知っている。名前がわからなくても、既知の言葉の組み合わせで描写できるのが小説家だという。そういう理屈も頭ではわかっている。観念というべきだろうか。だから、いつまでたっても語彙への<信仰心>なのだ。信仰心を捨て去れる境地に俺はいつになったら達することができるのだろう。

それはともかく、虫の声だ。目に映るもの以外にも、虫の声のように耳から入ってくるものにも名前はある。虫の声の場合は、その音源の名前になるのか。音源なんていうと生命をモノ扱いし、軽視するみたいで嫌だけど相手は虫けらだ。俺も虫けら扱いをされているのだから別に構わないだろう。この世界は失敗した人間の復活を許さない。いったいどれだけの人間がそれを実感できているだろう。おっと、話がそれた。

それはともかく、虫の声だ。おそらく、子どもの頃だったなら、何の苦もなく答えられただろう。正確かどうかわからないけど、これはクツワムシ、これはマツムシ、これはコオロギと誰でも区別できたはずだ。ところが、大人になってしまうと、虫の声なんていう情報は生きていく上であまり重要な意味をもたないからか、すっぽりと記憶から抜け落ちてしまう。もっとも、記憶自体はそう簡単には消え去らないもので、たんに想起できなくなっているだけだともいわれるけどね。でもまあ、思い出せないというのは知らないと同じ意味になるよね。

と、ここまで書いてから、検索エンジンで「虫の声」と入力してみた。問題は一発で解決してしまった。虫の声を音声ファイルで聞けるサイトがあるのだ。わーい。

便利な世の中になったね。

【追記】
便所の外から聞こえていた鳴き声は、コオロギだった。めっちゃ普通。

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プロフィール

HN:
小瀬朧
性別:
男性
自己紹介:
創作怪談、twitterの短文小説#twnovel、短歌など。
メールでのご連絡は benzine100@gmail.こむ スパム対策なのでこむをcomにかえてください。 


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